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憧れの人はもたないほうがいいのかもしれない

ここ最近、毒親・虐待育ちによる大人になった後の弊害(アダルトチルドレン)と、その解毒法のようなものを少しづつ言語化できて、自身にも施して適応できるようになってきたから、雑記としてまとめておく。感覚で書いていることが殆どなので、言葉の使い方や文体は気にせずに書く。人間は変わることが当たり前なので、書いている途中でも価値観が変容するかもしれないことを前提として書き落とす。



①周囲の人間を神格化させるな


親に認めてもらうためを指針として幼少期を過ごしたので、「自分のやりたいこと」よりも「他者から認められること」を優先して長らく生きてきた。何よりも認めてもらうことが優先順位が上に来るので、自分が苦手な分野にも着手し続けて結果を残そうとする。得意なことを伸ばせばいいのに、評価されて自己肯定を育む機会がなかったので、得意なことを自分で振り落とすという悪循環っぷり。親や上司や役職などついている実質立場的に“上“と仮定される人間は、すべからく素晴らしい人間であるという前提を捨てろ、こちらが尽くせば返答してくれるという理想を捨てろ、相手も心をもつ人間であり、どんな施しをしても相性という複雑要因なものがあるので、合わない人は合わない。役職を持っていてもただの人間なので、ものすごく適当で身勝手なことを言いまくる、嘘や正しい情報でないことも多い、第一情報を自分で手に入れる努力をしろ、身を委ねるな、自分の身は自分しか守れない(が、それをガチガチにもしすぎるな)、あまりにも自分を大切にできずに、他人に酷く怯えている人間は相手を利用してやるくらいの関わりでもいいのかもしれない。

勝手に「私がこうすれば相手も喜ぶだろう」という妄想を捨てろ、合わないものは割り切るしかない。自分のことを一ミリでも興味を持ってくれる人間と、好意を抱いてくれる人の中でこちらも愛情を注げばいい、立場が上であろうが嫌いなものは嫌いでいい、それがあなたの感情、大人として形式上やるべきことだけやっておけば問題ない、みんなが仲良しで一緒にできるという幻想はない、努力して作り上げられるものでもない。


②お金の使い方を上手くなれ


幼少期に「お金がない」と言われ育ち、結果としてお金が起因でできなかったこと、我慢をしてきたことが多い。だから保守的になるが、今が一番若いので、将来のお金の心配もあるがしすぎるのも毒である。私の場合は、経験上ギャンブルや酒タバコには堕ちないと自己理解しているので、そんなにお金を使うことに対して恐れなくても大丈夫。若さゆえの経験として、みんなと横習え横で大学生ノリで以上の経験をしたが「面白い」と感じられなかったので、すぐにやめたよね、私は保守的すぎたので、ある程度お金を使っても大丈夫よ。(もちろん人による)

20代後半で久しぶりに一人で海外旅行へ行ってお金を使ったが、20代後半の今でさえ「もっと若い時に旅行へ沢山行っておけばよかったなあ」と、すでに体験による獲得刺激の薄れを感じている。これが30代40代だったらもっと後悔していたなとポジティブに捉えている。(もちろん30代40代でしか獲得できない刺激もあるので一概には言えない)それは後悔だけど、もう過ぎ去った年齢に恋をこがれても仕方ない、今が若い、今やりたいことをやろう。


③過去諦めたことに着手してみる


これでも、10代の頃にやりたいことは全て手をつてけてきたが(車とバイクの免許取る、趣味で洋服デザインして作る、漫才やる、カットモデルやる、スナップ掲載、カメラでポートレートをとる、被写体をする、ビッグバンドに参加する、海外旅行する、友人を増やす(結果減る)、オタク関係の取り組みetc)、全部継続はしなかったし、職業やお金につながった訳ではなく全部趣味。心の消極さと、自分の時間の足らなさの自分の責任でもある。もちろん20代になってからも絶え間なくやりたいことは全部やっているが(資格習得、学士取得、転職、結婚、音声配信、動画制作)自己表現で認められたいという承認欲求が邪魔をして、趣味で止まっていることにモヤモヤさを覚える。

これは「自分を認めてもらいたい」という欲求が根底にあるので、その欲求を直接的に埋める方法に切り替えたほうが健康的。私の場合は健やかになれる。それでお金が欲しいなら、もっと積極的に取り組んでハウツーで対処しながら取り組めばいいし、趣味の範疇でいいなら4割の完成度でいいのだから。

昔から他人が持っているから欲しいというより、私がこだわりたいから私がやりたいという軸で決めてきたので、大多数により他人評価はされづらい。それにも関わらず「大多数に求められること、認められること」に比重を置くのは、自分で自分の選択の仕方を非難している。大多数に求められるのは、大多数に求められる方法論があるのだからそれを忘れずに、自分がやったこと認められたいなら、そもそも母数が少ないということを自覚すること。


④人間関係の距離の取り方


愛を注げは返報するという幻想から脱却できたなら、案外スムーズに行けるよね。自己犠牲による他人の関わりは、仕事上では少なからず発生してくるが、趣味の類は離れればいい。もし私が好いているにも関わらず相手が離れていく場合もあるが、価値観は私も変わるし相手も変わるので(元々固執はしなかったが、やっぱり私が悪かったのかなと自責で反省しながらボロボロに傷つくことが多かったので慰めとして)、対人関係は一時的なものを前提として持っていると穏やかになれるよ。 

⑤妄想の中で生きるな


妄想の中で生きるのは容易い、「こう思われたらどうしよう」「これをすることによるメリットとリスクは?」これは、社会人という大人になった結果なので、決して悪い機能ではないが、自分の範疇で結果が得られるものに関しては、棚卸しをして消化をし続けること。やりたいことの消化は、案外簡単にできるかもよ。頭に溜めているとずっと溜め続けて辛くなるので吐き出す必要がある。

例えば一つとして、私は留学をしたいという思いがあったが、これは「現在いる環境から脱したいのか?」「学生時代に叶えられなかった夢に後悔と固執しているのか?」「単純に英会話能力を高めたいのか?」「他人からすごいとなんとなくで認められたいのか?」「他人と差別化させることでの価値比較による快感を得たいのか?」など、全部当てはまるのだろうが、ただ英会話能力を伸ばしたいなら日本でも向上できる訳だし、今いる環境から脱したいなら旅行者という手段でもいい訳だし、一歩目を踏み出してみないと、自分の根源欲求も、それを施すための方法論も見えてこない。コンプレックスの埋め合わせなのか、自分のポジティブな意での向上心なのかを見極めることも大事になってくるので、とりあえず、まずは妄想のなかでできる/できないと二元論で生きるのではなく、形として出してみよう。それで合わないと思えばフェードアウトしてもいい訳だし、着手したから完成しなければならないというものではない。


以上のこれらは年齢を重ねた結果と、成功者バイアス的な試行錯誤して得た結果なので、普遍的でみんなが落とすような言葉かもしれないが、やはり傷つかないと前進はできないのだな、と心を痛めながら皮肉なことに……とは思っている……


毒親育ちは、もうこれ以上傷つきたくないのだけど、生きている限り傷つきは発生する、ただそれにどう施せるか、どう自分が愛してあげるかの自分なりの方法論を知ることの重要性、その方法論を理解できて種類もたくさん持てるようになるが大事になってくるのかなと考えている。


みんなとスタートラインが違うから本当に努力をしている、追いかけてもみんなに追いつけないからこそ、自分なりのオーダーメイドの対処や対応法を作っていく、それはきっと毒親育ちだけじゃなくてみんながやっていることなんだとは思うけどね。

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