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#小説 記事まとめ

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note内に投稿された小説をまとめていきます。
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2021年5月の記事一覧

短編小説:月とナポリタン

☞1 僕に兄がいたのは小学校1年生から4年生の3年間の間の事だ。 父が勤めていた建設会社から独立して、何人かの仲間と古いマンションや中古住宅をリノベーションする事業を始め、それが当たってとても忙しくしていた頃、温かな雨の降る春の雨の夜に突然、父は家に妙に髪の色の赤い女の人と、そして髪を短く刈り込んだ男の子を家に連れて来た。 当時、僕は小学校に入学したばかりで、実の母親を1年前に亡くしていた。それで、手元に残された僕とその周辺に色々と手の行き届かなくなった父が、継母と兄を

短編 紙で折った天使は空に散る

 お前の身体は、紙からできているんだろう。人間のふりなんかしたって意味ないよ、僕の目はごまかせない。春が来たらどうなるか、僕にはわかってるんだ。紙製のお前はこちらを振り返った拍子に、春風にその軽い身体を巻き上げられて、腰のあたりから真っ二つに折れ曲がってしまう。そしたらどうなる? だらしなく地面についたそのゆびさきは、水たまりから雨水を吸い上げる。そしてなす術もなく、見る見るうちに鏡の向こうの世界へとくずおれてしまうんだ。僕がお前を助けようとして、焦ってうっかり爪を立てようも

「小説ショートショート」タイトル:ゲームBOY

    人生最大の選択が、目前に迫っている。     傍から見たらそれは全くもって大したことではないのかもしれないけど、僕にとっては今後の人生を左右するものになると思う。そんな確信を元に、僕は両手に持ったゲームソフトを見つめていた。右手はRPG、左手はレースゲーム。さて、僕の手持ちは五千円しかない。中古ゲーム店とは言ってもこの二つは新作だ。一作四千八百円するから、必然的に僕は一作しか買うことが出来ない。もし僕が悪の組織の一員だとしたら金銭を支払わず両方くすねるという第三の手が

たゆたえども沈まず #1

ひとふさの穂も残されていない刈り取り後の麦畑が広がる四つ辻に、男がひとり、佇んでいる。 がらんと空っぽの風景だ。地平線の彼方に入道雲が音もなく湧き上がっている。ちょうど中空にさしかかる太陽は力を増し、真上から彼の薄くなった白髪頭に向かって光の矢を鋭く投げかけている。彼の背中は汗でぐっしょりと濡れ、白いシャツがぴったりと貼り付いている。 額の皺をなぞって汗が落ちるのをぬぐおうともせず、彼は、麦の株がどこまでも続く畑の小径をみつめていた。ずっと向こうから、誰かがまもなくやって

印鑑みたいな恋をした

「おはようございます。早起き頑張ったね」 学校で使う紙よりは少し厚い紙に赤い丸が並ぶ。 日付で区切られた枠に押されたそのハンコは、毎朝のラジオ体操が終わると、帽子を被った優しそうなおばさんがぎゅっと力をこめて押してくれるものだった。 律儀に毎朝、校庭に足を運んでいたが、そのおばさんが持っているハンコさえ手に入れば、もう早起きせずとも厚紙に赤い丸を並べることができるのにな、と思っていた。 もっさんはそう、意外とずるいのである。 汗ばむ季節だった。 バイト先に入ってき

茜色の中に

1時間に2~3便しか発着しない地方の空港。その土地で講演会の講師として呼ばれていた。講師と言ってもテーマが経済的な地方の自立など地味なもので聴衆も毎回50人程度。准教授をしているとこの様な話が時々来る。 帰途、空港に早く着いてしまい閑散としたロビーの硬い椅子で時間を潰す。飛行機も遅れている。何か本を持ってくれば良かった。 見知らぬ女性が近づいてくる。20代前半だろうか。淡いオレンジのリネンシャツと白いコットンパンツ。誰からも好感が持たれるであろう清潔感がある服装。手には革の

傘を差さない彼女

「いいよ。濡れちゃうじゃん」 彼女は可愛らしい顔とは裏腹にさっぱりと答えた。 隣のクラスの、話したことのない女の子。 僕は一方的に彼女のことをしばらく前から知っていた。 あれは高校受験の日。 雨が強く降っていて、しんとした会場の中、ざぁざぁと降り注ぐ音だけが響いていた。 ペンが走る音と、時々紙がめくられる音。 あの時の空気を、僕は今でも鮮明に覚えている。 そしてその帰り道に見た彼女のことも。 試験が終わり、傘を差してぞろぞろと駅へ向かう受験生たち。 その中で僕の目に止ま

