きなこ

はじめまして。野生の一人文芸部です。この物語はフィクションかもしれないしそうでもないか…

きなこ

はじめまして。野生の一人文芸部です。この物語はフィクションかもしれないしそうでもないかもしれません。 お仕事のご用命はTwitterのDM。もしくは此方の方までお願いいたします。⇨https://note.com/6016/message

マガジン

  • 1年生日記

    医療的ケア児付き添い登校の記録。

  • 1年生に、なれるかな。

    うちの末っ子、心疾患児であり医療的ケア児の就学の記録です。

  • 小説:グリルしらとり

    東京の小さな洋食屋を舞台に、ひとりの男の子の周りにいる人々のことを書きます。優しい物語を『グリルしらとり』のメニューを題名にして10篇ほどかけるといいなと思います。

  • 小説『みらいを、待ってる』

    コンテストに一応応募したものの箸にも棒にも引っかからなかったものを、さらに引き延ばして書いたものです。お焚き上げのような。

  • 短編集:詩を書く

    短歌や詩を下敷きにして小説を書きました。1つのものが1万字を上限にしています、ちょっと気の向いた時によめるものをこつこつ書いてここに置いておきます。あなたの気の向いた時に気軽に自由に手にとってくださると書いている人間は喜びます。

最近の記事

フィールドワーク

うちの末っ子の6歳は現在小学1年生で、心臓に病気があって、医療用酸素を使い、学校には専従の看護師さんが来てくれている。そういうタイプの子どもで、地域の公立小学校の1年生の教室と特別支援教室、ここでは仮に『ひまわり教室』と呼ぶけれど、そこを行き来しながら過ごしている。 特別支援教室は上記ように定義づけられているものの、運営方法や方針は地域によってそれぞれの独自色が強い印象がある。6歳の暮らす地域の教育委員会では (できるだけすべての子どもを普通級で、他の子ども達と一緒に)

    • 失せ物。

      うちの一番上の息子は、見た目も性格も趣味嗜好も、どこを取っても私に少しも似ていない。 数学が得意で、グロタンディーク素数を含む素数を愛し、トリビア・クイズが大好きで、高校生の男の子の割に食が細く(中学生の妹より食べない)、かなりの偏食であり、いいヤツなのだけれど、他人の心の機微にやや疎い。 今年の冬、受験シーズンの真っただ中の2月、この人がまずは1校目の受験校である私立高校を受験した時、国語の試験で源氏物語の第九帖「葵」が出典の問題が出た。そこで息子は六条の御息所がどうし

      • 短編小説:さよなら7

        空が透明に晴れた日曜日、あたしはナナと電車に乗っていた。 普段あたしは一切外出しない、それは生活のすべてが家の中で完結するからで、かつあたしは、外の世界があんまり好きじゃないからだ。 いつもならナナが何を言おうが、「イヤや、行かへん」とあたしが言えば、大体ちょっと不満そうな顔をしてから「こんないいお天気やのに」なんてぶつぶつ言いながらナナは一人で出掛けて行く。あたしはこの「あんたがひとりで行けばええやん」の表情と仕草で、鶴見緑地へのピクニックも、北梅田に新しくできた公園へ

        • 2学期。

          2学期が始まった。 夏休みを終えた小学1年生は、学校に「いかへん」と泣いたりすることもなく、毎日母の私を従えて電動車椅子で意気揚々、学校に通っているのだけれど、小児用の車椅子って小さいので、背もたれに酸素ボンベを引っかけただけで積載量が限度いっぱいになる。お陰で1年生になる孫にと私の母が買ってくれたランドセルは私が背負っている、46歳なのに。 ヒッチキャリアが欲しい、あのランドクルーザーとかの、四駆のお尻にくっつけて荷物を運べる格好いいアレ。 それはおいおい考えるとして

        フィールドワーク

        マガジン

        • 1年生日記
          9本
        • 1年生に、なれるかな。
          9本
        • 小説:グリルしらとり
          5本
        • 小説『みらいを、待ってる』
          4本
        • 短編集:詩を書く
          6本
        • 短編小説集:春愁町
          5本

