読書のひみつ
テレビやスマホなどのコンテンツが充実している現代。
満員電車の中や、カフェ、ちょっとした待ち時間に、動画を見るでも、ゲームをするでも、SNSを見漁るでもなく、
本を片手にしている人を見つけると、
とても素敵な方だなと思います。
アメリカのトップセールスマン、ジョージラードのことば。
この「成功者」と「貧しい者」の意味するところは、単に財産面だけではなくて、
「心が豊かな人」と「心が貧しい人」
の意味でもあると思っています。
どんなに技術が進歩して、ネットツールが充実しても、「本の大切さ」は主張され続ける。
なんでだろう、とずっと不思議でした。
最近自分なりに感じたことがありました。
拙い言葉で恥ずかしいですが、
読んでいただけたら嬉しいです。
私が本を読むことが好きになったのは大学生になってから。
それまでは活字なんか全く好きではなくて、
高校の時なんて、どこに図書館があるのかさえ分からなかった。
大学生になって、本好きな友達に影響を受けて、本を読むようになった。
最初は簡単なエッセイや、自己啓発本から。
最近は小説の面白さにも気づけるようになった。
本をたくさん読みなさい、と良く言われますが
別に本じゃなくてもいいんじゃない?と思っていました。
活字が苦手なら、動画やSNSを活用すればいい。
動画やSNSの中にも素晴らしいものがありますし、より効率的に知識を得ることができたりもします。
活字は読むのにエネルギーがいるし、
毎日学校で勉強、バイトでヘトヘトなのに、
本を読む体力なんてない。
最近本を読んでいて、やっと本を読むことの大切さに気づきました。
本を読んでいる時間は、誰かと比べて落ち込んだり、頭の中がぐちゃぐちゃになることがなかったんです。
私よりも豊かで、外見が良くて、幸せで、恵まれている誰かのことなんて考える余地がないほど、
本の中に、ことばの中に溶け込んでいる自分に気づきました。
言葉の一つ一つに込められた想いを探る時間。
作者と一緒に旅をして、本の中の景色に想いを馳せる時間。
自分のスキルのために、学ぶ時間。
その間は、すべてのネガティブな感情から離れることができる。
将来の不安も、お金の不安も、生活の不安も何もない。
誰かと比べて、羨んだり、自分が嫌いになることもない。
そんな悩みがどうでも良く感じるし、
世界の全てが愛おしくなる。
SNSや動画の中にも素晴らしいものはある。
けれど、それと同じくらい、心を乱す物もある。
しかも、自分の意思とは関係なく、
突然目に入ってくる。
最近はデジタルマーケティングが多くなったから、広告が急に視界に飛び込んでくることがある。
そのせいで、集中力が途切れたり、
意識がどこかへ飛んでいっちゃうことがある。
でも、本は、自分の集中力が続く限り、
自分と共にいてくれる。
ページを巡り続ける限り、
私に寄り添ってくれているような気がする。
読んでいて突然私の好奇心を裏切ることもない。
でも、これなら、映画も同じでしょう。
映画は、本よりも、より視覚的に刺激を与えてくれるので、わたしも大好きです。
でも、映画にはない本の良さがあります。
◯自分のペースでゆっくり読み進められること。
ゆっくりじっくり読んだり、ささっと読んだり、
何回もリピートしたり。
自分だけの音楽を奏でるようなイメージに近いです。
◯一つ一つの言葉を自分なりに愉しめること。
頭の中のイメージは自分だけのものなので、
自分が唯一無二だと感じます。
それに、
ポッドキャストやオーディオブック、映画などのような、「聞く」とか「見る」とか、どちらかというと受動的な行為とは違って、
「読む」という行為は能動的で集中力が必要なので、余計な邪念が入り込まない。
だから、本を読んでいる間は、ネガティブな思考に陥らないんじゃないかなと思います。
もちろんポッドキャストやオーディオブックも、
意識すればアクティブリスニングが出来たり、
映画の世界に入り込んで集中出来るので、
一概にそうとは言えません。
でも本を読むには、自主的な気持ちが必ず要るので、吸収力も全く違うと思うんです。
本を読むには、それなりにしっかりとした気持ちが必要。
なので、本を読む人に出会ったら、
自律している人なんだろうなと思います。
ちなみに、映画は、また違った視点を感じることができるという意味で大好きですし、
寝る前にはポッドキャストを聞きます。
(睡眠導入剤として)