【短編小説】ものぐさ太郎(1)
信濃国筑摩郡の街道沿いの片田舎。そこのあたらしの郷というところに、太郎という青年が住んでいた。
太郎は超がつくほどの怠け者であった。
土地を買って田畑を耕して米や野菜を育てるわけでもない。生活に必要な物を作ったり、誰かが作ったものを街へ売りに行ったりするわけでもない。生産的な職業がダメなら、歌や舞、管弦、鼓などを極めて町の辻で披露するとか、出家して僧侶になるという道もある。が、太郎はそのどれにも就かず、隣国飛騨とを結ぶ街道沿いにある市の廃墟で暮らしているのである。
働いていないのなら、どのように生計を立てているのか? というと、行き交う人たちからおこぼれを貰っている。動けない太郎の様子を見た人が「施し」ということで、食べ物や銭を分け与えることがある。特に市がある日は稼ぎ時で、近くの木にもたれかかって、何か買った者から食を乞う。そうすると、優しい人や物好きは彼に市で買った物をくれることがある。少し悪どいが、暮らしているのが街道沿いで、市の立つ東屋ということをフル活用したやり方である。ちなみに銭に関しては、食べ物が無いときにこれを使って交換してもらう感じだ。
超がつくほどの怠け者ということ以外にも、太郎にはもう一つ欠点があった。彼の外見を「不潔」の一言で言い表せるほど清潔感が無いのだ。
垢まみれのボロボロの服に砂塵で汚れた顔。結うこともなく伸びるままに伸ばし、虱(しらみ)の湧いたボサボサの髪。お世辞にもきれいな見た目とは言えない。不潔の権化のような見た目をしているので、当然体臭は臭い。
村の人々は、そんな太郎を怠け者とか、めんどくさがりを意味している「ものぐさ」という語を頭につけて、
「ものぐさ太郎」
と呼び、嘲笑していた。
ある日の太郎は上機嫌だった。街道を歩いていたお坊さんから餅を貰ったのである。
(久しぶりにまともな食にありつけたぞ!)
砂塵で汚れた顔にうれしそうな笑みを浮かべた太郎は、僧侶からもらった餅を眺めていた。
(このまま食べるのはもったいないな。しばらく眺めておくか)
うまい物は眺めているだけでもいい。腹はいっぱいに満たされなくても、心は満たされる。それに、カラスとかネズミが来なければ減るものでないし。
楽しそうに餅を眺めている太郎。そこへ、一羽のカラスが、餅を奪いにやって来た。
カラスは脇に置いていた
「カラス、この野郎!」
人様の楽しみをよくも! 怒りに突き動かされた太郎は、落ちていた石ころを拾って、餅を盗んだカラスを追いかけようとした。
殺気を感じたのか、カラスは足から餅を放し、そのまま飛び立っていった。
太郎は取りに行こうと思った。だが、家から出るのはめんどくさいから、誰か取ってくれるだろうと思って待っていた。
しばらく誰かが拾ってくれるのを待っていると、餅の前を紺色の直垂を着た地頭の一団が通りかかった。調度いい。彼らに声をかけよう。
「そこの人、餅取って!」
太郎は地頭の一団に声をかけた。だが、地頭の一団は苦い顔をしながら通り過ぎていく。
太郎はもう一度、餅とって! と声をかけた。今度はもっと大きな声で。
「こら、この御方を誰と心得る!」
地頭に付き従っていた赤や緑の糸で威された腹巻を着用した郎党は、太郎を思いっきり蹴とばした。
道端に倒れる太郎。痛そうに蹴られたところを抑えながら、
「餅取ってくださいって言っただけなのに、いきなり蹴るとか無いでしょ!! それに、餅すら取ってくれないなんて、とんだ怠け者だ。よくそんなので地頭が務まるな」
と怒鳴った。
「口答えするとはいい度胸だな」
赤や緑の糸で威された腹巻を着用した郎党の一人は、持っていた薙刀を突きつけ、太郎を斬ろうとした。
物思いにふけって、馬上から乞食の顔をじっと見ていた地頭は、
「待て!」
と郎党の一人を制止した。そして、目の前にいた異様な風体の青年に、
「お前がこの郷で有名な、ものぐさ太郎、という者か?」
と聞いた。
太郎は、はい、と答えた。
「地頭である私に、餅を取れと命じるとは、いい度胸をしているな。おもしろい」
「そんなこと言われても照れるな」
垢や埃で黒ずんだ顔に、若者らしい無邪気な笑顔を浮かべる太郎。
「申したいことがあれば、何でも申してみよ」