        記事

          プロの本懐

          例えば「お母さんなんだから」という大雑把すぎる括りで、己のありようを限定されるのは個人的に好ましくない。そもそも「母親らしさ」というものは大抵封建的な家制度に深く結びついているもので、そういうものを私はあまり好きじゃない。 仮に人から「母親らしく」に類することを言われて、そうして己の行動や思考を制限されるようなことがあるとしたら、スリッパ片手に地の果てまで執拗に発言者を追いかけたる、くらいの気持ちはあるけれどやらない。だって足がものすごく遅いから。 だから私も、性別や年齢

          プロの本懐

          短編小説:夏からの手紙

          河川敷のグラウンドの奥、セイタカアワダチソウをかき分けてボールを探しに行くと、そこはとても青臭くて、口の中にも苦い味が広がるような気がしたものだ。僕はボール探しが酷く嫌だったけれど、僕とバッテリーを組んでいた圭ちゃんは違った。 「そういうのも、キャッチャーの仕事やし」 そう言って草むらの中に飛び込んでいく圭ちゃんは、小学五年生の夏まで僕の親友だった。 * ポストの中の無記名の茶封筒に気が付いたのは月曜の朝だった。そこには切手も貼られていなければ住所も差出人もな

          短編小説:夏からの手紙

          短編小説:新淀川橋梁

          それは、阪急十三駅を降りて商店街の本通りを一本入った路地にある小さな居酒屋だった。 一階がカウンター席だけのごく小さな店内は、奥にある矢鱈と急な階段を上がると六畳間の客席がある、常連客はそこを「座敷」と呼んでいた。座敷には折り畳み式の古い座卓が置かれていて、窓辺の半畳程の板の間には、高く積まれた座布団と、その隣にガラスケース式の冷蔵庫があった。客はそこから、瓶ビールや日本酒を勝手に取って飲む 「これ絶対、ごまかす人がいると思うけど」 僕がそう言うと、店の主のひとりである

          短編小説:新淀川橋梁

          盆日記

          8月13日(火)  今日の最高気温を聞くだけで、どこにも行きたくないお盆1日目。 お盆、盂蘭盆会、盆会、精霊会、魂祭、歓喜会、さまざまに呼び名のあるこの行事、大まかにいうと「お盆になったらご先祖さんが、帰ってきはるので、みんなでお迎えしましょう」ということだけど、これ、灌仏会とか涅槃会なんかの仏教行事とはちょっと違って、祖先祭祀と仏教が融合した地域色強めのハイブリッド行事らしい、そう思えばお盆て、地域ごとに全然違うことしてたりするなと、今更気が付く46歳。 ところでお盆

          盆日記

          魔女、旅に出る。

          六歳年が離れているねぇねのお誕生日が近づいてきたここ数日、末っ子である六歳はなんだかそわそわしていた。 「お誕生日のごちそうは何をするの」 「ケーキはどこで買うの?」 「ケーキはチョコがいいんじゃない?(※六歳はフルーツのケーキが苦手)」 「あたし、ねぇねにプレゼントあげたいなー」 自分の上に九歳も年上の高校生の兄と、六歳年上の中学生の姉を持つ六歳はつい最近まで 『お誕生日には、ちゃんと持ち主がいる』 ということを知らなかった。だからいつも上の2人のお誕生日には自分も

          魔女、旅に出る。

          8月9日の壁と卵

          長崎市が明日の平和祈念式典にイスラエルを招待しなかったら、アメリカ駐日大使が呼びかけて日本以外のG7、6ヵ国の代表が「われもわれも」とそこに追従したのだとか。 長崎市の鈴木市長は、イスラエルの代表を式典に招待しなかったことを「あくまで混乱を避けるための判断であり政治的な意図ではない」と主張し、対してアメリカ駐日大使はこれを「政治的判断」であると主張しています。妙な行き違いを孕みながら結局、79回目を迎える長崎原爆の平和祈念式典に出席しない、というのは8月9日の朝を迎えた今も

