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心理の本を読むことでうつ病から回復した話⑨(大学生編Ⅳ)

読んでくださってありがとうございます。
機能不全家族のもとで育ち、精神疾患(うつ病など)で苦しみ、そこから回復した自分の半生を書きたいと思います。
今回は大学生編Ⅳになります。

前回の話はこちら

1話はこちら

心機一転、予習しよう

自分は臨床心理系のゼミに何とか入ることが出来ました。このゼミでは、マインドフルネスを中核とした第三世代の認知行動療法を学べることを聞いていたので、ゼミが始まる前に予習をしようと思います。

マインドフルネスは大学1年生から言葉は知ってましたが、「うつ病の再発に効果があるらしい」という認識がある程度でした。

この頃マインドフルネスはまだ、全くと言っていいほど知られておらず、セッションを受けられるところは殆どありませんでした。
(そもそもこの頃は認知行動療法すら受けられる場所がなかった。)

なので、自分は教授にお薦めの本を教えてもらい、勉強することにしました。

マインドフルネスとは

『マインドフルネス』はジョン・カバットジンが仏教を宗教としてではなく人間の悩みを解決するための精神科学としてとらえ、医療に取り入れたのが始まりです。
瞑想とヨーガを基本とした治療法、『マインドフルネスストレス低減法』を創始しました。

マインドフルネスは説明が難しいのですが、
自分の「今・ここ」の体験に気づきを向け、それらを判断したり評価することなく、そのまま眺めたり受け止めたりすることです。

自分はこの本を読み、「呼吸にずっと意識を向ける。呼吸から意識が逸れたら、また呼吸に意識を戻す」という呼吸の瞑想やボディスキャン瞑想、レーズンエクササイズなどに取り組みます。

最初は、瞑想が退屈と感じかなり苦戦しましたが、何とかこなすことが出来ました。

気が向いたら、マインドフルネスに関して別の記事に書きます。

うつ病再発の原因、それは反芻思考

自分は次に、ジョン・カバットジンが創始したストレス低減法を土台とした、「マインドフルネス認知療法」を勉強します。

この頃は患者向けのワークブックがなく、治療者用の本を読んでました。今は他にいい本があるので、それは別の記事で紹介します。

『マインドフルネス認知療法』は、うつ病歴があり、そのため再発の危険性がある人を対象に開発されたアプローチです。

マインドフルネス認知療法はうつ病が再発する可能性は、ネガティブな思考をずっとグルグルと考えてしまう反芻思考にあると考えました。

『マインドフルネス認知療法』を元に作成

この反芻思考には自分は物凄く心当たりがありました。

睡眠不足の時や、夏と秋の季節の変わり目、落ち込むような出来事がある時などでは気分が落ち込み、反芻思考はよく起こりました。

反芻思考の例をあげます。

ゼミの発表が終わった後、教授の顔色にかげりを感じると、「自分は何であの場面でうまく説明できなかったんだろう。もっと別の言い方があったんじゃないか。」などと頭でグルグル悩み続けるのです。

マインドフルネス認知療法では、
反芻することは気分を更に悪くさせるだけ」「不幸感から抜け出す方法を頭で考えることによって不幸感を取り除こうとすることは、落ち込んでいく悪循環から解放されるどころではなく、悲しい気分を強めて長引かせる」と説明しています。

「することモード」「あることモード」

反芻思考から抜け出すには「することモード」から「あることモード」に移行する必要があると説明してます。

「することモード」の特徴
・目標志向または問題解決志向で
 思考を通して取り組む
・しばしば自動的
・過去と未来に注意を向ける
・不快な体験を回避しようとする
・現状を変えようとすることに集中する

「あることモード」の特徴
・直接的に体験を感知する
・意識的な気づきと選択と
 ともに生きる
・現在の瞬間に存在する
・不快な体験に関心を持って接近する
・物事をあるがまま受け入れる
「マインドフルネス認知療法ワークブック」から

「することモード」だと、゛自動操縦状態゛に陥り、無意識のうちに反芻思考を行ってしまいます。

ここから脱却する為「あることモード」に移行します。「あることモード」とはマインドフルネスの状態です。そのためにマインドフルネスの練習が必要になるということです。

自分はこの「することモード」に関しては、少し覚えがありました。
『「普通がいい」という病』という書籍で読んだ、「頭」による独裁にそっくりでした。(自分の経験談の5話目参照。)

