会社に期待しない
突然ですがわたしはこれまでの社会人生活で、20代では4回の転職歴があり、結婚するまで最終的に計5社を経験しました。
ところで、マイナビ転職が企業採用担当にヒアリングした記事をみたところ、20代で転職回数が多いという印象受けるのは、3回らしいです。
やっぱりわたしは明らかに多い方であることが改めてわかりました。(笑)
いまはパートに落ち着き、人間関係や業務内容もとくに問題なく過ごすことができていますが、結婚するまでの社会人生活ではパワハラを受けまくったりなどの凄惨たる日々が長きにわたって続いていました。
しかし運がやっと好転し、「仕事、めっちゃ面白い!!」とアタリを感じてメキメキ成長できた職場があったことも事実です。
ただ、私は今までもこれからも、会社に期待することはありません。
今回は、どんなに努力しても報われなくて辛い思いをしている全ての方々へむけて、ちょっと長いですがわたしの体験談を書いていこうと思います。
パワハラ、えこひいき、それは地下の牢獄
※事情により一部ぼかして書きますが、おおまかには以下のような職歴を辿ってきました。
また記事内でいくつかのアルファベットを社名や人名で使用しますが、すべて実在する会社や人物とは無関係です。
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新卒で憧れのアパレル商社に販売員として就職し、在職中は複数店舗を経験しましたが、えげつないパワハラに遭ってました。
コンプライアンス対策室に通報したことでエリアマネージャーなど上の知るところとなりましたが、関西では当時数十店舗も展開していたにも関わらず、なぜか加害者であるパワハラ上司をあろうことか同じ建物の店舗に時間差で異動させたりするなど、会社は一時的な措置しか講じず、根本的な解決を目指していないことがはっきりとわかったことに絶望しました。
結果として在職中に会社がわたしに与えてくれたものは達成感や充足感なんかではなく、フリーターでいた方がずっと稼げるほどの安い給料と円形脱毛症でした。
そして最後の店舗で心身ともに限界を感じ、退職しました。
↓パワハラについて触れている記事はこちら。記事内リンク先で前編にも飛べます。
※暴力描写を含むためご注意ください。
その後も販売職として、外資某社やA社とB社などに転職。
その頃には正社員で働くことに疑問を感じ、初めて派遣社員も経験しました。
余談※
外資某社でもかなりえげつないパワハラ受けてたのですが、後に派遣担当社員にそのことを話すと、「あの会社はそういった話はよく聞きますね〜…」と苦笑いされるほど有名だったみたいです。そして風の噂では私の退職後もターゲットをかえてパワハラが横行し、在職時でも店舗売上が悪かったことから、いつの間にか閉店になっていました。
話をもとに戻します。
上述したA社では外国人のお客様が多かったため、必然的に英語と簡単な中国語がメキメキ上達しました。
それに加えてわたしが結構積極的に外国人対応に向かってたことから、店舗内でもなんちゃって通訳(笑)として言語面では頼りにされたりと、今まで感じたことのない感覚に戸惑いながらも、外国人の方に発音の良さを褒められることが、とても嬉しかったことを覚えています。
しかしわたしともう一人の女性スタッフは店長(女性)から嫌われており、傍目にもわかるほど冷たくされていました。
もう一人の女性スタッフが嫌われている理由は全くわからなかったのですが、
わたしの場合は「目障り」だったのかなと想像します。
ここの退職理由は、単純にあまりに忙しい店舗だったため心身の疲労回復が追いつかなかったこともありますが、店長の他スタッフへのえこ贔屓にもほとほと嫌気が差していたのも本音のひとつでした。
やっと地上にでた瞬間、コロナ禍突入
その後に入ったB社では、自身にとって仕事に対する感じ方が変わったのを覚えています。
そこはちょっと特殊な環境であることにより、必然的に「互いの協力」なしでは成り立たない環境でした。
そのため、例えばブランドの担当者が不在なら協力して販売しあったり、売れたら在庫補充しあったりするような、絵に描いたような「持ちつ持たれつ」の健全な職場環境でした。
これは蹴落としあいやパワハラ、えこ贔屓まみれで過ごしてきた社会人生活を送ってきたわたしには、やっと手にした「安息の職場」でした。
しかし、コロナ禍の猛威が襲います。
私のいたB社の売り場がコロナ禍で撤退することになってしまい、絶望の淵に立たされました。
都心部店舗への異動も打診されましたが、コロナ禍が始まったばかりのころで、都が初めてのステイホームやリモートワークを大々的に推奨しだしたりと、誰もが公共交通機関の移動を躊躇う時期でした。多分に洩れず、わたしもそのなかの一人でした。
わたしは当時もいまも、B社の商品が好きです。
ただ当時はそれだけでなく、「その売り場にいること」が大好きでした。
B社も生き残りをかけて、採算を少しでもとらないといけないための選択肢なのは理解していました。
