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《適当雑記80》2022年1月19日(水)【挑戦か解放か】
〚1111文字〛
こんばんわ。入谷です。
昨日18日の雑記で『皆自分の正義の為に戦っている』と書きましたが、
とりわけ、昨今の社会及びネット界隈を見るにつけ、
ガンガンお金を稼いで成功を目指す派、と、お金がなくても創意工夫で楽しく生活する派に二分されている印象を受けます。
どちらにも、それらの価値観を扇動する有名なインフルエンサー的存在がいますが、もっとも後者の代表格は、黄色いパーカーが似合うフランス在住の大金持ち=文末紹介=です。
あらゆる格差社会に加えてコロナ渦の苦境から、裕福で自由な経済力を手に入れようと現実的行動を起こす者と、どうせ格差の広がる世ならばと、ありもので満足できるよう思考を工夫する者。
その二者の間には壁があって対立があるように感じます。
お金は不可欠だけど、お金の有無に関わらず日々を創意工夫で充実させることも大切であり、どちらの主張も正しいと自分は思っています。
逃げだ、負けだ、甘いという人もいるでしょうが、凡人である自分としてはバランスを保ちながらいることが最善と考えています。
としたうえで、
前者が結果を得られないまま時だけ過ぎてしまったといった場合、どのように人生の舵を切るのかは、非常に試される場面であると思います。
恥ずかしながら、これは長年試行錯誤を繰り返しながらついに実を結ばなかった自分の経験の中で生じた疑問でもあります。
人間はどうしてたって思考に支配されてしまう生き物です。その錯覚と思い込みが現実を作ります。
高い目標を掲げて頑張るその理由は当然ながら目標の達成。
しかし目標が達成できないことはある意味不幸であり、不幸な現実が続くことは人生にとって良くないことです。
今は上手くいかなくとも必ず到達してみせる!!とやり方を変えて継続するのか、妥協し、路線を変更するのか、勿論その人の自由。
方向が定まらず、宙ぶらりんの状態になってしまうこともまた不幸であると思います。
高い目標には、飢えた野獣のような強烈なハングリー精神が必要ですが、それに疲れたならば、早々と現状のみで満足できるよう、錯覚と思い込みのベクトルを転換し、540度回る勢いで根本から自分を変えた方が生き易くなるというのが自分なりの答えでございます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~知っている方は多いと思いますが、以下は西村博之の名著です。
本記事の趣旨とは違いますが、既成概念に縛られず、視点を変えることで拓ける未来や息苦しいこの世の中をを生き抜くヒントが書かれていたので一応紹介します。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そして今日が皆様にとって素晴らしい1日になりますように。。