マインドフルネスはまさに自分に必要な技法だと思い、この考えを学んでから普段から積極的に実践するようになります。

アクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)

大学のゼミで、3年後期に「アクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)」を学びました。
ACTもマインドフルネスを中核スキルとした心理療法です。

ACTは「避けられない痛みは受け容れ、有意義な人生を切り拓くこと」をねらいとした心理療法です。

自分は初めてこの心理療法を学んだ時に、この考えがとても気持ち悪いものに覚えました。

自分は第二世代の認知療法をベースに学んできたので、「苦痛を減らすのが目的じゃないの?」「認知は変容する必要はないの?」など頭には?がいっぱいでした。

ACTは説明すると長くなるので簡単に紹介します。気が向いたら、別の記事で紹介します。

ACTは6つのコアからなっており、
下記左図から右図への移行を目指します。

ラス・ハリス著「よくわかるACT」から

認知的フュージョン⇔脱フュージョン

ACTでは、「認知的フュージョン」といって、思考が自分とべったり融合しているところから脱却することを目指します。

どういうことかというと、「自分はダメな人間だ」と思っていることを現実そのものとして捉えるのではなく、それは自分がそう思っているだけの「ただの物語」だと認識するということです。

ACTでは、この自分の思考と距離を取る「脱フュージョン」を目指します。

ACTの代表的なエクササイズに葉っぱのエクササイズというのがあります。

小川に葉っぱが1枚1枚流れていることを想像します。その葉っぱ1枚1枚に自分が考えていることや感じていることを乗せて、小川の岸からその葉っぱが流れているのを眺めるというものです。

自分はこのエクササイズを暇な時に実行してました。

体験の回避⇔アクセプタンス

ACTでは「体験の回避」という好ましくない私的体験を排除・回避しようとする行為をやめ、受け容れる(アクセプタンス)することを目指します。

先ほどの反芻思考もこの「体験の回避」にあたります。

これがなかなかに厳しい考えで、自分は最初受け入れられませんでした。

例えば、自分の親友が癌で余命が半年しかないという事実を知らされたとします。

「なにかの間違いだ」というような反論をしたくなるかもしれません。

「悪いことをしている人間は他にも沢山いるじゃないか」と怒るかもしれません。

神様に祈って「自分と親しい人の命を取り換えてほしい」と取引を望むかもしれません。

あまりに悲しくて酒に溺れるかもしれません。

「体験の回避」とは、この辛い感情から目をそらし、反論したり、怒ったり、神様と取引したくなったり、悲しみから逃れるために酒に溺れることを指します。

アクセプタンスとは、こういった辛い感情が自分の側にあることを許し、受容することを目指します。

辛い感情を味わい尽くすと、「死は回避することができないんだ。人間はいつか死ぬんだ」と悟りの段階に達します。

そして、ACTでは、「価値」に置いた行動にコミットメントすることを重要視します。
人生でこれを大事にしたい、いつもこういうふうに行動したいという「価値」に動機付けされた行動することを目指します。

親友が死ぬという恐怖に駆られている時、その辛い感情からの逃れようと必死になります。

しかし、その辛い気持ちを認め、自分の側に置いておくことを許すことができれば、この友人にいい思い出を最期に作ってあげようと行動することができるかもしれません。

自分はこの心理療法はあまりにも悟りを開きすぎていると感じ、大学時代にハマることはなかったです。ただ、どうしても避けられれない辛い感情は受け容れる努力をするようになります。

臨床心理系ゼミについて

ゼミは教授の言うように心理療法の理論の構築ばかりで、自分はその心理療法が精神疾患の人に効果があるかにしか興味がなかったので、事前の説明通りベクトルは違いました(笑)

自分はこのゼミで学び、「研究ばかりが主で、臨床の場とはあまりに遠い。ここの大学院に行くのは向かないなあ。」と感じ始めます。

また、ゼミの同期は皆頭が良く勉強熱心でした。(自分みたいに大学に行かず、単位落としまくったりしてない。)
「大学院に進めるのはこういう挫折を知らない人たちなんだろうな」と感じました。

この頃から自分は「臨床心理士」になるのを諦めます。

自分は大学3年の後期から、児童養護施設で学習ボランティアをしており、児童養護施設の職員になろうかなと思い始めます。

今回はここまでとなります。次回は、大学生編Ⅴに続きます。長い文章を読んでいただきありがとうございました。



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