佐々木守 『竜宮城はどこですか』 : 記憶の彼方の〈幻〉
書評:佐々木守『竜宮城はどこですか』(くもんの児童文学)
佐々木守と言えば、知る人ぞ知る名脚本家だ。そしてさらに、漫画原作者、放送作家としても活躍した人である。
私を含む普通の者は、脚本家の名前など、知らなくて当然。映画やテレビドラマの世界は、まだまだ監督がメインで、脚本家は次席扱いだからなのだが、しかし、私と同世代の、殊に『ウルトラマン』などの「テレビ特撮ドラマ」のマニアたちにとっては、佐々木守は、『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』の脚本家というに止まらず、『アイアンキング』や『シルバー仮面』『怪奇大作戦』といった特撮ドラマの脚本を書いた人としても「特別な存在」である。
さらに佐々木は『柔道一直線』『刑事くん』『奥さまは18歳』といった若者向け現代ドラマや、テレビ時代劇、刑事もの、はてはアニメ『アルプスの少女ハイジ』まで手がけ、じつに多彩な活躍をした「伝説的な脚本家」と呼んで良い人物であった。
そして私も、こうした佐々木脚本作品の洗礼を満身に浴びて育った者の一人であり、自覚の有無にかかわらず、その影響は計り知れないはずだ。
しかし、さほどマニア気質のある人間ではなかったためか、関連文献のなかで何度も佐々木の名前を見かけていながら、佐々木守という脚本家を強く意識することはなかった。
同じ「ウルトラマン」脚本家でも、例えば、金城哲夫や市川森一といった、社会性の強い脚本を書いた人に注目することが多かったのである。
そんな私が、佐々木守に注目したのは、こちらも『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に関わった個性派「監督」として知られる実相寺昭雄の、晩年の作品『ウルトラQ・ザ・ムービー 星の伝説』を観たことがきっかけであった。
私は、実相寺晩年の作品を必ずしも高く評価しておらず、この映画もかなり後になって、ビデオで観たのだが、この作品に漂っていた、濃厚な「伝奇」性に、ほとんど忘れかけていたドラマを、ひさしぶりに思い出したのである。
そのドラマは、タイトルさえ憶えておらず、ただ「主人公である主婦の夫が、ある日、忽然と失踪し、その行方を追う主人公の行き先に、浦島太郎伝説が絡んでくる」という、現実とお伽話伝承の世界が奇妙に交錯する作品で、その一種独特の妖しい世界観が、私に忘れがたい印象だけを残していたのだった。
高校生になって活字本を読むようになった頃、私はこのタイトル不明のドラマが、伝奇SFを書く小説家・荒巻義雄の『天女の密室』をドラマ化したものではないかと、一度は当たりをつけた。その文庫本には、ウミガメの写真がコラージュされていて、いかにもイメージがぴったりだったからである。
ところが、実際に読んでみると、これはまったく別の作品であることがわかった。荒巻の『天女の密室』は、タイトルどおり、密室ものの推理小説であり、失踪事件を扱うものではなかったからである。
ここで「謎のドラマ」の手がかりを完全に失い、10年も過ぎてからだろうか、前述のとおり、実相寺昭雄の『星の伝説』を観て、思いも寄らず「謎のドラマ」探索の糸口を手にしたのである。
「この作品の脚本家である、佐々木守が、あのドラマに関わっていたのでは」と、ネット検索してみたところ、ついにそのドラマのタイトルが判明した。
本書のあとがきでも言及された、本書の原型となったドラマ『三日月情話』が、それだったのである。
『三日月情話』は1976年の作品。私は当時14歳の中学生である。
しかし、このドラマは、大人(主婦層)向けのドラマ(昼ドラ?)だったはずで、どうして中学生の私が視たのか、そのあたりの事情は判然としない。たぶん、同居の祖母とたまたま何度か視ただけで、全話を通して視たわけではなさそうだし、タイトルを憶えていないくらいだから、当時はそれほど面白いとも思わなかったのではないだろうか。
ただ、なんとなく、その謎めいた雰囲気だけが印象に残り、後年、小説を読むようになってから「あの作品は何だったんだろう」と考えるようになったのではないかと思う。
さて、およそ40年ぶりに、再会した『三日月情話』は、『竜宮城はどこですか』(1998年刊)というジュブナイル小説となっていた。
この小説作品では、ジュブナイル化に合わせて、語り手は少年に、失踪するのは少年の姉に、という風に設定変更がなされていたが、ストーリー自体は、大筋で変更は無いようであった。
私にとっては、まさに「幻の作品」だった『三日月情話』が、ジュブナイル小説に姿を変えた本作『竜宮城はどこですか』は、さて、どうであったか。
もとより、子供の頃の印象そのままのものが読めるとは思っていなかった。
私もすでに否応なく、すれっからしの小説読みになっていたから、失望する可能性の方が高いだろうと覚悟して、それでも確かめずにはいられなかったのだ。
はたして、記憶に刻まれていた『三日月情話』の妖しい世界観を、本書で十全に再体験できたとは言わないが、それでも、その香りを感じることは、たしかにできた。
特に、主人公が姉を求めて、浦島伝説や羽衣伝説の残る実在の地を旅するくだりは、『三日月情話』もこんな感じだったと思わせるものがあった。
ただ、中盤で明かされる、謎の失踪の真相は、小説としては、やや無理があって十分な説得力があるとは言えず、不満の残るものであった。
たぶん、私は『三日月情話』も、このあたりまでは視ていなかったのではないだろうか。真相が明かされなかったからこそ、イメージが極限まで広がり、損なわれることもなかったのかもしれない。
しかしこの弱点も、小説家ではない佐々木ではなく、例えば、この種の小説が得意な幻想小説家(例えば半村良、中井英夫、平山瑞穂など)がリライトして、もっと書き込んだなら、もう少し『三日月情話』に近い世界が、小説として再現できたのではないかと惜しまれもした。
やはり、あの独特の世界観を再現するには、それなりの「文体」が必要であり、ジュブナイルとして読みやすく書くという試み自体に無理があったというのが、私の偽らざる評価である。
今後『三日月情話』本編を視る機会があるかどうかはわからないし、視れば、記憶のイメージと違ってしまい、失望することになるのではないかと怖れる気持ちもある。
しかし、その機会があれば、私はきっと視るだろうと思う。
それが、とらえどころがない〈幻〉のようなものであったとしても、確実に私を魅了し惹きつけるものであれば、そこへ手を伸ばさずに、ひきかえすことなど出来ようはずもないからである。
初出:2019年8月8日「Amazonレビュー」
(2021年10月15日、管理者により削除)
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