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【短編小説】ものぐさ太郎(2)

「ちょっと待て!?」

 村人数人が押し寄せてきているのを見て、太郎は目をキョロキョロ泳がせていた。現実に頭がついて来ない。

 ──これは夢なんだ、夢だ。

 そう自分に言い聞かせ、平静を保とうとする。太郎はよく寝ているので、嫌な夢を見ることがたまにあるからだ。今目の前で起きている事象は、その類なのだろう。

 ──いや、待てよ、これは本当に夢なのか?

 よく夢を見ているからわかるのだが、嫌な夢の中でもまれに、これは現かと思えるほどに生々しい夢を見ることがある。こうした夢は、現実とさほど大差は無いから、夢か現かの判断をするのが非常に難しい。

 ──夢か現実かわからない時は、こうするといい。

 太郎は試しに自分の頬を思いっきり叩いてみた。感触はある。このまま目を醒ましてなんてこともない。どうやら夢ではなく、現実であるようだ。

 目の前にいた村人の与作は、村落一帯に聞こえるほどの大音量で、

「太郎、いつもの恩はしっかり返してもらうぞ!」

 と叫んだ。

「ごく潰しが!」

「この村から出ていけ!!」

 与作の一声を嚆矢に、村人たちの口から一斉に太郎へのヘイトが吐き出る。

(とうとうこの時が来たか……)

 耳を塞ぎながら、太郎は観念した。ずっと怠けてなんかいられない。いつかはそのツケを払わされる日が来る。そう漠然と思っていた。が、今この瞬間、しかも幸せな夢を見て寝て起きてすぐに起きるとは、思いもしなかった。

「みんな、静粛に!」

 太郎に罵声や日ごろの鬱憤を晴らそうとする村民を名主様はなだめた。静かになったのを見計らったあと、今にも泣きだして叫びそうな太郎の前へ、名主様はそっと歩み寄り、優しい声で、

「君が、太郎君だね」

 と聞いた。

「はい」

「年はいくつかな?」

「あ、え、18です」

「ほうほう」

 名主様はしばらく考え、再び質問をはじめる。

「一家の主になりたいとか、妻を持ちたいとか、そういうことも考えたことはあろう?」

「そりゃ、ね」

 もし、大きな池や名所を模した築山や庭石のある立派な屋敷に住み、きれいな妻を迎えて幸せに過ごせたなら……。太郎もそんな人並みか自分の身不相応な幸せを妄想したことは何度かある。

「一人前の男は、そうでなくちゃね。こんな辺鄙(へんぴ)なところで乞食をやっているのは、矜持(きょうじ)に傷がつくであろう。そこで、君に提案がある」

「なんすか?」

「京へ行ってくれないか?」

「京!?」

 驚く太郎。京はいろんな国の人やモノが集まる賑やかで雅な場所だと子供の頃に聞いたことがある。田舎で通りがかりの人に食を乞うて命を繋いでいる自分が行っていいような場所ではない。

「ああ、そうだ」

「でも、交通費とかはどうするんですか?」

「それなら心配ご無用。私と地頭様で折半して出すから」

「それなら──」

 行こう、と太郎は返そうとした。が、名主様は太郎の返事を遮り、

「ただし、そこではしっかり働いてもらおう。ここは地頭様や村のみんなの恩返しと思って行ってくれるとうれしいな」

 村民たちの思いを代弁した。

「めんどくせーなー。やっぱり辞める」

 太郎は、よっこらしょ、とつぶやいて、筵の上で軽く寝返りを打った。

 ふてくされる太郎に、名主様は、

「京にはきれいな女がたくさんいるし、見たことのないうまいもの、珍しいものもたくさんある」

 と脳内の悪魔のようにささやきかけた。

「それは、本当か?」

「ああ、本当さ。見目麗しい遊女もたくさんいる。食べ物もたくさんある。何でも、京では朝昼晩の一日三食食べられるからね」

「三食かぁ……」

 太郎は「三食」という言葉を聞いて、よだれを垂らした。一日朝と晩の二食でも贅沢だというのに、お昼にも何か食べると、罰が当たるのではなかろうか?

「どうだい? 君はまだ若いから、行ってみる価値はあると思うんだ」

「そうかい」

 再び寝返りを打った太郎は、よっこらしょ、と言って起き上がり、

「そうかい。まあ旅の準備とかはめんどくさいが、仕方ないお前たちには世話になってるから、行ってやるよ」

 と言って立ち上がった。

「ありがとう」

 太郎が起き上がった様子を見た名主様は、嬉しさと優しさのこもった笑顔で、彼の旅立ちの決意に感謝した。


 後日、太郎は地頭の郎党に連れられ、18年暮らした信濃を旅立った。

 隣の駿河へと出て、駿府から海路で伊勢の津へと出た。ここからは陸路で鈴鹿山を超えて、近江へと入っていった。

 通り道では、富士山や琵琶湖などといった景勝地を見た。信濃から出たことが一度もない太郎にとって、布教のため各地を廻る旅の僧侶や御師、巫女の噂でしか聞いたことのないこれらは、想像以上に雄大なものであった。信濃の田舎にある市の廃屋で生きていた自分が、とても小さく見える。

