まちがえた! やっちまった! 選択ミスのときこそ、わたしたちの真価が問われる
前回は、よく考えた上で、まず選ぼう。そして選んだモノを正解にしよう。ということをお伝えしました。
そして今日は、「そんなこと言ったって、間違えた場合はどうするのさ?」について考えていきます。
(おさらいしたい方は前編をどうぞ⤵)
私たちの人生には「失敗や間違いはつきもの」です。
間違えまくるのです、私たちは。
熟考して選んだのに、時を経て「失敗した」「まちがえた」なんてことが頻発します。
人間とは、良くも悪くも変わる生き物です。
「やっぱり合わない」「やっぱり無理」「この状況から離れた方が幸せになる」と思うようになったら?
そうです。
再びあなたが試されている。
目の前に現れた、新たな「どうする?」。
その人や、そのモノや、その状況と、お別れしましょうか?
現状維持でいましょうか?
今度は、新しく何を選びましょうか?
少し話が逸れますが、「すばらしいなぁ」と思った話があります。
欧米人のお父さんが、学校から帰宅した小学生の子供たちに向かって、
「やあ、おかえり。今日はどんな失敗ができたんだい?」と問うのです。
子供たちは、今日学校であった失敗を、お父さんに嬉々として話します。お父さんは「失敗できたならよかった。失敗しないってことは、チャレンジできなかったということだから」というニュアンスを、言葉に忍ばせます。
子供が「失敗するって悪いことじゃないんだ! 怖くないんだ!」と思え、常に新たなことにチャレンジしたくなるよう言葉がけをしているのです。
なんてステキなお父さんなんでしょう。こんなことを子供に言える大人がどれくらいいるでしょうか。
いつからだったのでしょう。
私は「失敗するのが怖い」「間違えたら恥ずかしい」「失敗したらとんでもないことになる」という恐怖と羞恥心を全身にまとわせて、大人になったような気がします。
本来、生きるということは、ロープレみたいなもの。
私たちの人生には、死ぬ瞬間まで「選択」が追いかけてくる。
どうせ同じ冒険なら、ずっと「恐怖」しながら選択し続けるよりは、「わくわく」「ドキドキ」しながら選びたいですし、その方が人生が楽しいに決まっています。
だから「選択」の際、覚えておきたいのです⤵
さて、そんな風にして、のちのち「なにかの選択を正解にできた」としましょう。「あの時、〇〇を選んでよかった」「今、幸福な状況なのも、あの時△△したからだ」と。
そう思えたとき、不思議なことが起こります。
過去が変わるのです。
過去のさまざまな選択において、「間違えたな、失敗したな」と苦い記憶とともに後悔していたことが「正解」に変容していきます。
「あの失敗がなければ、今の自分はない」。
もし、そのように思えたなら、オセロの色が黒から白へとひっくり返っているということです。
オセロの、角をとる一打を、自分で打ったのです。
そういう意味で「過去は変えられる」し、今現時点の「失敗」も、ずっと未来に「あの失敗がなかったら、どうなっていたことか!!」とすら思えている可能性が十分にあります。
元来、へなちょこタイプの私へ、そう言い続けてやろうと思います。
今、なにかに迷っている、悩んでいる最中の、そこのあなた。
苦しいだろうけど、頑張って!
大丈夫!
酔狂にも、こんな文章を読むくらいだから、きっと大丈夫!!(笑)
長くなりました。また、どこかでお会いしましょう。