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適応障害で休職していた頃

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2020年8月の記事一覧

適応障害で休職していた頃⑪ -通勤訓練 Ⅱ-

適応障害で休職していた頃⑪ -通勤訓練 Ⅱ-

 通勤時間帯以外で、職場の最寄駅のホームに降り、次の電車が来たら乗りました。通勤時間帯以外から、できるだけ通勤時間帯に徐々に近づけました。

 ホームに降りる事はできたのですが、降りた直後に早くここを脱出したい、次の電車が早く来ないかと、ドキドキしていたのを覚えています。

   こんな事でドキドキするの?と思われる方もいらっしゃると思いますが、本当にこんな感じでした。

            

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適応障害で休職していた頃⑪ -通勤訓練 Ⅰ-

適応障害で休職していた頃⑪ -通勤訓練 Ⅰ-

 通勤時間帯以外で、職場の最寄駅を電車に乗って通過しました。

 通勤時間帯以外であれば、職場の方々と会う確率が相当低く、これを実行するのに、大きな抵抗が無かった記憶があります。

                              <続く>

---------- 以下、補足です -----------
 3年近く休職後、通勤を開始するのは、本当に怖かった記憶が残っています。職場の正式な

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適応障害で休職していた頃⑪ -通勤訓練 序章-

適応障害で休職していた頃⑪ -通勤訓練 序章-

 3年近く休職後、通勤を開始するのは、本当に怖かった記憶が残っています。職場の正式な通勤訓練が始まる前に、私が個人的に実施した通勤訓練を紹介します。各々について無理のない範囲で慣れるまで行いました。
 
 もう6年以上も前の話ですので記憶が曖昧なところもありますが、お話していこうと思います。 

 それでははじまり、はじまり。                   
                

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適応障害で休職していた頃⑨ Ⅰ -主治医-

適応障害で休職していた頃⑨ Ⅰ -主治医-

 休職中・復職後の一定期間、同じ心療内科に通院していました。 

 休職中は、主治医からの指示で2~3週間毎に、通院していた記憶があります。たまに忘れた時もありましたが、ほぼ指示通り通院しました。
 診断をするのは主治医なので、指示通り受診することは大事なんだろうなーって思います。
 
 受診時には、私から、前回の受診からの間、どのように過ごしていたか、心身の状態がどうだったかについて説明をし、必

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適応障害で休職していた⑨   Ⅱ - 主治医 感謝 -

適応障害で休職していた⑨ Ⅱ - 主治医 感謝 -

 休職中・復職後の一定期間、同じ心療内科に通院していました。 

 主治医は、私の話を聞いてよく笑ってくれて、話しやすい雰囲気をつくってくれていました。
 
 心療内科への通院に抵抗があったのですが、最初に選んだ心療内科が通院しやすい主治医で、良いご縁だったなと今でも思っています。
 
 感謝。

〇次回の記事☆彡

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適応障害で休職していた頃⑦  Ⅱ -気づく-

適応障害で休職していた頃⑦ Ⅱ -気づく-

「適応障害で休職していた頃⑦」(下記参照)で
「休職していた頃、適応障害という病気が、血液検査やレントゲン検査のように、数値化又は視覚化する検査手法が確立し普及されれば、一般の方々にこの苦しみが少しは理解されやすいのかなと何度も思っていた」と記事にしました。

 このように考える背景は、私自身が適応障害に対して「他人から理解されていない」という認識をしていたからでした。もし自分が「適応障害は他の病

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適応障害で休職していた頃⑧  Ⅱ -自分を認める-

適応障害で休職していた頃⑧ Ⅱ -自分を認める-

 散歩中、きれいな夕空を眺めながら「今日も1日仕事ができたねー」と言って自分を認めてあげました。

 休職して初めて、当たり前と思っていた

      「1日働く」

 これがどれだけすごいかに気づくことができました。
最近、この気持ちを忘れていたので、あらためて自分を認めてあげました。

〇次回の記事☆彡

〇前回の記事☆彡

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適応障害で休職していた頃⑧ Ⅰ -自分を認める-

 休職中、「何で体が楽にならないんだー」「いつになったら楽になるんだ」等、何度も何度も自分に思っていました。

その時の自分に言ってあげたい。
「休職前から、他人と比較して、自分のできないところばかり見つけて、自分をいじめ続けてきたんだろう。それもあなただからいいけど、体がしんどい時くらい、自分が当たり前と思う事でもいいから自分がした事を認めてあげなよ。
 家の掃除をした時、散歩した時、洗濯物を干

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