しかし初めて楽しいと思えた仕事がどうにもならない事象のせいで手放さないといけないことに、どこに向けたらいいかわからない強い憤りと悔しさを覚えました。
泣きに泣いてやむを得ず、退職を選ぶことになりました。
好機
コロナ失業からまもなくして、当時の恋人が抱えていたさまざまな問題が手に負えなくなり、婚約破棄をわたしから申し出ました。
失業によって先行き不透明な日々を持て余し、30歳間近の年齢なのに彼氏もいないという現実から、当時は本気でもう終わりだと思っていましたし、長年のわたしを知る知人からは「うつ病手前の重症」とも評されるほどでした。
しかし、思わぬ好機が訪れます。
オフィスソフトのスキルが赤ちゃんレベル(笑)なのに、未経験異業種かつ新規立ち上げ外資系のC社で、特定の役職者の秘書として雇われることになりました。
では仕事内容は何かというとあてはまらないことも一部ありますが、「秘書の仕事」でググったら出てくるのでそれら一通りと、あとは本業のオフィスワーク以外の突発的な業務も日々発生するので、その対応に追われていました。
時間に追われる毎日でしたが、スタッフや他部署の上司も外国人の方がいたため、英語力のスキルをあげることがとても励みになり、英語でジョークをかわすだけでなく真剣な話ができるようになったことも、これまでにはなかった経験だったため、とても新鮮味がありました。
ここで好機がもうひとつ訪れました。
依然としてコロナ禍真っ只中だったため、少しでも利益になることはなんでもするタイプの上司は、イベントを考えることが非常に好きな人だったため、そのアイデア出しをわたしに指示しました。
これがとても面白かったのです。
結果として、わたしが企画してカタチになりマネジメントに携わったイベントはたった一年余の在籍でも複数件にのぼり、●千万の売り上げを作ることができました。
日々とんでもなくタスクが多くてひーひー言ってましたが、上司や周囲のサポートのおかげもあり、これが充実感でないなら一体なんだろうという感覚でした。
またそれに付随して広報業務もすこし携わったりしていたので、つまるところ、「秘書 兼 イベント企画 兼 雑務 兼 なんでも屋」でした。(笑)
しかし、事態は急転直下します。
実は夫との出会いは会社だったのですが、プロポーズを受けて上司に結婚することを伝えたときから、それは始まりました。
アイデンティティの崩落
「結婚が決まったなら、辞めるか異動するかなるべく早く決めろ」
総責任者から、こう言われました。
正確には総責任者のその言葉を借りて、人事責任者が私に伝えたのです。
目の前が真っ暗になりました。
そんな話は一度も聞いたことがなく寝耳に水だったため、エビデンスの提出を求めたところ、最初は人事責任者も「私もよくわからなくて総責任者がそう言ってて…」とのらりくらりした様子でしたが、改めて全社規則を探してみるといい、そのコピーをわたしに寄越しました。
全文英語でしたがそこにははっきりと、「社内恋愛は禁止」と書かれていました。
さらに追い打ちをかけるように、業界歴が長くてC社の系列会社でもかなり長い年数でキャリアを築いてきた、一年余のあいだ私が仕えていた上司すら、「俺もしらなかった」と宣ったのでした。
わたしのなかではこの一言がずっと頭の中を逡巡していました。
「どうしてこんな仕打ちを受けないといけないのか」
繰り返すようですが、私はその当時の仕事がとても気に入っていました。
自身が考え出したものがカタチになる喜び。
取引先の方々にも喜んでいただき、わたしが担当者でよかったなんていわれた日には、その言葉が嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
仕事が楽しくなると、どうして前回も今回も失いそうになるんだろう。
他部署への異動も一瞬検討しましたが、退職者が続出しているなど不健全な環境だったため、残る選択肢は二つに一つの「退職」しかありませんでした。
夫も、わたしが仕事にやりがいを感じていたのを知っていたので、自身がどこかに異動するか退職するよと申し出てくれましたが、そうじゃないんです。そうしてほしいわけじゃない。
驚くまでの会社の掌返しに、ただただ、不信感がいっぱいだったんです。
当たり前ですがそこから仕事への意欲は急スピードで消失し、退職を選びました。
かつてパワハラを受けていたときは「能無し」「どこいっても通用しない」と洗脳されていましたが、「わたしはそうじゃないんだ」と自分を認めることがやっとできた、きらきらした宝石箱のような一年余でした。
しかしこの一件で、自身のアイデンティティは振り出しどころか、崩壊してしまったのです。
「やっぱりわたしは、どこにいっても通用しないんじゃないかな」と。
現在、そして伝えたいこと「未来はそう悪くない」
もはや過去の出来事なので、いまでも基本ネガティブですが、上のようなドン底超ネガティブ思想ではなくなりました。
だって色々思い返すと、自身をわざわざ否定する要素ってそこまであるのか??と気づいたんです。いや、無い。(倒置法?)
