【展覧会レポ】静岡県立美術館「無言館と、かつてありし信濃デッサン館」「《地獄の門》ができるまで:素描、試作から完成へ」
【約5,800文字、写真約55枚】
静岡県立美術館へ初めて行き、企画展「無言館と、かつてありし信濃デッサン館ー窪島誠一郎の眼」、収蔵品展「《地獄の門》ができるまで:素描、試作から完成へ」を鑑賞しました。その感想を書きます。
▶︎ 結論
無言館に関する企画展がとても良かったです。戦没画家は、若くして死にゆく前に何を思って絵を描いたのか。戦争を直接的に表現していない絵でも、戦争の悲惨さを考えるきっかけになりました。物言わぬ彼らの自画像と目が合った時、心が揺さぶられました。ロダン館については、ユニークな取り組みだったものの、メッセージ性が希薄だと感じました。
▶︎ アクセス
静岡県立美術館へは、静岡駅(北口、11番乗り場)からバスで約30分。要注意な点が、帰りのバスが少ない!最終バスの時刻が早い!ことです。
美術館は17:30まで開館しているため、さすがに17時過ぎまでバスは運行していると予想していました。しかし、帰りの静岡駅行きバスは、1時間に1本、最終バスは16時23分!
私は、帰りのバスの時間を気にしながら、駆け足2時間弱かけて鑑賞しました。結果的に、企画展と収蔵品展を鑑賞して、ギリギリ間に合いました…😨
住所:静岡県静岡市駿河区谷田53−2
▶︎ 静岡県立美術館とは
1986年、静岡県立美術館がオープン。県議会100年記念事業調査特別委員会で、美術館建設を決定したことがきっかけです。最近、100周年に託けて美術館を造る人によく出会います。
▼ 水戸市制100周年を記念して造られた水戸芸術館
建物を見た瞬間「うわっ…美術館の見た目、地味すぎ…?」と思いました。美術館を造る前提にコンセプトがあって、それが建築に反映されます。「県議会100周年」という緩い動機が、地味な建築に現れていると感じました。
そして、全く期待しないまま、入り口を抜けると…。
どーん!と広い空間が現れます。これは意外でした。「思ったより静岡県立美術館、面白いんちゃう?」と期待値が上がりました。1階にあるのは比較的小規模な県民ギャラリー、2階にメインの展示室がある珍しい造りです。
また、静岡県立美術館は「彫刻プロムナード」と「ロダン館」が特徴です。プロムナードには、佐藤忠良や船越保武をはじめ計12点の作品が設置されています。夜はライトアップもされているとのこと。
▶︎ 企画展「無言館と、かつてありし信濃デッサン館ー窪島誠一郎の眼」感想
「信濃デッサン館」「無言館」ともに、所在地は長野県上田市、館長は窪島誠一郎。亡くなった方(夭折、戦死)の作品を専門に扱う珍しい美術館です。
この展覧会では、それらの美術館の作品を展示しています。今まで見たことがないアートの側面を知れたため、とても満足度が高かったです。
「信濃デッサン館」は、窪島誠一が村山槐太(肺結核で22歳で死去)の絵に魅了されたことを発端に、大正・昭和期に病気や貧しさの中で夭折した画家のデッサンや水彩画を集めた美術館です。
1979年に開館。2019年に来場者の減少などを理由に閉館、コレクションの一部を長野県立美術館に寄贈しました。その後、2020年に「KAITA EPITAPH 残照館」として再オープン(土〜月のみ営業)。
▼ 長野県立美術館の感想
「無言館」は、「信濃デッサン館」の別館として、第二次世界大戦で戦死した画学生の作品を専門に扱う美術館。窪島誠一が、野見山暁治の取材が掲載された『祈りの画集』を書店で偶然見かけたことが建築につながりました。
NHKが戦没画家を題材にしたドキュメンタリーを制作した後、その内容をまとめた『祈りの画集』を発行。野見山暁治は、東京美術学校を留年、1943年に戦争のために満州に行ったものの、肋膜を患って送還。小倉で終戦を迎えた経緯があったことから、NHKの取材対象になったようです。
野見山暁治は、東京美術学校を留年した年の戦死者が最も多かったことが心に残っていたため、戦没画家の家を周り「無言館」の建設に協力しました。
私が初めて野見山暁治を知ったのは、アーティゾン美術館です。当時は「何かすごい抽象的な絵を描く人やなぁ、2023年の102歳まで生きたのすごっ」くらいしか思いませんでした。
無言館という名前には「絵の前に立つ人は、言葉を失い、沈黙を強いられる」「絵は言葉を必要としない」「戦没画学生はもはや何も語れない」などの意図があるそうです。
展覧会の冒頭は、戦没画家が描いた自画像が並べられています(この付近の壁のみ撮影が可能)。
展示されている作品にはほぼ全てキャプションが付いています。その内容は主に、絵の分析ではなく、戦没画家の経歴です。それを読むと、ほぼ全員が20代〜30代で戦死していることが分かります。
彼らの絵を見ると「死ぬかもしれない戦地に行く彼らは、どういう気持ちで絵を描いたのか?絵の対象をどういう理由で選んだのか?その絵を描きながらどんな会話をしたのか?」さまざまな疑問が去来しました。しかし、私が何千冊の本を読んでも、想像できない心境だと思いました。
自画像を鑑賞していると、自然と彼らと目が合います。「君はいいね、私も違う時代に生まれたかった」と、時空を超えて、彼らに訴えられている気持ちになりました。私も戦争に行くことになった場合、何をするでしょうか。絵を描くでしょうか。少し考え込んでしまいました。
