生きる力ー酷い母と言われても
こんにちは。
発達障害児をワンオペしている熱血ボーカル講師です。
先週末 母が長い闘病生活を終えました。
私は 発達障害児で不登校の息子がいるので
早くから出来るだけの準備をしていましたが
ひとが亡くなるのは予定通りにいかないもの。
容態が悪く 施設から病院へ搬送も出来ないので
契約変更し 看取りの手続きをしましたが
施設側は スタッフさんの人数があり
いつも傍にいられないので
仕事を変更・キャンセルをし
私がほぼ寝ないでの付き添いに
運が悪く
台風10号接近中
そう
問題は息子
まだ10歳の発達障害児
でも 私の家族の在り方は
お金や他人の手を借りず
家族で乗り切ること
乗り切れないなら やることを減らすこと
例えば 仕事然り、 学校然り、 習い事然り
7年間
介護生活をしてたので
息子を放置することも多く
ずっと不登校
だけどね
母のせいとか
私の至らないせいとか
息子が根性無い(笑)とか
一切誰にも言わなかったんです
母が春に施設に入って
これまでの大変さを初めて話しました
そしてお願いしました
「これからは息子に集中させて欲しい」
結局
認知症が酷くなって
大変になったんですが(笑)
令和時代に逆行していますが
皆さん
何かとお金で解決してませんか?
私も30代は
パートナーの影響もあり そんな生活でした。
でも 数年経つと違和感がありました。
今は 不便でも
私ひとりで乗り切るようにしています。
そんな方針に
息子も巻き込まれているわけで
今回、
嵐の中
夜ひとり。
泣きながら 二日間
頑張ってくれました。
私は
学校に行けとか
宿題しろと
言いません。
でも、
生きるために必要な我慢は
してもらいます。
台風が直下する場合は
知り合いのシッターさんに
保険掛けていましたが
反れたので
雨風酷いけど
留守番させました。
メールや電話 数時間おきに帰宅
そんなことをしながら2日間
乗り切りました。
その後、
お通夜と葬式が続きます
当初 私と息子だけで済ます予定が
昼間の数時間だけ 付き添いを叔母にお願いしたので
必然的に 叔母夫婦と妹夫婦に 声を掛けることに(;^ω^)
実は、
息子はほぼ初なのです。
(小さいときに会ったきり)
そして両夫婦とも子供がいないので
発達障害児を上手く扱えるか
不安でしたが
息子のひと懐こく
職人キャラで
打ち解けていきました
私も 任せることも出来て
楽させて頂きました
さて
骨上げ
させました!
本当に鬼か!?ですよね。
近親者なので
私とふたりで一番に
お骨に触れます
無事クリア
その後のお寺は疲れが出て
外でYouTube見てましたが
ぐずりもせず
癇癪も起こさず
終わりました
翌日は新学期
この出来事は全ての先生方に知れ渡るところとなり
「登校したときは見違えた!大人になった感じ!」
それでも疲れが出て
1日登校して
あとは不登校ですが
私ひとりで背負う必要はない
でも 背負わないといけないことは
多い
それを 発達障害児でも分かち合う
面倒だけどね
乗り切ったら
周りは
拍手喝采だから!
酷い母親だと思うけど
これが
家族の在り方だと思っています。
因みに・・・
若い支援級の担任は
骨上げ・骨拾いが分かりませんでした(;^ω^)
おいおい!