パワハラと円形脱毛
↑こちらの続き。
我慢し続けた結果
20代前半の、一番若くて楽しいはずだったこの時期にこのような出来事を経験してしまったことで、当時はただでさえ低かった自己肯定感や自己価値観がゼロになっただけでなく、その弊害として襟足あたりに、500円玉大の円形脱毛ができてしまいました。
これが人生で初めての円形脱毛でした。
そして30代の今は頭髪にとどまらず眉の一部、こめかみ、鼻毛まで抜けてしまう、
現在の汎発性脱毛症へ繋がってしまったのではないかと思っています。
いじりといじめ
当時私の知る限りでは、私の周囲では誰もこのような暴力性を多く孕んだ加害行為は受けていませんでした。
受けなくて済むなら、受けないに越したことはない。
当たり前ですよね。
私もその「当たり前」側に立ちたかった。
えげつない言葉はたくさん言われてきましたが、
今でも忘れらない言葉があります。
「ほんまイジりがいがあるw」
学生時代もずっといじられ役だったがゆえにイジりって言葉は、学生時代から嫌いでした。
でもこれを大人になっても言われたとき、さらに輪をかけて大嫌いな言葉だと再認識できました。
「イジり」のそもそもの定義ってなんですか?
相手が傷付いたら、嫌がる素振りや反応を見せたら、
「やめてください」って言っても笑って濁すんなら、
それって「いじめ」じゃないんですか?
イジりって、一体なんですか?
それは相手より優越的立場を守りたい
またはその立場を誇示したい側が、
「自分より下」認定する人へ向けてやることだとおもうんですよね。
だってそういう人たちって「自分より上」と思っている人には絶対しないですもんね。
している人がいたら見てみたい。
でも不思議なことに、出会ったことがない。
なので、いないんですよ。
本当に「イジり」がうまい人って、
相手が不快になるポイントを突いて周囲から笑いを取ろうとするのではなく、
ポジティブでもネガティブでも相手も「自認している部分」を拾って笑いに昇華するんだと思うんです。
そしてしつこく繰り返さないこと。
しかし想像するに、それができる一般人はほぼ皆無じゃないでしょうか。
あと「イジり」が成り立つ関係性であるとしたら、
それは双方がおよそ対等であり、
長年培ってきた信頼があることが前提だと思うんです。
そうでないなら
「イジり」をしているつもりでも、
「いじめ」へ発展するのはいとも容易いことだと思うんです。
パワハラ問題はここ数年でやっとニュースやメディアで大きく、
かつ深刻に取り上げられるようになりました。
その理由はその被害を受けた方々が、
自らの身をもって証明する結末になってしまったからです。
その方々だって、
当たり前ですがそんな酷いことをされるために生まれてきたわけじゃなく、
その結末へ先導した加害者たちのせいで選ばざるを得なかった、最後の選択だったと思うんです。
パワハラやいじめ被害を受けている人って、空元気な人が多いような気がします。
かくいう私もその一人でした。
だって自分がそんな境遇にいるって深く考えてしまうと、すっごく惨めだったんです。
周りの環境が羨ましくて仕方ないけど
自分は全く違うから、ますます悲しくなる。
だから元気に言うんです。
「大丈夫!」
「明日もがんばるわ!(笑)」
はじめは「なんとなく」でいいんです。
もしそのような言葉を言われたら、
「ほんとうかな?」と
ちょっとだけ思ってみてもらえたら、
嬉しいです。