一般的な展覧会は、似たモチーフを並べてキュレーションすることが多いです。しかし、ここでは、作者も作風もバラバラ、有名な絵もありません。一方で、その裏側には、全てに「戦死」というストーリーが共通しており、一人ひとりにドラマがあります。まるでドキュメンタリーを見ているような展覧会でした。
どんな絵でも、そこにストーリーがあると、グッとくるものがあり、価値が生まれます。これは「手仕事」を背景とする民藝にも共通すると思います。
このような深い示唆と影響力がある展覧会は、戦争を身近に感じない若者が多くいる、都内の集客力のある美術館で実施すると、社会的なインパクトが全然違ってくると思いました。
自画像の展示の後は、静物、母、女性などの絵が続きます。なぜ、絵の対象にそれらを選んだのかというと「そもそも戦争に行く前には身近なものしかなかった」「美術学校でデッサンを学んでいたから」という理由だそうです。
自らの意思で選んだというよりは「それしか描くものがなかった」と聞くと、切ない気持ちが増してきます。
展示は、戦没画学生の遺品だけでなく、戦争に関連した藤田嗣治、小磯良平、靉光の作品もありました。
藤田嗣治《アッツ島玉砕》は、東京国立近代美術館で見たことがあります。静岡県立美術館で再び見ることができて、改めて迫力に圧倒されました。
意外だったのは、靉光《眼のある風景》も展示されていたことです。日本におけるシュルレアリスムの代表作とは知っていたものの、この作品が「戦争」とどう関係するのか知りませんでした。
この絵は発表当時「戦争の時代に抗する画家の意思表示」と捉えられ、靉光の自画像的作品だったそうです。
その他、戦地で描いた絵葉書も展示されていました。生きるか死ぬかの世界で、絵の具を持参し、絵を描くことができた。しかも、戦地から日本に絵葉書を送ったり、日本から戦地で手紙を受け取ったりできたのは意外でした。このシステムは、日清戦争から始まったそうです。
戦没画家が描いた絵を軸に、それだけに留まらず有名画家が描いた戦争画なども幅広く展示する切り口は新鮮で、心に刺さるものがありました。
▶︎ 収蔵品展「《地獄の門》ができるまで:素描、試作から完成へ」感想
収蔵品展では、主にロダン《地獄の門》に関連した下書きや、制作途中の写真がメインに展示されています。
写真撮影は、以下の5点のみ可能でした。ロダンと親交が深かった画家の作品です(静岡県立美術館の収蔵品)。特に、ロダンはモネと親友で、頻繁に手紙のやり取りや、作品の送り合いもあったそうです。
なお、写真撮影について「キャプションもパネルも撮っちゃダメ」と、丁寧に記載されていました。作品の撮影は、画家などに帰属する著作権や個別の取り決めにより禁止している旨は理解できます。しかし、キャプションまで禁止する理由は何なんでしょうか…?
収蔵品展を抜けると「ブリッジ・ギャラリー」があります。
その先に、静岡県立美術館の目玉「ロダン館」があります。
静岡県立美術館は、17世紀以降の風景画を収集の中心テーマとして出発。彫刻による人体表現にも目を向け、1988年に《カレーの市民》を購入した後、ロダンを中心とした西洋彫刻収集を始めたそうです。
なぜ、静岡県立美術館がロダン館を建設したのか。要するに「何となく」なのでしょうか。テーマを振り切ったコンセプトは良いと思います。しかし、そこにストーリーがないと、腹落ち感がありません。
ロダン館は、自然光を生かしたラグビーボールのような形のドーム構造です。東京国際フォーラムに似ています。ロダン館の中は全て撮影可能です。
館内には32の作品が展示されています。中でも《花子のマスク》が記憶に残りました。愛知県生まれの花子(本名:太田ひさ)は、20世紀の欧州で、日本の踊り子として活躍した国際派日本人。今の感覚でもすごく尊敬できます。ロダンは、58もの花子の彫刻作品を制作しました。
総論として、ロダン館は個性的で面白いと思いました。しかし、ただ作品を置いただけで、活かし切れていない印象を受けました。鑑賞者に対して、ロダン館ならではのメッセージは何なのか?が、伝わってきませんでした。
▶︎ その他
エントランス付近にも作品が3点展示されていました。
不思議だったのが、撮影とSNS投稿の可否を分けて示している点でした。1つは、撮影はOK、SNS配信OK。2つは、撮影はOK、SNS配信NGでした。
撮影OKなのは、私的複製の範囲内として理解できます。SNS配信NGなのは、公衆送信権を考慮しているためでしょうか。加藤泉はまだ存命ですが、東山魁夷はすでに亡くなっています。作品によって、どういう基準でルールを分けているのか、気になりました。
撮影の可否について、目的意識と納得感を得るために、1つで良いので理由を添えてもらえるとありがたいです(著作権者の許可がない、混雑緩和、シャッター音による鑑賞環境の阻害など)。
▶︎ まとめ
いかがだったでしょうか?無言館に関する展覧会は、今まで見たことがない切り口でした。アートという側面から戦争についても理解を深められるため、とても新鮮かつ多くの示唆が得られました。今後、都内のインパクトのある美術館において実施することを願います。ロダン館は、個性はありましたが、美術館側のメッセージを得られない点が少し残念でした。