(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)
学生時代からずっと気にはなりつつも、恥ずかしながら、宇沢弘文教授の著作を読むのはこの歳になって初めてだと思います。
テーマは「社会的共通資本」。
読んでみての印象ですが、理論や論考で塗り固められているような内容を予想していたものの、大いに(いい意味で)裏切られました。宇沢教授の自伝的なテイストも漂う内容で、それを辿っていくだけでもとても興味深いものでした。
そういった宇沢教授の人柄が偲ばれるようなくだりをいくつか書き留めておきます。
まずは、宇沢教授がシカゴ大学時代、ヴェトナム戦争反対の学生運動収拾に関わったときのエピソード。
宇沢教授が学生に提示した調停案を前に、大学当局の代表リーヴィ教授と相対した場面です。
こういう大学の姿勢・リーダの存在は見事であり、とても頼もしく感じますね。
また、宇沢教授は “リベラル・アーツ” としての「教育」にも大きな関心を抱き、自らの信条としても “リベラリズム” を重視されていました。
教授は、この “リベラリズム” を体現した先人として「福沢諭吉」をあげ、そこから「アダム・スミス」に思いをはせています。
アダム・スミスといえば、“人々が利己的に行動することこそが、市場を通じて公益の増大にもつながる” という「レッセフェール(自由放任主義)」説いた人物だと短絡的に理解していた私にとって、この宇沢教授の指摘は “目から鱗” のショックがありました。
もうひとつ、「大学の変容」について。
1980年代、宇沢教授が東京大学経済学部長だったころ、官主導による大学改革の動きが東大にも及んで来ました。
この向坊学長の感慨に対し、さらに追い打ちをかけるように、こうエピソードは続きます。
大学の変容に抗すべき「教師」までもがこういった考え方に染まっている・・・。学生が、というのも “むべなるかな” です。
しかし、まさに今振り返ってみると、その学生たちは本当に “賢明だった”といえるでしょうか・・・?
(ちなみに私は、1983年に大学を卒業しています)