辺境の地、沙頭角を「歩く」
クリスマスホリデー最後の日。
社交ダンスグループから広がった集団感染の波が未だ収まらない香港で、この3連休、私達夫婦は一度お姑の家にご飯を食べに行っただけで、ずっとステイホームしておりましたが、今日は夏のような快晴だったので、お義父さんの墓参りがてらツーリングに出ました。
お義父さんのお骨は中国との辺境の地、沙頭角にほど近い霊園に納められています。毎回お墓参りで沙頭角の金網と鉄条網で隔てられた村の入り口を目にする度に思い出す思い出があります。
沙頭角とは、その昔香港が英国植民地だった頃、香港新界と中国深圳塩田區のボーダーに跨って位置していた為に「辺境禁区として封鎖された区域」です。中国本土からの不法な越境を防ぐ為、当時の旧香港政庁(=イギリス)が1951年に香港側に設定した約28㎢の緩衝地帯。詳しくはこちら↓↓
既に中国となった香港との間には、もうこの禁止区域は意味をなさないものとして、60年もの間辺境禁止区域として閉ざされていた村が開放され始める訳なのですが、その初回が2012年2月15日でした(この時開放されたのは28㎢のうち7㎢余り)
私は山歩きが好きな友人Sに声をかけられて、解放直後の2012年2月19日に、その初回開放された沙頭角の村に散策に行ったのでした。
近くまでバスでやって来て、
この時点では一部(6つの村)が開放(2020年現在は元々封鎖区域28㎢中→約4㎢が依然封鎖区域)
これが中国とイギリスの境界線という石ですが、2012年開放当時の区域にはこの場所は含まれておりません。
村人たちは許可証を持っていて、普通に生活しているのですが、豊かな自然がある未開地のように、自然に食いつぶされたような廃屋もあちこちに普通にありました。
で、最初は普通に開放された「村」を散策していた私達ですが、
村人以外は自由に行き来できない封鎖区域だからと言って、村民たちにとってはタダの居住地。観光地でも何でもないので、結構すぐに見終わってしまいます。
「ユウさん、こっちこっち」とSに呼ばれて行くと、村の後ろ側すぐが、裏の山に続く道になっているようです。
「は?今日は山歩きじゃなくて、開放された村の散策って話やろ。山なんか登らんよ?」と言う私に対して「まあまあまあ、そんな大した山じゃありませんから、散策がてら軽く」と言いつつ、ずんずんと登っていくS。
とは言え、ちょっと山に入ると「これは道か?」と思うような枝に阻まれた歩道っぽくない道を
本当にこの方向で合っているのかどうかわかっているのか疑わしい中、どんどん険しい道に入っていくS。
枝の中を歩いているようなひどい道に「いやいやいや、私は山歩く気で来てないし?」という私に自分が持ってきた軍手を渡し、それ以上の反対意見には余り構うつもりはないらしいS。
歩いていくとやっと歩道っぽい山道にぶつかりました。っていうか、この時Sはしっかり山歩きの装備だという事に気づく私。
坂道や階段などを、どんどんどんどん登っていきます。
・・・って結構登りました。
視界が開けたと思ったら、登山者が道しるべとして残すらしい木の枝にリボンで進むコースがマークしてあるのが見えました。
ここに登ってきた時点で一時間ちょっとくらい経っていたので下りようと言いましたが、ここで引き返す気が全くないらしいSは「じゃあユウさんはこのまま先に下りていいですよ。道わかりますか?」と言い、あの道なき道にどうやって戻ったらいいかもわからない私はついていくしかありませんでした。
他のグループの人が「深圳のテレビ塔だ」と言って白い建物を指さしていました↓↓
視界が開けたところを抜けると、今度は細かく区切られた石段が、先が見えないほど延々と続いているのが見えて絶望感に襲われます↓↓
延々続く石段をやっとの事で下り終わった途端、中国との境目の鉄網が目の前に広がっていました。もう道ないじゃん!
「前門の虎、後門の狼」ならぬ「前門の鉄網、後門の石段」で仕方なく網づたいに右に進んでいく事にしましたが、これも人が歩く事を想定しているとは到底思えない道なき道です。
ちょうどここで立ち往生していた別の山歩きグループがいたので、皆道がわからないながらも話をして、網の向こうが平坦な車道なので、この車道沿いに行って見ようと結論します。
落ちたら結構痛そうな高さの大きな溝があって、一人ずつ順番にこのパイプを伝って渡ります。
パイプの上を渡って、どんどん行くとやっと普通の道に辿り着きました。
パイプ周りの地面が陥没していて歩けなかった為、抜けるまで結局このパイプ伝いでした。こんな人一人歩くのがやっとなパイプ伝いの道↓↓
そのパイプ伝いの道の網の向こう側はこんなに平坦な道↓↓
鉄条網の向こう側に見える中国側の免税店。
「いや~、ユウさんのお陰でいい下見になりました」とご機嫌なS。
Sの山歩きサークルでは、毎回持ち回りでリーダーが選ばれ、リーダーは皆を率いて歩くコースを選ぶらしいですが、どうやら当時ホットな沙頭角付近の山歩きを計画したかったらしいSは、最初からコースの下見を兼ねて来たようでした。
そうとは知らない私は、まんまとSに乗せられて山歩きコースの下見に付き合わされました。
それにしても村の家屋の上には、こんなオレンジ色の花をつけた雑草が生えまくっていました。
封鎖されていたとはいえ、この60年余り村人たちは此処で普通に生活しているはずですが、雑草が屋根の上にこんなに伸び放題になっていても
石壁にまるでモチーフのように雑草が食い込んでいても
手入れしようとか、そういう気には全くならないんだなと、村の荒れ果てた在り様に少なからず衝撃を受けた私でした。
数十年前は、これも石壁の可愛い装飾ではあったのでしょうが・・・。何か全てが不気味な荒んだ光景に映りました。
帰りの電車の中では「ひどい目に遭わされた💢」と憤慨する私を「まあまあ、でもなかなか経験できるコースじゃありませんから」となだめるSの姿がありました。
*後日談:
私と歩いたこの危険なコースをそのままサークルを率いて歩こうとしたSでしたが、パイプの道は危険だと判断されたらしく、もう封鎖されて下りれなくなっていた、という事でした。(当ったり前や!"(-""-)"っちゅうねん!)
サポートしていただけるとありがたいです。