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nami03221202
2022年2月4日 00:23
祖父母の家で起きはじめた不調和音それは、祖母がうつ状態が再発し深刻化していったそうだ。その原因の一つは【近所付き合い。】30年近く同じ場所に住んでいたが、近所付き合いに限界がきたらしい。井戸端会議で人の悪口やらなんやら喋ってばかりいる環境に限界がきたそうだ。でも、それだけでは無いと思う祖父との関係にも嫌気が差してきていた。そして認知症の症状が少し垣間見られていた。祖
2022年2月2日 16:05
姉が中学に入り、私の家族の中で大きな事件が起こった。それは、姉が入学して半年近く経った頃いじめの為に不登校になったのだ。詳細はわからないが、姉自身自分の意見を言うタイプではなく人の顔色を伺って、なんでも受け入れてしまうタイプだった為言われるがままやりたくもないバレーボール部に入り、クラスでもそのリーダー的人物に振り回されていたのだと思う。最初の頃は母もなぜ学校に行かないのか理由がわから
2022年1月16日 22:59
姉妹でもいつも怒られるのは姉の方だけだった。「お姉ちゃんなんだから」という理由ではなかった。「勉強しない」「片付けをしない」という理由だったと思う。ただ、それだけで姉は父からめちゃくちゃ怒られていた。怒鳴られ、泣かされ。母と父のダブルパンチの日もあった。その姿を見て怒られたくないという一心で親の顔色を伺い、姉がやってから自分もやるというずる賢く、容量の良い生活をする
2022年1月11日 19:24
小学生時代習い事を2つだけやった。1つは「水泳」習わせた理由は・親が2人とも泳げないから教えられない。・溺れた時に困らないだろうとそんな実用的な理由で習わされた。姉が先に行ってたから姉から色々聞きながら、一緒に行ったりしたので不安はそこまでなかった。水泳は最初は訳も分からず始めたができる泳ぎが増えるにつれて楽しくなっていった。おかげで全種目泳げるようになった。姉
2022年1月4日 00:55
お正月の時期の思い出?1日は祖父母の家に行って父母と祖父母と私達で気まずく、寿司を食べた思い出が数回あったような気がする。仲悪いのに体裁考えて形だけの正月をしようとする父母と祖父母。大して会話もないから一生懸命気を使って話してた記憶が微かにある。そして、お年玉をもらって帰るという思い出。父母は帰ってから気を使いまくって疲れた様子でいるのが今でも覚えている。「そんなに気を使う
2021年12月30日 16:24
毒祖父母の影響はHSPではない姉にも少なからず大きな影響を残していた。姉と私は幼少期周りと比べてちょっと太っていた。でも、ぽっちゃりしている程度だった。だが、年をとるにつれて姉は食べる量が増えていった。最初は育ち盛りだからと思っていた祖父母も少食の私に比べていっぱい食べる姉。そして、成長するにつれてぽっちゃりと言える範囲でなくなるくらい太っていく姉にいつの日か怒りを覚えていった祖父母。
2021年12月14日 22:56
私は物心ついた頃から家族揃ってご飯を食べた記憶がない。運動会では祖父母と叔母。祖父母の家では祖父母と。店では姉と一緒にお弁当を広げて食べる。家で食べることもごく稀にあったが、その時も両親とは別に食べていた。幼稚園から低学年までは外食をすることもあったがその時は私、姉、母。父はいない。だから家族揃って今日の出来事を話して家族団欒でという記憶がない。私と姉にとってはそれ
2021年12月11日 22:26
学校であった嫌な事。これも行事だけど、運動会も嫌だった。運動会は色んなプレッシャーに押し潰される場所であった。先生、児童が勝敗にこだわり一喜一憂し、怒りとイライラが露呈し会場の熱の渦に飲み込まれていく。親が来ない私にとっては他の学年の親や児童に親が来ない可愛そうな子というのを知られてしまうという恐怖や不安とプレッシャーに押し潰されそうになる。それと共に運動会の理想、幻想を毎
2021年11月20日 08:35
小学校で嫌だったことはもう数え切れないことあった。その一つが「授業参観」【嫌いな理由】①来るのはもちろん母一人 父はもちろん仕事。母しか来ない。 母は一人でしまい二人の教室を往復する。 限られた時間、離れた教室を往復する為に母が1人の教室に滞在できる時間はいつも5分〜10分 1教科全部いたことはない。②そもそも来れる日程ではない。授業参観は基本土曜日。自営業(飲
2021年11月4日 23:21
小学校編小学校に入っても祖父の家と店の往復は変わらなかった。小学校に入ると、習い事(水泳)も始め、学校、祖父の家、店と忙しさは増した。小学校に入り生活スタイルも大きく変わったが、母は決して私たちに家の鍵を持たせなかった。所謂「鍵っ子」には決してさせなかった。短縮授業などでお昼前に授業が終わったとしても、鍵は渡さなかった。私と姉は母が迎えに来るまで自宅マンションの駐車場で母の
2021年10月9日 19:49
〜祖父母との話〜両親が一緒にいる時間がない分、祖父母といる時間は多かった。人生初の体験はほとんど祖父母と体験した。映画もプールも海も楽しかった、でも祖父母と来ている自分がどうしても恥ずかしかった。みんなはお父さんとお母さんと来ているのに「なんで私は・・・・」そんな思いばかりが巡っていた。祖父母と叔母は両親といる時間がない私たち姉妹が少しでも不便に思わないようにと気を遣っ
2021年10月8日 18:21
〜幼少期編〜幼稚園も嫌だった。特に運動会なんて嫌すぎて1回しか参加しなかった。家族もこない、知らない大人に見られて、大きな音が鳴り響いて本当に嫌だった。だから、幼稚園に行く前にギャン泣き。親が手を引っ張って連れて行こうとしても拒否。泣きわめき手もつけられず休んだ。唯一参加したのは、年長の時。でも、覚えているのは終わった後に教室の隅で一人で体育座りをしながら泣いていた記憶。
2021年10月7日 09:01
〜幼少期の話〜そんな、こんなで家を出された私達家族。それを、きっかけに幼少期からある意味多重生活、忙しい毎日を過ごしていた。【平日朝〜昼】 幼稚園【平日夕方〜夜】祖父母の家(火・金)or店の楽屋(月・水)※木曜日は昼までの営業だったので夜は家【土日】終日祖父母の家【長期休み】幼稚園の代わりに保育園に行かされるある意味多忙な幼少期幼少期からHSP気質が強かった私はそれがどうも
2021年10月5日 19:15
〜今回は幼少期にあったことについて〜姉が生まれる前までは両親だけで住んでいたそうだが姉が生まれた直後くらいかな?母の実家に祖父母、両親、姉、私、叔母と住んでいた私が生まれてからも私たち家族は母の実家に一緒に住んでいた。どういう経緯で一緒に住むことになったのかは知らないが、多分、祖父が「長女なんだから2世帯住宅を」とか言ったんだろう。ただ、祖父母が母の子育てのサポートもしてい