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挑戦に喜びを、失敗に学びを、成功に新たな挑戦を

■挑戦することのハードルを上げ過ぎない


挑戦することのハードルを上げる理由は誰しもが共通していると思います。

失敗するリスクです。

家族や職場での責任や自分の築き上げたイメージなど様々な守るものがあり、失敗を許されないなんて考えてしまうと、挑戦するハードルがどんどん高くなってしまうと思います。

このようなこと未熟で若輩者の私が書くことでも無いのは重々承知ですが、失敗するリスクを恐れ過ぎて挑戦しないことこそリスクです。

まず初めに伝えたいのが、致命傷さえ負わなければ逆にその失敗によって生じる傷が自分を強くしてくれます。

例えば空手やキックボクシングなどで、拳やスネを砂袋やビール瓶で叩いてその部位を強くするトレーニングがありますが、あれは小さなケガをさせて、回復して、骨と皮膚自体を固くしたり、その間の被膜を厚くして

痛みに耐えうるように体を変えて行くトレーニングであり、人間も失敗して傷ついてそこから学びながら、成長して行くモノだと私は考えております。

そして同じ刺激を受けていると人は次第にそこに慣れて行きます。

慣れるのは良いことですが、慣れたことを繰り返して行くと慣れるまでの過程から遠ざかり、慣れたことをするのが日常になるが故に

そこに居続ければ失敗も未知も少ないので、悩む機会も減り、安全地帯だと勘違いしてしまう。

確かに今慣れて適応している場所は痛みに遭遇する機会も減る意味で安全地帯ですが、更に慣れ過ぎてしまうと現状維持バイアスが働き

調和を壊す、変化を恐れる気持ちが強化される。毎日同じことをしている人ほどその行程や状態や考え方に愛着が芽生えて、それら全てが手放しづらくなって行きます。

その現状維持バイアスが新しい挑戦からの試行錯誤、失敗からの学び、打たれ強さなどが成長する機会損失を生み、逆に自分を弱体化させて将来のリスクを上げると

現段階ですでにもの凄い成功を納めて、安泰な方ならその安泰に浸かっているのも良いですが、そうでない方は挑戦して新しい壁や自身を邪魔する競争者たちに揉まれ

蛇から龍のように成長して行かなければ、特定の場所で飼い馴らされた家畜と化してより一層目の前の現実に拘束されてしまいます。

その第一歩が挑戦で、己を龍と成長させる為に人知れず努力を重ね、水中で身を潜め、力を蓄え、チャンスが来れば空へ舞い上がる

新しい環境や事柄に挑戦し、進化を遂げることは生きる者全てが体感出来る喜びなのだと心に置くべきで、決しておかしなことでも不自然なことでも無い

そして挑戦には失敗は付き物で、失敗は必ず誰かに批判されます。

行動する者の最大の批判者は行動しない者なんて言葉がありますが、失敗して批判する人の大抵が自分は失敗しない慣れたことばかりやってる人で、本気で挑戦失敗をして来た人は

挑戦する勇気と大変さを理解しておりますので、挑戦に対して肯定的だったりします。なので代案なき批判などの単に批判目的で何か言って来る批判者は

自分に集中してない取るに足らない存在なので存分に無視して、挑戦のハードルを上げないで良いでしょう。


▢待っていても空からチャンスは舞い降りて来ない


いきなりですが、気や命で使われる|《うん》という漢字がなぜ運ぶと同じ漢字を使うか、ご存じでしょうか?

元々の象形文字の運という漢字は、戦時中に兵士を運ぶ車、兵車と風でなびく旗の形をしていて、指揮官の指示で兵士をぐるぐると戦地のあらゆる所にめぐらすという意味から

運ぶの意味になり、指揮官の指示で運ばれる兵車に乗る兵士たちの命運が左右される訳ですから、その人の意志に関係なく訪れる現象の運命、運気、命運という現代の意味となった説が主流となりました。

この語源の通りに運気は元は戦場で戦ってる兵士に訪れる事柄で、戦っている(闘っている)者に回って来るものです。

何も戦場に出て戦え!とか、総合格闘技やって闘え!と言ってる訳でなく、各自自分の持ち場での闘いがあると思うのです。それが会社だったり。自分の弱さだったり、そこに立ちむかって居る人全員が闘ってる事になります。

