【61】 理不尽な運命は、逃げるほどに追いかけてくる
怖いことや悲しいことが、どうか起こりませんように。
思い返せば、私の40数年の人生は、この願いをベースにして作られてきたかもしれないと、今、思います。
自分にとってのよくない出来事、忌避すべき出来事は、私のそばにはやってこないでおくれ。
私と、私の大切な人に、よくないことはひとつも起こらないでおくれよ。
たのむよ。
死神よ、近づいてこないでおくれ。
ずっと無自覚でしたが、こんな風に「不安」や「怯え」が前提の生活は、必然慎重で、制御されたものになりがちでした。
しかし人生と言うのは、どんなに遠ざけようとも、悲しくつらい出来事は、コンスタントにやってくるのでした。
親が病気になったり、こっぴどい失恋をしたり、試験に落ちたり……。
人前で恥をかいたり、誰かの悪意に晒されたり、ダメ出しされて傷ついたり、誤解されて悩んだり、相手の一言がいつまでも心に残ったり……。
世界は、怖い。
世界は、私に何をするか分かったものじゃない……。
無意識に、世界をそんな風に捉えていた私に、「乳がん」という恐怖を具現化したような出来事がやってきました。
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい。
どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。
逃げよう!
……イヤ、逃げられない……
会社がイヤなら、会社を辞めればいい。
恋人がイヤなら、恋人と別れたらいい。
……しかし、このカラダで起こることだけは、逃げようにも逃げられない。
絶対に逃れられない肉体という鎖に絡めとられ、私は瀕死状態でした。
「参りました! もう勘弁してください!」
そう叫んでも、運命さんはヘラヘラと笑って近づいてくる。
容赦ありませんでした。
逃げても逃げても逃げても。
運命という名の「気まぐれ野郎」が「ねぇねぇ、遊ぼうよ~」と追いかけてくる。
ようやく「ああ、逃げてもはじまらない」「逃げれば逃げるほどに、恐怖も大きくなるんだな」という当たり前に気づいてからは、「まずはその運命を、『そうなんだな』と受け入れられたらいいな」と思えるようになりました。まあ、すんなりとはいきませんが……。
そうして、今になって、母の闘病から自分の闘病を終えるまでの数年間、この一連の苦しい出来事が、
「すべて、この私にふさわしい出来事だった」
としみじみ思うのです。
私の絶望の大きさ、私の悲しみの大きさ。
それは、すべて私の精神性に合致した、私にふさわしいサイズの出来事だった。
これは、私の精神が作り出した「私ならではのストーリー」なのです。
そう認めるしかないのです。
同じ乳がんになっても、母のように「大丈夫よ、なるようになるわ」と思える人もいます。同じガンでも「まったく違う世界を見て、違う体験をしている」と言えるのでしょう。
柳のような風まかせの、でも折れない柔らかさと強さを、私も身につけられたらなぁ。
母の遺伝子の50%を受け継いでいるはずだけれど、やっぱり私と母の脳みそはまったく違う。
ミソ「……なんか、ごめんね。こんなミソで」
私「何言ってるの。ミソちゃんがそんなこと言ってどうするの。私たちは私たちのやり方で、この世界を生きていこうよ」
ミソ「だよね、ミソも、自分を卑下したりしないでおこう」
私とミソちゃんは一進一退でしたが、しかしほんの少しずつでも、新しい自分をつくっているのでした。
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