          8月9日の壁と卵

          ついてこんといて

          うちにいる6歳の人は、夏休み前から、近所のそろばん教室に通い始めた。 自宅のある集合住宅の敷地内にある小さな集会所で、私より一回りほどお姉様である上品なマダムが週に2回、夕方から晩にかけて開いているそこは、6歳の人と6歳違いの姉も、9歳違いの兄も通った場所だった。 私は、自分自身が「5歳の時、自転車から落ちて頭を打ったからだ」と結論づける程計算が不得手なもので、小学校の時分から算数の成績が大変悲惨だった。子どもらにはその二の足を踏ませたくない、それで近所にそろばん教室があ

          ついてこんといて

          女の子を生きる

          今、女の子を生きることは大変だなあと思う。 去年、受験生の親を初めて経験した。といってもそれはごく一般的な高校受験だ。公立中学校から第一志望を公立高校に定め、滑り止めの私立高校をふたつ受けるというもの。受験生の息子はなんとか無事に第一志望に合格し、電車に乗って元気に高校に通っている。 私は元々学習塾勤めで、それだから関西の私立高校については多少知っているつもりでいた。けれど勤めから離れて早十数年、いざ最新の受験情報を目の当たりにしてその勢力地図の変わりように驚いた。いくつ

          女の子を生きる

          灼熱プール

          夏のプールサイドが灼熱であることを回顧した夏だった いや、ほんまのところまだぜんぜん夏は始まったばかりなんやけど。 娘さん(6歳、医療的ケア児)の付き添いで1学期の6月末から7月中旬に実施された体育のプール授業、そのすべてに付き添って私の夏はある意味終わった、私の夏はあのプールの夏の太陽を反射する水色に吸い込まれたのだ。 ところで、私が全プール授業の付き添いをしたということは、娘さんが全プール授業を受講したことになるんですよね、余すことなく、見学もお休みもせずに(直線的

          灼熱プール

          弊・2024問題

          真ん中の娘が通っている塾の送迎バスが、年度内に無くなるらしい。 らしいというは、娘の乗るバスルートはなくなるが別のルートは存続するためで、今後ルート調整をして、廃止したバスルート範囲の一部をカバーするという可能性が残っているから。ただ1路線が無くなるのは確定だそう。 「別ルートのバスは存続できそうなんですが、一番近隣を運行するルートは…アッあの2024年問題をご存知かと思いますが、バスの運転手を確保するのが難しくなりまして」 でもさ、2024年問題の定義は『働き方改革法

          弊・2024問題

          短編小説:かつて僕らの世界のすべて

          それは、ミナミの雑居ビルの中にあるカウンターだけの、別に洒落てもいなければ綺麗でも新しくもない小さなカラオケスナックだった。店の名前は『五月』さつきではなくてごがつ。店主である僕の母の名前がメイなので、つまり自分の名前を付けたのだ。 六月の蒸し暑い金曜の晩、その日は週末だというのに夕方降った大雨のせいか客足の酷く悪い日で、母はカウンターの中で常連のキープボトルのウィスキーを炭酸で割って勝手に飲みながらグラスを磨いていた。店には母と、母と同郷の友人でたまにアルバイトに来るミカ

          短編小説:かつて僕らの世界のすべて

          見えないものに

          TwitterをXと呼ぶようになって久しい、というか一部の人々は「Xてあんまり馴染まへんし、Twitterでええやん」ということで、あの青い鳥の名前をそのまま読んだりもしている、例えば私がそうである。 中年になるとそういうものの切り替えがうまくいかなくなる、私の祖母(1926年生まれ)は今から20年程前に亡くなったが、死ぬまでNTTを電電公社と言い続けていた。孫の私は辛うじて『電電公社』が何なのかを知っていたが、彼女のひ孫である私の子どもにそれを言っても分からないんだろうな

          見えないものに