平等が「不平等を生む」その先の未来/多様性・障害・格差
こんにちは!
どしたネコックス🥤だよ~。
私は「不平等」って言葉が苦手です💦好きな人いますか?
「平等」の方が好きって人の方が多いんじゃないかな……。
でも「平等」が新しい不平等を生んでしまう矛盾を知っていますか?
今日は「平等」の光と影、その影から抜け出す手順を書きたいと思います。
みんな違って、同じ人なんていない
私はルイさんのエピソードに深く共感しました。(🔗ASDの私が、コミニケーションで苦労してきた恥の気持ち。)
発達障害の特性や周囲との違いによって感じる生きづらさや孤立感は、私自身も似た経験があるからです。
人はみんな違います。運動が得意な人もいれば、勉強が得意な人もいる。
でも、学校のような「平等な機会の提供」はその個人違いを考慮しません。全員が同じカリキュラムで学び、同じ基準で評価されます。これは一見「平等」ですが、発達障害などで苦手なことを強いられる子には、むしろ不平等に感じられることがあります ── 私やルイさんのように。
極端な平等がもたらした悲劇
不平等がなくなればすべてがうまくいく──。その考えは、一見魅力的に聞こえます。特に、発達障害や精神疾患を抱える人々にとっては、平等な社会を願う気持ちはとても切実です。ですが、歴史の教訓は、私たちに異なる視点を与えてくれます。
1970年代のカンボジアでは、極端な平等を目指し、表面的には格差がなくなったように見えましたが、実際には社会全体が停滞し、新たな不平等と苦しみを生み出しました。
カンボジアの結果:
行った施策:「全員が農民」という平等な社会を構築し、知識階級やエリート、医師や技術者といった「不平等な存在」を処刑もしくは農村部へ強制移住。格差社会を無くした。
社会の状況:
教育機関がなくなり、全員が教育を受けられなくなったことで、一見「格差・不平等が消えたように見えた」が、知識や技術の継承が途絶え、社会の基盤が崩壊。
農業以外の医療や工業などの分野がすべて崩壊し、国全体が停滞。
不平等をなくすため、個人名は削除。人は番号で呼ばれた。
読書や眼鏡かけているだけで知識階級とみなされ処刑(家族ごと幼子も例外なし)
死亡者数:推定170万人(当時の人口の約4分の1)
死亡原因:餓死、過労、医療不足、処刑(推定2万人、安楽死ではなく銃弾も使わず撲殺など凄惨な処刑。キリング・フィールド(大量処刑場)での遺骨発掘は今も続く)
経済:崩壊(学校や病院が廃止され、農業以外の産業が壊滅)
教訓: 極端な平等の追求は、社会を崩壊させ、悲劇を引き起こす。
カンボジアの失敗は、極端な平等を追求することが、逆に多くの人を不幸にする例でした。この教訓は、現代の教育や社会の仕組みにも通じています。「表面的な平等」を追求するだけでは、違いや個性を認められない結果につながりかねません。
「みんな同じ」で失われるもの
「表面的な平等」には光と影があります。
光:例えば、戦後の日本では、義務教育によって貧しい家庭に生まれた子どもが「平等」に読み書きや計算を学び、「平等」な雇用機会によって工業技術や医療の分野で国全体の復興を支える人材となりました。このように、平等なシステムが社会の発展に寄与する面も確かに存在します。
しかし、その裏で「影」も生まれます。
例えば、学校では早生まれの子どもが同じ学年の中でついていけず、成績や運動能力で劣等感を抱くこともあれば、職場では、発達障害の人が画一的な評価基準に適応できず「できない人」というレッテルを貼られることもあります。
学校や企業が求める「みんな同じ」という「表面的な平等」は、人それぞれの違いを認める余地が少なく、「苦手なことを強いられる人」や「才能を伸ばせない人」を生む原因にもなっています。それが「影」です。
では、「影」にのみ込まれた人は、どのように生きていけば良いのでしょうか?傷ついたまま諦めるしかないのでしょうか?私は、 いいえ!と明確な答えを持っています。今から具体的にお話ししたいと思います。
どんな時に雪が「ステキ!」になる?
