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海外文学おススメの十冊:七冊目『ロマン』ウラジミール・ソローキン

 ソローキンの小説で最初に読んだのは短編の『愛』だ。一読した感想を述べると私はこの短編を一種のギャグものだと思った。小説は老人らしき男が自分の過去を語っているのだが、何故か途中から工場らしき場面になりスプラッター描写が延々と描かれそして突然終わるものであるが、私はこれを読んでおこがましすぎるにもほどがあるが自分の書いてるしょうもない駄文に似ているなと思ったのである。

 この記事で扱う長編小説『ロマン』はざっくり言うとこの短編の世界を思いっきり拡大したものである。作者はこの小説の土台に自身の自国であるロシアの十九世紀長編小説の内容と構成を取り入れているのだが、これは勿論生真面目なものではなくてパロディである。しかしパロディというには結構本格的なものであり、そこに作者の小説家としての確かな腕を感じさせる。実際小説はツルゲーネフやトルストイの長編を精巧なまでに模倣しており、時々本物の十九世紀ロシア文学を読んでいるような錯覚を覚える事がある。しかし主人公とヒロインの結婚式を挙げた後から『愛』の後半のようなスプラッター劇場が始まるのである。それからまあ、小説は酷さにも程がある事を延々と『愛』の何倍ものページを費やして書いて終わるのである。

 私はこの長編を読んで上に記したように前半部分に対してはロシア文学の精巧な模倣だと作者の巧みさに感心したが、後半のスプラッター場面はあまり感心しなかった。まぁいくら長かろうが所詮は『愛』の二番煎じと思ったのである。だが別に『愛』も別に評価しているわけではない。短編集『愛』の巻末の亀山郁夫氏が書いている解説によると、本小説の作者であるソローキンは小説家になる前は前衛芸術の運動にかかわっていたようで、彼の小説もその前衛芸術の影響を多大に受けているという。ソローキンの小説の特徴であるストーリーを無視した暴力やスプラッター場面の描写などもその前衛芸術の影響であるらしい。と、作者の人となりを知って私はこの作家のスプラッター描写は小説に対する批判だと思ったのである。ああ、彼のこの手あかのついたようなスプラッターやスカトロジーの描写をしたがるのは小説の美学なんてこんなにくだらないんですよと言っているのだと思ったのである。

 しかし、二十一世紀も四半世紀を迎えようとしている現代に生きている我々にとってはそんなものすらばかばかしいと感じてしまう。ジョイスやプルーストはとっくに消え去り、ヌーヴォーロマンもマジックリアリズムの遥か昔の彼方である我々にとっては小説の破壊なんて物自体が、とうに懐かしい昔話である。ソローキンがこの小説を書いたロシアにおいてはこの手のものはトレンドであったかもしれない。しかし、と思ってソローキンについてネットなどでもうちょっと詳しく調べてみたら、ソローキンのスプラッターやスカトロジーなどの過激な描写はただ過激なものとして素直に受け入れられ、この作家のキャッチフレーズである現代文学のモンスターの名の通りしっかり過激なものとして受け入れられていたのであった。なんと時代遅れであったのは私の方だったのである。

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