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河合隼雄自伝:未来への記憶 (河合 隼雄)

(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)

 いつも行っている図書館の返却棚で目についたので手に取ってみました。

 文字どおり、日本を代表する心理学者河合隼雄氏の自伝です。

 本書では、丹波篠山での幼年時代から壮年期臨床心理学でその地歩を築くまでの河合氏の半生が、語り言葉そのままの軽やかな筆致で綴られています。
 そこで紹介されている数々のエピソードは、過度な装飾もなく、そのままの河合氏の人柄を映し出しています。その中で見えてくるものは、河合氏の “個々の人間の尊重” という姿勢です。

 ロールシャッハ研究に始まる臨床心理学への関心も、つまりはそこに端緒があります。

(p192より引用) そういうロールシャッハの一種の読みとき、解読ということがずっといまの仕事にも続いている、ということなのです。それはロールシャッハからユングにまでずっとつながっている。心理療法の背後に人間理解への努力があるのです。

 臨床家として「人の心」を大切にする河合氏の姿勢は、“他人を慮る”考え方につながりますし、そういう “他人を支える”仕事 に従事する自己を厳しく律するという行動に表れるのです。

 たとえば、こんな瞬間がありました。
 スイスのユング研究所で、分析家になるための資格取得に取り組んでいたときのことです。資格取得のためには250時間以上の分析体験が必要でした。それには分析の対象者の協力が必要です。しかし、河合氏がアテをつけた分析対象者がさまざま理由で一人二人と辞退していったのです。

(p290より引用) それで、これはもう絶対にぼくがおかしい。ぼくの力がないからこういうことが起こっているんやから、他人の分析を始める前に、もうちょっとぼく自身の分析に専念したほうがいいんじゃないか、と思ったんです。

 これは、必ずしも河合氏の責に拠るものではなかったのですが、氏の決断はこうでした。

 このあたり、本書のあとがきに相当する小文で、息子の河合俊雄氏が、

(p394より引用) そのような河合隼雄の人生における数多くの不思議な転機で、意外と自分が主体的に決断していなくて、いつの間にか決まっていたり、他人の意見や行動の方が決定的であったりするのが興味深い。・・・
 しかし、何もかもが他人の言うままに、流れに任せて河合隼雄の人生が決まっていったのではなくて、時々はっきりした主体性が立ち上がるのも興味深い。

と語っていますが、この場面もそういった河合氏の主体性が発揮されたものでしょう。

 さて、河合氏の著作は、以前、谷川俊太郎氏・立花隆氏らとの共著「読む力・聴く力」を読んだことはあるのですが、今度は、河合氏の専門の「ユング心理学」関係の本や、そういう学術基盤の流れの中での「昔話」や「神話」の解釈の本も読んでみたいですね。

 本書で語られた河合氏のとてもユニークな半生を辿ってみると、そういった心理学への興味が沸々と沸いてきます。



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