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スピリチュアルシリーズ③母の死を予知してしまった私の辛かった記憶( ; ; )
スピリチュアルシリーズ②はこちら↓
母の晩年はウツ病との戦いだった。
母は乳飲み子の時に自分の母親に捨てられ、その後、義母に育てられ、そのあと産まれた異母兄弟と差別され、実の姉とは長い間、別々に暮らしたという経験があり、愛情に飢えていたのだと思う。
今なら良く分かるのだが、そんなことに気づいたのは母が亡くなってからだった。
私自身は両親の愛情を受けて育ったため、
世間知らずの苦労知らずで…
亡くして初めて気付く空気みたいな大切なひと。
写真は、ハワイ島マウナラニリゾートの夕焼け:本人撮影
いつも当たり前のように、父に寄り添い続けて
いた母を亡くした父との会話を通して感じたことを書いてみます。
スキルス性の癌で余命宣告された母。
自分の消えそうな命に最後まで向き合うことなく、自ら肉体を脱ぎ捨て旅立った。
父は、母親のひと通りの法要を終えた後、急速に元気がなくなり…イヤ、生気がなくなっているように思う。そんな父が私に「母は空気
”今を大切にする”家族の死を通して感じること。
写真は沖縄県・宮古島の展望台に鎮座しているガジュマロの木:本人撮影
半年前に母が亡くなった。その後、祖母が危篤になり落ち込む父。
家族の生死を通して私が感じた「今を大切にすること」について書きます。関連記事は一番下にリンク貼りました。↓
半月くらい前、99歳の祖母がヘルペスにかかり一時危篤状態になった。約半年前に最愛の母を亡くし、最近やっと少しずつ元気を取り戻しつつあった父は、またやってきた
母の自殺から父へ毎日書いた葉書〜その後
写真は、当時、父へ書いたハガキの一部。
スキルス性の癌で余命宣告された母は、病気を苦に自ら肉体を脱ぎ捨て旅立った。錯乱した父と私はケンカ別れに。その後、父に葉書を出し続けた私と父のその後を書きます。
関連記事はこちら↓
母の死の後、ケンカ別れになった父に毎日ハガキを書き始めて約3ヶ月。枚数にすると約90枚。実は、さっきその父から、つ、つ、ついに電話が
きた!私は父の声を聞いた瞬間に涙が出ちゃっ