「申したいこと、か」
太郎はしばらく頭を抱えて考えたあとに、
「なら、働かなくても食えるようにしてくれませんかね?」
と言った。
「ほう。もし畑が欲しければうちの持っている畑を、商売がしたければ元をやろうと思ったのに。もちろん住居や衣食住も保証してやる。どうだ?」
「いや、いいです。おれ、昔から働くことに向いてないんで。畑とか耕してもすぐに疲れるし、商売もやってみたけど、ダメで。職人仕事もしてみたんですけど、あまりに出来が悪かったので破門されました。で、住むところも無くなって、こうして空いてる市の建物に勝手に住んでます」
「よし、わかった。お前の最低限の生活は保証してやる。あとは勝手にしろ」
働きたくない、いや、働けない太郎のために地頭は、太郎に飲食物を恵んでやるように、とお触れを出した。もし恵まないのなら、村八分にするという罰則付きで。
太郎はこれで、3年食いつないだ。
ある日村に、都にいる守護からお触れが届いた。屋敷を建て替えることとなったので、誰でもいいから人を出すようにとのことだった。
守護からのお触れを承け、村の神社では、村長としての役割を担っている名主様を筆頭に、土地を持った百姓たちが集まって寄合を開いた。議題はもちろん、人夫として誰を差し出すかについてである。
「名主様、どうしますかね?」
村長から見て右側に座っていた村人の与作は、上座に座っていた名主様の意思を伺った。
「うーむ……」
名主様は腕を組み、困った表情で唸る。村には手の空いた若者がいなかった。善光寺や諏訪明神の門前町へ行商に出ていたり、一昨年に終わった南朝と北朝の合戦での兵力として取られているからだ。村にいるある程度の年齢の若者といえば、跡取り息子や女性、元服の年齢に達していない子どもしかいない。
「もういっそ、ここから逃げてしまいますか?」
「いや、ここは我らの遠いご先祖様の代から悪水を掃き、葛や葦といった雑草を刈り取り、必死の思いで切り開いた土地。捨てるなんてとんでもない」
「こうなれば、我ら刀槍を持って地頭様のお屋敷を取り囲んで抗議する他あるまい。皆の物、一揆だ!」
「おーっ!!」
与作を中心とした村民たちは、守護の圧政に抗議すべく、一致団結した。
「皆の者、落ち着きたまえ!」
血気にはやる村民たちを、名主様はなだめる。
そんな中でも一人落ち着き払っている男が一人いた。同じく村民の治五郎だ。
治五郎は目を開き、
「いい案がある」
と言った。
「どんな案かな?」
名主様は聞く。
治五郎は、街道沿いの市が開かれる東屋を占拠して暮らしているものぐさ太郎という者がいること、そして、その男は力も体力も盛りの時期で暇を持て余していると言った。
「ほーう」
「ものぐさ太郎というごく潰しを減らせば、この村にも多少の余裕が生まれるはず」
キリっとした表情で、治五郎は血気にはやる村民の方を見た。
呆れた表情で与作は、
「治五郎辞めとけ、あんな奴に守護様のもとで仕事なんか出来っこないって。それだったら人柱にでもした方がいい」
とため息を一つついた。
「俺はあんな奴を人柱という神にさせる方が失礼だと思うがな」
「何だと!?」
与作は治五郎の襟裾をつかみ、投げ飛ばした。
「やるか? 与作」
平然とした表情で、治五郎は与作に聞き、襟裾を力強くつかむ。
「まあまあ二人とも喧嘩はやめて! ここはお互いの気持ちを尊重して、その太郎という言っておくからさ」
いきなり喧嘩が始まったので、名主様は慌てて二人の間に入る。そして今にも殴りかかりそうな二人を村民たちは羽交い絞めにして引き離す。
何も知らない太郎は、市が開かれるあばら家で一人眠っていた。
太郎の寝顔は、とても幸せそうな顔であった。この感じだと、いい夢でも見ているのであろう。
そこへ名主様を中心とした村の男数人がやってきた。
「おい、太郎! 起きろ!」
与作は寝ている太郎に向かって大音声でまくしたてた。
大音声を聞いた太郎は、とぼけた顔で、
「何だよ、人がいい夢を見てるときにさ……」
大きなあくびをして目を開けた。視線の先には、険しい表情をした村の男たちの姿があった。
(続く)
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