あの日の私がここにいた。短編小説集『ショウコの微笑』
冬のある朝、夢の中で「ショウコの微笑」という言葉が何度も登場したことがあった。目覚めた後、夢の詳細はすっかり忘れてしまったのに、その言葉だけがはっきりと、頭の中でぬくもりを放っていた。
布団の中でスマートフォンを手に取り、早速調べてみると、それは韓国の作家が書いた小説のタイトルだった。チェ・ウニョン著『ショウコの微笑』。
「ああ、なんだ。本の名前か」とすっきりしたところで身体を起こし、何事もなかったかのように一日を始めようとしたのだが、「ショウコの微笑」という言葉がどうにも頭から離れない。
そこで私は、息子を保育園に送ったあと、この不思議な夢の余韻について書き残しておこうと、Twitterでこうつぶやいた。
すると翌日、思いもよらぬことが起こった。Twitterに見知らぬ方から1通のダイレクトメールが届いたのだ。送り主は、同じ韓国在住だという女性の方だった。
このありがたい申し出を前向きに受け入れるべきか、それとも、丁重にお断りすべきか。悩んだのは数秒だった。直観的に、この申し出を無下にしてはいけない気がした。厚かましいことを承知で、私は「ぜひお願いします」と返信を送った。
数日後、ポストの中に、一筆箋が添えられた『ショウコの微笑』が届いた。まだ夢の続きを見ているかのような気持ちで表紙をめくると、この本は、表題作を含む7つの物語から成る短編小説集だということがわかった。
高校の文化交流のため日本から韓国へやって来たショウコと、彼女と一週間共に暮らした韓国人一家の10年間を描いた「ショウコの微笑」。
旧東ドイツの小さな町で出会った韓国人一家とベトナム人一家の交流と別れ、その後を描いた「シンチャオ、シンチャオ」。
幼い頃から姉妹のように過ごしてきた年上の女性“オンニ”との関係が、オンニの結婚を機に崩れてゆく様を描いた「オンニ、私の小さな、スネオンニ」。
フランスの修道院で奉仕者として出会った韓国人女性・ヨンジュと、ケニアから来た獣医・ハンジとの、友情とも愛情とも言い難い交錯する感情や不可解な別れについて描いた「ハンジとヨンジュ」。
大学の先輩の留学先であるロシアを訪れた韓国人女性・ソウンと、先輩の元ルームメートであるポーランド人女性・ユリアが、互いの喪失感や後悔、悲しみと向き合う姿を描いた「彼方から響く歌声」。
娘・ミカエラの存在を支えに、一家の大黒柱として生きてきた母親が、セウォル号沈没事故で孫や子どもを失った人たちの心に寄り添う姿を描いた「ミカエラ」。
ガンに侵され余命幾許もない祖母・マルチャが、愛しい孫娘・チミンを想い、彼女に習ったハングルで、届くことのない手紙をしたためる「秘密」。
『ショウコの微笑』に収められた作品は、どれも、人生のある時期に濃密な時間を共に過ごした誰かとの、出会いや別れ、その後の出来事について書かれていた。恋愛関係ではなく、友人同士や先輩後輩、姉妹のような関係、そして家族。そういった間柄の人たちに突然降りかかってきた、理解のし難い別れや関係の変化について。
私はそんな主人公たちの物語を追体験しながら、この数年間一人で静かに耐えてきた心の痛みについて、考えずにはいられなかった。
一つのほころびもないように見えた人同士の関係が、想像もしなかった出来事により崩れていく…。きっと多くの人にそんな経験があるように、数年前、私の身にもそのようなことが起こっていたからだ。
当時私は、自分の身に起きた出来事についてあらゆる人に相談し、意見を求め、助けてもらいたかった。しかしそれは、自分にとって大切な存在であった誰かのプライバシーについて、他人に暴露してしまうことにもなりかねない。そんな懸念が、私の心にブレーキをかけた。