内省は大事ですが、否定は違う。
自分のことは自分が一番よくわかっています。
わたしは突出したスキルもないですし悲しきかな、社会に通用するような立派な資格も持っていません。
(なんかちょっと悲しくなってきたぞ……)
ただその逆も然りで、「組織だって先人たちが賢かっただけで、今はたいしたことない」会社が、ぶっちゃけかなり多いなぁと思うんです。
それはどういうことかというと、
「この会社にいるからエラい」
「この儲かってる会社で働いてる自分ってスゴい」
「下っ端のいうことなんて知らん。トップダウンでいうこと聞いとけ」
こういった人種がのさばっている組織です。
スゴくてエラいのは、先人たちが必死に汗と血を流して礎を築いてきたから。
儲かっているのは、わたしたち消費者が買って(利用して)「あげている」から。
トップのいうことにデモやストや裁判を起こさないのは、日本人が企業側に対してそれらのアクションに慣れておらず、「基本的に優しいから」。
つまり会社側は労働者側よりももっと危機感をもって、自分たちがいつだって「掃いて捨てられる側」にあることを強く認識しないといけないんです。
これらのことを勘違いしている人が、あまりに多すぎる。
ただ、期待してしまう気持ちもわかります。
胸を膨らませて入った会社でがむしゃらに働いていれば、成果を残していけば、成果が出るよう努力すれば、ちゃんと評価してくれるだろう、って。
そういう組織もあると思います。
もしそういった組織に入ることができたなら、本当にラッキーだと思います。
羨ましい通り越して、「頼むからその組織はずっと変わらずそのまま安泰でいてくれ」とすら拝むでしょう。
しかし残念ながら人間には「感情」が備わっているので、「客観的にみた適切な人事評価」よりも「上司の個人的な感情評価」が優先されることが非常に多くあります。
これは日本企業に限った話ではなく、「人間」が「人間」を相手にしている限り、なくなることはありません。
これが会社員の、最大の不安定なところです。
なのでわたしは、「会社に期待することは一切やめた」のです。
そう、会社がわたしに期待してくれないなら、なにも片思いする必要ない。
胸が苦しくてドキドキするのは同じ片思いでも恋愛していた方がよっぽどいい。
じゃあどんな気持ちで会社選べはいいの?と思われた方へ。
あくまで持論ですが、まずは自身の興味のある業界や会社を目指しましょう。それ以外だと続くもんも続きません。
企業研究としてホームページもみると思うんですけど、企業理念とか色々書いていてもそれはただの文字列なので、面接などで実際の社内の雰囲気を必ずみてください。
そしてオフィス勤務でなく、たとえば店舗や支店とかそういったところの配属がほぼ確定しているならば、必ずそれらの店舗にも足を運んで、実際の空気感をよく観察してください。
その空気感(部屋の明るさ、人々の視線、働く人の雰囲気など)で「あ、いいぞ?」と感じるのか、「なんか…うん…?」と思ってしまうのかが運命の分かれ目です。
ただしもしそこに入社したとしても、実際大して金払いもよくなかったり、仕事内容が聞いてた内容や契約書と違ったり、さらには人間関係も悪いなら、とっとと後ろ足で砂かけて退職しましょう。
人材は掃いて捨てるほどいるけど、企業も掃いて捨てるほどあります。
会社の利益に一役買ってる(=従業員)自分を大切に扱ってくれない企業など、こちらから願い下げです。
時代は「双方がWin-Winでないと成り立たない」ところにきていますから。
強気な気持ちでいきましょう。
余談※
英語と中国語が喋れていたのは遠〜い昔のことなので、いまはもはやhelloと你好しか喋れないと思います。いや、そこまでではないな。(笑)
でも言語は使わないと忘れるのだ…(T_T)