 同時に、この雄大さを歌にしたらどうなるだろうか? とも考えた。女を口説くには歌が詠めなければいけない。

 富士山を見たとき、鈴鹿峠を通ったとき、琵琶湖を見たときに考えてみた。が、今までろくに勉強という勉強をして来なかった太郎は、すぐに情景や感動を和歌にすることができなかった。

「京に出たら、歌の勉強もしないとだな」

 そう心に誓った。自然の情景をさらりと31音の歌にできないのでは、相手を口説こうにも口説けない。


 近江からは琵琶湖の水運を利用して大津から西へ向かい、山城国の境にある蝉丸の歌で有名な逢坂山を超え、山科へ入った。賀茂川にかかる三条大橋を渡り、京都へと入る。

 将棋や囲碁の板のように整然と立ち並ぶ公家や武家の屋敷、東寺の五重塔や清水寺といった京都の名所という名所が見えた。

 街の中へ入り、行き交う人を見てみる。

 牛車に乗る公家。直垂を着、腰には立派な拵をした太刀を帯びて我が物顔で大路を闊歩している武士。店舗を構えて物を売る商人。民衆に説法をする僧侶。辻で芸を披露する者。信濃とは違って、京都にはいろんな人がいる。

「すごいな!」

 太郎は初めて足を運んだ京の景色に呆気にとられた。噂で聞く以上に立派である。「百聞は一見に如かず」というが、まさにこのことである。

 ──きっと、楽しい生活が待ってるんだろうな。

 これだけにぎやかであれば、信濃にいたときみたいに、毎日ただ過ぎていくだけの退屈な日常は送らないだろう。

 ──いろいろ面倒くさいことがあったし、これからあるけど、来てよかった。

 心の奥底から太郎はそんなことを思った。


 現実は太郎が思い描いていたほど、上手くはいかない。

 名主様との約束通り、太郎は守護の屋敷建て替えという労役をこなした。だが、普段身体を動かさないからなのか、基礎に使う石や柱や梁などに使う木材などの重い物を持ったとき、上手く運べないことがあった。

 落としてしまう度に、屋敷の普請奉行を務めている家臣から、

「こら、落とすな!」

 と叱られる。

「すみません」

 申し訳なさそうに、太郎は謝る。そして落とした石や木材を持っていくといった有り様であった。対して、太郎以外の者たちは、日々畑仕事や漁、戦場などで体が鍛え上げられていることもあって、悠々と物を運んでいく。

 毎日この繰り返しだった。自分が非力であることは、太郎自身も自覚していた。すぐに疲れるし、誰よりも飲み込みが遅いから。


 それでも太郎は、逃げずに仕事をこなそうとした。雨の日も、風の日も、筋肉痛の日も。

 怠け者の太郎がどうしてこうも根気強くなったのか?

 これについては、「朝昼晩一日三食」という最新鋭のパワーワード、京都で生活したいとか、心機一転して頑張ろうという思いもある。が、それよりも大きいのは、誰も太郎のことをバカにしないということだった。

 仕事が終わったあと、同じく守護屋敷建造の現場で作業をしている仲間が話しかけてくるのだが、そのときに、

「お疲れ様」

「若くてこんな細い身体してんのに毎日頑張ってるな!」

 といったねぎらいの言葉をかけられていた。

 温かい言葉をこんなにたくさんかけられたのは、太郎の人生で初めてだった。誰かが自分のことを必要としてくれている。生まれ育った信濃にいたときは無かった。

 太郎は幼少期、更級郡にある名主の家で育った。本来彼を育てたり引き取ったりする両親や兄弟、親戚がいないからそうせざるを得なかったからである。当然厄介者扱いされる。天涯孤独属性に加え、太郎には誰よりも不器用で非力だったところがあったから、ろくに仕事を覚えられなかった。そのため、さらに邪険に扱われた。

 13歳のときに太郎は、ずっとこき使われていた故郷の名主の村を出た。そして隣村の畑を手伝ったり、近所の職人に弟子入りしたりして、自分の食い扶持を稼いだ。そこでも自身の要領の悪さから怒られたり同僚などからいじめられたりした。

 怒られ続けていくうちに、ただでさえボロボロな太郎の自尊心は、次第に壊れていった。そして、もう働くのは嫌だと思うようにもなった。自分が何かをするだけでも人を不快にさせる。だから、どうせ何をやっても身に付かないし、長くも続かないんだ。なら、もう働かない。飢えて死ぬなり、野良犬の餌になるなりしてしまえ。

 かくして、名字も姓もない少年太郎は、自身の能力への絶望から「ものぐさ太郎」へと変貌していった。


 周りから温かい言葉を投げかけられていった太郎は、同じく守護屋敷の建築現場で働いている仲間たちとも打ち解けるようになっていった。

 あそこの市の食べ物がうまいとか、どこそこの遊女がどうだみたいな話をして盛がるといった具合に。

 どうやったらうまく運べるかについては、周りの人に聞いた。そしてそれを一つ一つ噛みしめるように自分のものにしていった。そして、いつも仕事終わりに仲間たちから、

「今日もよくやったな」

 と暖かい言葉をかけられる。そんな何気ないことが、太郎の心を温め、やる気を奮わせた。

 褒められてできることが一つ、また一つと増えていく。そのこともまた、太郎の京都生活、ひいては人生そのものをより良い方向へ導いていった。


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佐竹健
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