相手のことなんて何も考えず一切合切話してしまえたら、どんなに楽だっただろう。私は結局、事のすべてを人に話すことができず、一人で耐えるという選択をせざるを得なくなり、孤独の海をさまよった。
そんな日々がどうにも辛くなった時は、救いの手を求めるべく、小説や映画の中に同士を見つけようとした。しかし、残念ながら、私と同じような経験をした人が登場する物語には出会えなかったのだ。何年も、ずっと。
だからこそ、『ショウコの微笑』に出会えた時の感動は、言葉にならないものがあった。
もちろん、物語の中に私と全く同じ経験をした人たちが出てくるわけではない。だけど、大切な人との思いもよらぬ別れにとまどい、苦しむ様子は、自分のそれと全く同じだった。別れた後の、その後の物語について書かれていることも、私には誰かの経験談を聞かせてもらうことと同じくらい、貴重なことだった。
ページをめくるたび、一つの短編を読み終えるたびに、これまで一人で抱えてきた痛みが蘇り、涙がこぼれそうになったけれど、一方で、ようやく理解者に出会えたような気がし、喜びで胸が震えた。
読みながら「よく耐えたね。辛かったね」と、誰かにそっと背中を撫ででもらっているかのように感じた小説は初めてだった。読んでいる時間はずっと切なく、そして、温かかった。
もう1つ印象的だったのは、どれも個人的な物語を描いていながら、戦争、海外生活、国家の弾圧、学歴社会、男尊女卑、大事故、就職難など、韓国の社会状況や歴史が、登場人物たちの「人生の選択」や「思いもよらない別れ」に少なからず影響を与えているということをはっきりと目の当たりにしたことだった。
例えば「シンチャオ、シンチャオ」という短編の中では、ドイツのある町で親しく交流していた韓国人一家とベトナム人一家が、両国の歴史を正しく知らなかった韓国人少女の一言をきっかけに、深く傷つけあってしまう。
韓国とベトナム。韓国と日本。戦争を通してどの国も大きな傷を負ってきたはずだが、それぞれの国の人たちが経験してきたことや、教わってきた歴史には、時に大きなズレがある。それを知らずに、または頭で一度理解したつもりでも、自分たちが受けた傷ばかり主張してしまえば、お互いが交わることはずっとないだろう。
私自身、今、日本人という立場で韓国に暮らしていることもあり、この「シンチャオ、シンチャオ」に登場する両家の間に深い溝ができてしまうシーンは、決して他人事ではなく、自分の身にもいつか起こり得るかもしれない出来事として、胸に刻まれたのだった。
最後に、この本がポストに届けられてから今日までの数か月間、何度も読み返す中で心に響いた言葉たちをいくつかここに書き残したい。
この短編小説集には、私の心を作家が読み取り、言語化してくれたのではないかと思ってしまうくらい、誰にも言えなかったあの日の困惑、あの日の怒り、あの日の後悔、あの日の感謝が、登場人物たちの言葉の中に刻まれていた。
抱えてきた心の痛みはこれからも消えないかもしれないが、その痛みにそっと寄り添ってくれる一冊がいつもそばにあるということは、ただそれだけで救われるものだ。
もし、あの夢を見ていなかったら。夢の話をTwitterでつぶやいていなかったら。「本を送ります」という申し出を断っていたら。私はまだ『ショウコの微笑』にたどり着けていなかったかもしれない。
強く求めている時には見つからず、忘れた頃にベストなタイミングで目の前に現れる。人との出会いもそうであるように、本との出会いにも「時」があるようだ。
人には大げさに聞こえるかもしれないが、この本は私にとって天からの贈り物であり、本を送ってくださった女性は、私を孤独の海から救ってくれた恩人だ。一生でそう何度もないはずの奇跡のような出来事を経験できたことに、心から感謝している。
もしこの物語を必要としている誰かが、どこかにいるのなら。ベストなタイミングで、この本があなたの元へ届きますように。