水曜日の午後、喫茶白鳩にて

しとしとと雨の降る夕まぐれには、決まって彼のことを思い出す。彼はこういう日にこの喫茶店に来ると、いちばん窓際の席に座って、ずっと外を見ていた。雨だれがガラスに打ちつけるのを寂しげに、しかしどこか楽しそうに眺めていた。 彼はいつも同じ文庫本を持ち歩いていた。気に入ったページにはよれよれの付箋が、青々と茂る芝生のように大量につけられていた。それでは意味がないのではと尋ねたことがあったが、彼ははにかんで首を横に振っただけだった。 注文するのはいつもシングルオリジン、それもマンデ

僕の人魚

『二人とも、結婚不適合者だと思うの。だけどいま、私たちはある意味において、結婚をする。人と人魚が結婚したいと願うようなものよ。お伽話では上手くいかなかったけれど、それを乗り越える覚悟ができているのかしら。お互いに、一度は失敗しているのだから。』 これは、彼女流の例え話で、僕たちは結婚するわけではない。だけど、もしかしたらそれよりももっと難しく、脆い関係性を築こうとしているのかもしれない。何の法的抗力もない。恋人同士になる時のような口約束もない。ただ、言葉なく一夜を共にしたと

あまりに不穏。でも目を離すことができない。小説『消失の惑星』試し読み

ジュリア・フィリップス『消失の惑星【ほし】』、冒頭を公開します。 *** 八月ソフィヤはサンダルを脱いで波打ちぎわに立っていた。静かなさざ波が、そのつま先を濡らした。真っ白な足が灰色がかった海水に沈む。「あんまり遠くに行っちゃだめ!」アリョーナは叫んだ。 波が引いていった。ソフィヤの足の下から小石が無数に流れだし、細かい砂が水中に溶けていく。ソフィヤがズボンの裾をまくろうとかがむと、ひとつに結んだ髪の先が小さな弧を描いた。ふくらはぎに、蚊に刺されて引っかいた痕が赤く何本

船の上のマジシャン(短編小説)

船は静かに揺れていた。今日は快晴で、ウミネコ達も元気に歌っている。甲板では、乗客達が冷えた飲み物を片手に、光を浴びているところだ。まさに、幸福とはこういう事だろう。 その中で、一人だけ憂鬱そうな顔をした男がいる。トランプを詰まらなそうにシャッフルし続けていて、目は藻だらけの海面のように澱んでいた。「何をやってもダメなんだ。」唇から、力ない言葉が漏れた。 彼はマジシャンだった。少なくとも昨日までは。船の中で余興をするために呼ばれたが、昨日大失敗をした。トランプマジックをして

【5月26日刊行予定!】第一章 「〈母〉を作った事情」【試し読み】

『マチネの終わりに』、『ある男』に引き続き、愛と分人主義の物語であり、その最先端となる平野啓一郎の最新長篇『本心』(文藝春秋社)を、5月26日(水)に刊行いたします。🎊 発売記念に、プロローグから第三章まで、noteでも試し読み公開! それでは、平野啓一郎の3年ぶりの新作『本心』をお楽しみください。 目次プロローグ 5月17日(月)公開  ▶︎▶︎ 第一章 〈母〉を作った事情 5月19日(水) 第二章 再会 5月21日(金)公開予定 第三章 知っていた二人 5月24日(水

短編小説「LINK」

 2029年12月16日の早朝、ヒューマンズリンク ~ H&TW ~ というアプリ運営会社から、1通のメッセージが僕のスマホに届いた。 『おめでとうございます。貴方は弊社が企画・運営いたします、ツナガル・プロジェクトの参加者候補に選出されました。尚、プロジェクトへの参加は任意です。プロジェクト概要につきましては、本メールに添付されておりますPDFファイルの文書をご確認ください。参加を了承されます場合は、本日午後11時59分までにこちらのメールにご返信下さい。またこのプロジェ

空と運転手

 雨で洗われた春の空は、紫がかっていた。それは薄い膜のようで、その下には真っ青な空が広がっている筈だと俺は思った。  俺は車の側に立って、空を眺めながら無用な事を考えていた。そうでなくとも、俺は腑抜けてしまうほど、自分の無力に嫌気がさしていた。というのも、今から来るお客さんが若い女性だからだ。死ぬには早すぎる人間を乗せる時は、こんな気分になる。何も感じないわけにはいかない。別に同情している訳ではない。  そう自分に言い聞かせるが、人間らしさといえばそうだろうな。俺が男で、若い