言葉でなく生きざまで伝わること
源頼朝は鎌倉幕府、徳川家康は徳川幕府、足利尊氏は室町幕府。史上の人物って、「何をした人」ってなりがちだけど「どんな人」というのを知ると面白い。700年以上前の人なのに生き生きとし、その時代より令和に今の適しているような人だと親近感や哀れみ、好意を持つことができます。
足利尊氏、こんな人だったんだ。
おもしろく笑えて、泣ける歴史偶像劇です。
極楽 征夷大将軍 垣根涼介
由比ガ浜で木っ端を、沖に投げやがてくる波に流され右か左どちらにその木っ端がいくかの遊びをしている少年時代の尊氏とその弟の直義の場面からはじまります。
彼らは庶子(側室の子)で家督相続から外れており虚しくお気楽でいたのだけど。
ああ、冒頭とつながり先日、逗子の海を泳ぎ波に翻弄されたからこそこの言葉が響きます。
流されるまま、嫌々家督を継ぎ、鎌倉殿になるけど「たかが惣領、たかが幕府」でやる気なし、テキトー。
楠木正成、新田義貞、後醍醐天皇といった武力、知力が勝っている方々にもあれ?っていう感じで結局勝って生き残っちゃう。
直義の視点が、あんまりにも兄尊氏をけなしすぎていておかしいし、テキトーなところがなぜか神がかってしまったり、爆笑してしまう。
清々しいほど何も考えていない、無心。立場や利害によって人を見ない。だからこそ愛されている。みんな尊氏に魅了されてしまう。
それを世の中の人を見る目というのは、まるで節穴だった、と言いきってしまう直義がいい。この兄弟は異常に仲が良く、尊氏は家族を大事にするところも現代人と似ています。
テキトーであること。
その場に居続けるということ。
生きること。
700年前の尊氏が、令和の時代を生きるわたしたちに言葉でなく生きざまで伝えてくれます。
Don’t think,feel.
Be water
ブルース・リーの言葉が巻頭にあり、水のように形のない尊氏を楽しめました。
ありがとうございました。