論語の新しい読み方 (宮崎 市定)
(注:本稿は、2012年に初投稿したものの再録です)
久しぶりの論語関係の本です。
著者の宮崎市定氏は著名な東洋史学者。宮崎氏の著作は、以前「雍正帝―中国の独裁君主」を読んだことがあります。
本書は、その宮崎氏による論語の新解釈を紹介したものです。
いくつかの小文を採録した体裁ですが、その初章「論語の学而第一」から、まずは「注釈家」についての宮崎評です。
孔子のことばも、漢代以降の「経学的立場」からの解釈により、元の生き生きとした真意が屈曲してしまっているとの考えです。
宮崎氏の論語解釈にあたっての方法論は、表題作である「論語の新しい読み方」の章で開陳されています。
この疑問から発して、論語のテキストにある字句そのものの正誤を疑い、また過去の権威者による注釈を疑うのです。
論語は、孔子の口から発せられた言葉を弟子たちが取りまとめた後、2000年以上の年月の中でその書の位置づけは大きく変遷しました。宮崎氏は、それら歴史的コンテクストを踏まえ、原初の孔子の言葉を探究しようと試みたのです。
この探究に関し、宮崎氏が採った興味深い方法論が紹介されています。
本書の面白さは、宮崎氏流の「論語の新解釈」に加え、宮崎氏の学究に対峙する姿勢が垣間見られるところにあります。それらは、まさに、従来の研究方法に対する宮崎氏からのアンチテーゼの提示です。
この考えから本書の「中国古代における天と命と天命の思想」という論文において宮崎氏は、孔子から孟子に至る儒家思想の変遷の考察につき、あえて墨子との対比を加えることにより、それぞれ三様の思想の位置づけの明確化を試みているのです。
本書は、こういった様々な論語解釈の専門的な解説が中心ではありますが、「論語の新しい読み方」とのタイトルにも表れている「読み方」すなわち「読書」の意味についての宮崎氏の考えも、ところどころで開陳されています。
さて、最後にひとつ、宮崎氏ほどの大家であっても、否、大家であるが故の箴言を書き留めておきます。
論語の文献学的研究の重鎮武内義雄氏の大著「論語之研究」を前にしての宮崎氏のことばです。
「学問的理解」に対する厳しくも謙虚な姿勢です。