この闘いから逃げてる場合は持ち場を放棄しているので、運気は運ばれてきません。厳しいことを書きますが、作戦でも何でも無く逃げ続けていれば

支配される部分が拡がって行くだけで、自分の弱さに向き合って来なかったならば、その弱さの支配区域が拡がってより生きづらくなって行くと考えます。

逃げ切れる事柄も確かに存在しうると思いますし、全てに戦え!という訳でもなく、自分の闘うべき所で闘って行って、例え上手くいかずに傷だらけになっても放棄せずに待場を守って、時に攻めて

そうした動きの中で、風向きが変わって、自分の運命も変わってくるのだと、私は確信しております。


▢失敗は成功の元?成功は更なる挑戦を生む


失敗は成功の元だの、母だの言いますが、先ほども説明に出た通りに致命傷レベルの失敗は次の成功を破壊します。

極論ですが亡くなってしまったり、植物人間になってしまったり、無期懲役で30年以上刑務所にいないと行けなくなったり、ここまで行かないでも失敗から回収出来るものよりも損失が大きく上回っている失敗に関してはしないに越したことはないです。

ただ逆に、そこまで大きな失敗以外は何とかなるものだと思います。

離婚しようが、倒産しようが、ニートになろうが、その人次第で失うもの以上に得られるものを増やせると考えるからです。

例えば離婚して独りになった時にふと家族やパートナーの大切さに気づけるでしょうし、会社や店が一回潰れて見ると、最初は落ち込むかもしれませんが、案外大したことねーな!と、開き直れます(経験あり)

ニートになってしまったても、元の状態の手前の所までは簡単に戻れます。高いレベルで上げ切った所から少しづつでも上げて行くのは大変でも、一回底に落ちた所から上げて行く方が精神的にしんどかったとしても、能力的には簡単だったりするからです。

一回当たり前だったことが離れ行って見てからの気づきや、無駄で遠回りのようで、また一から積み上げて行く過程というのは自分を洗浄してくれるというか

そこで腐らなければ、自分に驕り昂ぶりで濁って見えなかったもの、人のやさしさ、本性を見えるようにしてくれるのと

そして、堕ちた所から上がって行くのも牛歩の如くゆっくり周囲から見てわからないぐらいの歩幅で進んで行くのも、全て自分の成功体験となり次に向かうエネルギーに変わる

人の脳はは良くも悪くも、気持ち良さ(快楽)によって行動が強化されて行きます。

食事も睡眠も不足から得た時の特に気持ちが良いいもので、性行為すらも脳に経験が多く刻み込まてる男性ほど睾丸がなくなっても、性への興味がなくならかったという研究があるぐらい

アルコールや薬物も繰り返すことで脳の神経構造が変わり、より強い快楽を求めて用量が増えて行きます。

他の行動も同じです。

客観的成果が承認欲求を満たし行動を強化する人もいますし、過去の自分、現在の自分から半歩でも前に進めたことによって、少しでも景色が変わって見えることに喜びを感じる人もいると思います。

客観的な成果は他人がいないと成立しませんが、昨日よりも今日、今日よりも明日で、自分の歩を進めた時の喜びというのは一人でも成立する。

一歩ずつ、右足を出せば自然と左足も出る、歩いて行くうちにもっと先に進みたくなって行く、時には休んでも、戻っても良い

小さな自分の成功を感じて、時には振り返って行くと、1つの成功で大きなエネルギーにならなかったとしても、小さな成功体験の積み重ねが自信や新しい挑戦の欲求となり

更なる高みを目指して行くように行動が強化されて行きます。

なので、小さな挑戦でも良い、失敗しても良い、ショボい成功でも良いので何もしないで不安でうずくまってる、焦燥感に駆られてるのに何もしないのなら挑戦して行きましょう。

挑戦に喜びを、失敗に学びを、成功は新たな挑戦の原動力とし、良いスパイラルでより豊かに皆さんも生きて行って欲しいと願います。

終わりにしたいと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございました。またね!(●´ω`●)

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