ルイス・ブニュエル監督 『アンダルシアの犬』 : かつての〈映画的テロリズム〉
映画評:ルイス・ブニュエル監督『アンダルシアの犬』
「女の眼球をカミソリで切り裂く」カットが、余りにも有名な作品だが、有名なわりには、意外に視られていないのではないだろうか。
というのも、本作は、1928年に製作されたブニュエルの監督第1作にして、十数分ほどのサイレントの短編映画だからである。
本作は、明確な筋を欠いた実験的前衛映画であり、シュールレアリスム画家として名高いサルバドール・ダリが協力していたため、「シュールレアリスム映画」と呼ばれることも多い。
明確なつながりを欠いた意味不明な展開や、男の引き摺るピアノの上に、なぜか腐乱したロバに死体が置かれていたり(ダリの「柔らかい時計」を想起させる)、ピアノには双児の矮人がロープで繋がれていたりと、いかにもグロテスクで怪奇な非現実的イメージが登場し、ダリのファンにはお馴染みの「(手のひらに)蟻がたかっている」というカットもあった。
こういう作品が無かった当時にすれば、本作は相当に挑発的な内容と受けとめられたであろうし、ブニュエルにも、当たり前の「映画の文法」を超えよう、壊そうという「反抗的な意図」があったことは、疑い得ないところだ。
また、「意味」を排除しようとしたからこそ、ブニュエルの「世界観」がそのままイメージになったとも言えるだろう。
だが、今となっては、ことさらに驚かされるほどのことはないし、むしろ軽快な音楽に乗って展開される意味不明な物語は、意外にユーモラス面も少なくなかった。
しかしこれも、ブニュエルの個性の一側面であろう。ブニュエルの「攻撃性」あるいは「サディズム」は、暗く陰湿なものではなく、「挑発的な哄笑」に満ちた、一種の「映画的テロリズム」という側面が、たしかにあるのだ。
私がひとつ気づいたのは、前記の「手のひらに蟻がたかっている」カットや「切断された手首が道に転がっており、それを男が弄っている」といったシーンは、後のデイヴィッド・リンチに影響を与えたのであろう、という点だ。
ブニュエルのスタイリッシュな映像と、ダリのグロテスクな軟体趣味の複合したところに、リンチの被害妄想的な官能趣味が共振したのではないかと思われた。
ともあれ、いま視てどうというような作品ではないと思うが、映画を語る上での基礎教養として、一度は視ておく必要のある作品だとは言えるだろう。
初出:2020年1月5日「Amazonレビュー」
(2021年10月15日、管理者により削除)
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