「言葉を選ぶ」ということ
みなさん、こんばんは。【話を聞く人】をしているおかぴと申します。
記事を開いていただきありがとうございます。
noteでは私が考えていることを毎日発信しています。
今日は「言葉の不思議と言葉選び」について綴っていきます。
言葉は不思議
私たちは毎日何かしらの言葉を使っています。このご時世で直接人と会う機会が減ったとしても、メールやチャットで言葉を使っているはずです。声に出していなくても文字に起こしていなくても、心の中で唱えるだけでも言葉を活用しています。
日本語を使っている人もいれば、英語や韓国語などを使っている人もいるでしょう。
あまりに自然に使いすぎていて、気づきにくいのですが「言葉が理解できること」は不思議なことだと思いませんか?
だって、私のこの記事を読んだら「おかぴという人は何を言いたいのか」を理解できるはずです。ただの線の組み合わせが意味を持ち、それが伝わっていくのは何とも不思議です。
そりゃあ日本人なら日本語を小さいときから勉強しているからわかって当然でしょう、と感じる人もいるかもしれません。でも考えてみてほしいです。いくら幼少期から日本語に慣れているといっても、「この”が”は逆説の”が”でね…」と教わることなんてありません。それなのにきちんと伝わります。
もっと不思議なのは、話をしたり文字を書いたりしているときに「ぴたっと文字がハマる」なんて事態が起こることです。
例えば、初対面の人を褒めようと言葉を選ぶとします。このときに人は一瞬でその人にとってピッタリな言葉を選択します。
素敵は違うな…かっこいいも違う…かわいいも違う…そうだ!可憐だ!
などと、その瞬間その言葉しかない!と感じられるものが浮かんでくるのです。
冷静に考えて不思議です。日本語に精通していて、語彙を多様に持ち合わせているならまだしも、”可憐”の意味はたとえニュアンスでしか語れなくても、ぴたっとハマる感覚になるんですよ?
そして相手にもある程度、その言葉を選んだ意図が通じるんですよ。表情や表現方法の影響はあるとしても、言葉の力すごっ!となりません?笑
言葉が凶器になるのはなぜか
言葉というものは不思議であり、「言葉は凶器にもなる」と言えるほど大きな力を持っています。言葉によって温められた経験や傷ついてしまった経験がある人なら理解できるかと思います。
言葉がそこまで力を持っているのは、「言葉が文字ではないから」だと考えています。
もし相手との会話で言葉が文字として伝わるとしたら、ありがとうと言われたら”感謝の意を表すこと”だなとしか受け取りません。ダメ人間だと言われても、無駄な人間と言っているだけだなと知るだけです。
でも実際はありがとうと言われたら嬉しくなり、ダメ人間と言われたら悲しくなります。大抵の人はそう感じるはずです。
相手から発せられた言葉を「文字が示す意味」ではなく、「相手が私に伝えた気持ち」として受け取るからこそ、言葉は力を持てるのです。
言葉を選ぶとは
言葉が単なる文字ではなく、気持ちを乗せた表現である以上、言葉選びは大切だと思います。
それは言葉を思うままに吐くことが、相手に与える影響を変える以上に自分の心に大きな影響を与えてしまうからです。
言葉を放てば、言葉を通して自分自身が「その言葉を意図を持って発する人間だ」と認めることになります。
「お前はくずだ!」と言ってしまえば、相手の心が痛むだけでなく、発言者自体が「自分は他人のことをくず呼ばわりする程度の人間なのだ」と認めることになるのです。
他人をくずと言う人がくずなんだ、という発言にも一理あるといえます。
ここまでを理解できれば、少なくとも迂闊に言葉を使えなくなるのではないかと思います。そして相手の気持ちを考慮できる人であれば、なるべく思いやりのある言葉を選ぼうとするでしょう。
SNSの発達で気軽にメッセージを発信できるようになり、言葉の価値が落ちたという人を見かけますが、個人的には言葉自体の価値は昔から変わっておらず、言葉を使う人の人間性とツールが言葉を軽くみせているだけなのだと感じます。
よかったら言葉を選んで大切な人にかけてあげてください。きっと喜びますよ。
それではこのあたりで失礼します。また明日も前向きに生きてみます。