家族って何? vol.12 〜苦痛の運動会〜
学校であった嫌な事。
これも行事だけど、
運動会
も嫌だった。
運動会は色んなプレッシャーに押し潰される場所であった。
先生、児童が勝敗にこだわり一喜一憂し、怒りとイライラが露呈し会場の熱の渦に飲み込まれていく。
親が来ない私にとっては
他の学年の親や児童に親が来ない可愛そうな子というのを知られてしまうという恐怖や不安とプレッシャーに押し潰されそうになる。
それと共に運動会の理想、幻想を毎回破滅させていく場所であった。
私はクレヨンしんちゃんみたいな運動会に憧れた。
私はまる子みたいな運動会に憧れた。
親が朝から場所取りをして、お弁当作ってビデオカメラ📷片手に子供を必死に応援する。
でも、現実は違った。
朝から一人でご飯を食べ、準備をし学校に行く。
場所取りを既にしてる他の親を横目に登校。
親は来ない。
祖父母が老体に鞭うって校庭の隅の方で場所取りをしている。
カメラも応援もない、
いつも孤独な戦いを繰り広げていた。
そんな中でも1位を取ったら喜んでくれるかな誉めてくれるかなと僅かな期待を持ち走った。
1位を取った。
でも、現実は違った。
誉めてくれたり、喜んでくれた記憶はない。
(抹消したのかもしれないが)
そんな運動会だった。
運動会では常にプレッシャーと不安に駆られていた。
入場門での待機列の順番を間違えないか。
祖父母はどこにいるんだろう?
場所教えに来てくれるかな?
姉と一緒に行った方がいいのかな?
まだ、場所教えに来ない。
ご飯食べれないのかな?
会えなかったら先生に言う?
いや、隠れてる?どこに隠れる?
応援しないと、頑張れっていっていいのかな?
みんな言ってるし言わなかったらヤバイかな?
そんなことばかり考えていた。
祖父母と一緒に来ている叔母が場所を教えてくれた時はいつも一段落つけた。
ご飯が食べれる喜び。
誰かが来てくれてた喜び。
でも、不安は完全には消し去れなかった。
ここから本当の戦いが始まるからだ。
親が来ていないことを他の学年の親や児童に知られる恐怖と戦わなければならなかった。
祖父母と叔母がいて母が途中からオードブルを持ってエプロン着て登場する恥ずかしさと。
(母はオードブルを渡してすぐ帰る。
だから顔も合わせない時も多かった)
奇妙な家族の光景に。
母は店で作ったオードブル昼の時間にを2個もってくる。
このオードブルは運動会に行けない父のせめてもの償いであろう。
でも、このオードブル本当は嫌だった。
6年間ほぼ変わらない内容。
普通のお弁当が食べたかった。
既製品がレジャーシートにのってるのが嫌だった。
この家はお弁当も作らないのかと言われているように感じた。
祖父母は実際そんなことを言っていた
だから、母の日はせめてもの償いでおにぎり🍙を作った。
でも、祖父母は運動会に来ない両親。
弁当を作らない両親に怒りをもっていた。
そんなプレッシャーと不満を感じながら食べるお弁当は美味しくなかった。
午後の部も見ずに帰る母。
幼い私には寂しくてつらくて泣きたくなった。
でも、泣かずに耐えてたら何とも思わなくなった。何とも思わない様になった。
だが、6年生になり試練があった。
午後の部で親子レースがあったのだ。
親と出れない児童は先生とやるという。
見せしめの様な競技。
私は母が出れなかったら叔母と出ることになった。
でも、せめて小学校最後母と出たい。
そんな思いがあった。
刻々と近づく時間。母は来ない。
あー無理だと思った。
また、こうやって裏切られるんだと思った。
約束なんてするんじゃなかったと後悔し続けた。
でも、なんとか母は来てくれた。
絶望に一筋にの光が差した。
ムカつくとか言いながらもめっちゃ嬉かった。
これが唯一の良かった思い出。
後は地獄でしかなかった。
運動会一人親家庭や親が来ない家庭には最悪な行事。
ご飯問題とか解決出来ないか?
来るのが当たり前ではなく来なくても安心してご飯を食べれて劣等感を感じない雰囲気、思考作りが必要だと思う。
子供はそんなにメンタル強くない。
強く見せているだけ。
だから、手を差しのべよう。