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自分で自分をほめてあげたい?

まっくす様の素敵なイラストを使わせて頂きます。ありがとうございます。

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みなさんこんにちは。にしやんです。

今日は『自分で自分をほめてあげたい?』をテーマに書きたいと思います。

「自分で自分をほめてあげたい?」

この言葉を聞くとあなたは植木に水を「やり」ますか、「あげ」ますか? と言う事を思い浮かべる。

植木などない?  

では、ペットにエサを「やり」ますか、「あげ」ますか?  

これも同じだ。

この表現は、常に議論になっているとのこと。

「やる」は目下に言う言葉、「あげる」は目上に言う言葉ですから、植木やペットに敬語を使うのはおかしい、という議論になるわけです。

同じように、自分の子どもに対しても、おやつを「あげる」のではなく、おやつを「やる」のだ、ということになります。  

この批判に対して、「植物には、親しみをこめて擬人化して、あげるを使っている」とか、「動植物にあげるを使うのは、生き物を人間と同じものと見る東洋的思想が感じられる」とかと反論する人もいます。  

これはこれで妙に納得してしまうのですが、自分の子どもについては、どうでしょうか。

子どもと一対一のときなら、「おやつをあげる」で構わないと思うのですが、第三者に対して、「うちの子におやつをあげてから会いましょう」などと言うのは、ちょっとひっかかるかもしれません。  

この「あげる」の表現が一躍有名になったのは、アトランタオリンピックの女子マラソンで有森裕子選手が言ったという「自分で自分をほめてあげたい」です。  

これでは自分を尊敬していることになるからおかしい、とひっかかる人が出ました。

正しくは「自分で自分をほめてやりたい」と言うべきだ、というのです。

でも、女性が「やりたい」と言うのは、乱暴な言葉づかいの印象を与えるから、「あげたい」を使ったのではないか、という指摘もありました。  

と、ここまで書いたところ、「有森選手は、正しくは『自分で自分をほめたい』と言っていたはずです」という指摘を受けました。

有森選手は「自分をほめたい」と言っていたのに、内容が伝わっていくうちに、いつのまにか「ほめてあげたい」と、流行の「あげたい」がつけ加わってしまいました。

「あげたい」という言葉がいかによく使われているかを再確認することになりました。


にしやん

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