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百人一首 うたものがたり (水原 紫苑)
(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)
講談社のpodcastで紹介されていたので手に取ってみました。
歌人水原紫苑さんによる「百人一首入門書」です。
私も高校時代には百人一首をすべて暗記させられましたが、今、それから40年以上経ると本当に誰でも知っているような有名な数首しか憶えていません。それではいかにも情けないので、ちょっとおさらいをしてみようと手に取ってみました。
たとえば、有名な「紫式部」の歌。
(p126より引用) めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな 紫式部
作者紫式部は、 生没年未詳。中古三十六歌仙の一人で、『源氏物語』の作者として、あまりにも有名だが、源氏物語には多くの歌が入っている。それぞれの登場人物に成り代わって詠んだ歌は、場面に合わせて巧みである。
一方、百人一首に採られた歌は、紫式部自身として詠んだものだ。
面白いことに、この二通りの歌は雰囲気が全く異なるのである。源氏物語の方は、恋を中心とした歌が多い。『紫式部集』や『紫式部日記』に収められた式部自身の歌は、いかにも作家らしく内省的な境涯詠が中心で、恋の歌は夫藤原宣孝とのやりとりだけでごく少ない。むしろ同性の友の存在が目立つ。
こういった解説はなかなか面白いですね。
さて、本書を読んで印象に残った点をひとつ、「おわりに」に書かれている選者藤原定家を語ったくだりです。
(p217より引用) 芸術家というのは、常に他者への愛憎が渦巻いている厄介な存在だと思います。それを知ることも百人一首のひそかな味わいです。百人一首とは定家との対話でもあるのですね。
百人一首に選んだ歌が、その歌人の最高傑作と評されるものの場合もあれば、明らかに代表作と言い難いものの場合もあるとのこと。そのあたりに定家の微妙な心の揺れがあるのだと水原さんは考えているようです。
具体的には、誰でも知っている紀貫之の有名な歌の解説の中で触れています。
(p82より引用) 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける 紀貫之
貫之の歌は技巧的で、「余情妖艶」ではないと『近代秀歌』で定家は批判している。「余情妖艶」とは理知を超えた夢のような美意識なのだ。美は自分の領域だと、定家は思っていたのだろう。大歌人対決である。
ともあれ、「百人一首」の歌ども。藤原定家によって百人一首に採歌されたことで千年の後の世にも伝わる命を与えられたということですね。