雪が降る寒い冬、通勤や通学、買い物などの外出が「憂鬱」だと感じることはありませんか?雪道で足を滑らせたり、冷たい風で体が冷えて悩まされる、嫌になる気持ちはよくわかります。でも、同じ冬の寒さや雪が、ちょっと視点を変えると「全く違う美しい世界」に見えることがあります。
例①:
温泉旅行中に見る雪景色。露天風呂で湯けむりの中で舞い降りる雪には、不思議な美しさがありませんか?
例②:
クリスマスの夜に雪がイルミネーションに反射して輝く光景。そんな瞬間は特別で心が温まりませんか?
例③:
沖縄の冬の観光イベント「ホエールウォッチング」(船からの野生クジラ鑑賞)を思い浮かべてみてください。もし、めったに降らない沖縄の雪がその日舞い降りていたら(奇跡に近い確率で降ります)、冬の青い海とクジラの姿が、さらにロマンチックで特別な光景に感じられると思いませんか?
このように同じ冬、寒い雪でも、捉え方ひとつで「憂鬱」から「感動」に変わるのです。これが「視点が変わると世界が変わる」という例です。
「今できること」に目を向けると、世界は変わりはじめる
では、どうすれば自分の苦しみを和らげられるのでしょう?私の経験から言えるのは、まず「できないこと」ばかりに目を向けるのを、今すぐやめることです。
私は引きこもり無職の時に「自分にできることだけ」を紙に書き出して整理しました。それを繰り返すことで、新しい可能性が少しずつ見つけました。
友人が「自分は何もできない」というので一緒に「何ができるか?」紙に書いたこともあります。頑固で自分には何もできないと言い張るので、私はそれまでの付き合いで「私が知っている友人ができること」を書き始めました。
30分もしないうちに、A4用紙1枚に書ききれないほど「できること」「やってきたこと」で紙は埋め尽くされました。友人は言葉を失い、その用紙を持ち帰り、転職を決意しました。その友人は一時期は、うつ病に悩み、職場で適応障害も起こしていましたが、今では一児の母とマネージャーとして沢山の部下を見守る優秀な人として活躍しています。友人は、実際には「できること」を沢山もっていたのです。合わない職場で無理をしていて、自分は価値がない、何もない、と思い込んでいただけだったのです。
あなたも、このような方法で、「視点を変える練習」をしてみませんか?
「それすら難しい」と思うときは、無理せず、もっと小さな行動から始めてみましょう。
たとえば…
・部屋の片付けを少ししてみる。
・興味があったことに挑戦してみる。
・スマホの通知オフで生活してみる。
こんなちょっとした「お試し」による小さな変化でも、こり固まっていた思考パターンに気づき、視点が変わるかもしれません。
ほんの少しの一歩で、未来は変わりはじめる
もし今、学校や社会、あるいは家庭が「自分に合わない」と感じていますか?
あるいは、発達障害や適応障害、PTSD、または他の精神疾患で悩み、出口がないと感じていますか?
私もかつて(もしかしたら今も)同じように出口のない暗いトンネルを歩んできました。だから、状況は同じではなくとも「つらいよね、という気持ち」はあります。
現実世界を自分の力で変えるのは難しい──それは「事実」だけど、同じ現実でも、考え方ひとつで違う別世界に見える、という「もう一つの真実」に気づいて欲しいなって思ったんです。
今日はしんどい?大丈夫、ゆっくりでいいんです。明日でも来週でもいい、少しずつでいいので試しに「ホントかな?」って疑いながらでも、ちょっとだけ視点を変えてみてください。
── もし失敗したら?大丈夫です。失敗は「間違いや終わり」ではない。「成功へ至る道の途中」なだけなんです。
だからどうか、怖いかも知れないけど、小さな一歩を踏み出す勇気を持ってみてください。
その小さな一歩が、必ず「新しい世界の見え方」につながります。
今回の内容をどう思った?
感想や意見など気軽にコメントしてね!
最後まで読んで頂きありがとうございました。
またね~🥤
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心療内科通院20年、発達障害治療8年、重度のうつ病経験に基づく即効性のある記事を厳選しています【薬が手元にあっても医師に相談し自己判断で私のケースを真似しないこと/薬にかなり慣れてる私でも反動が強い治療体験ものせてます】
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