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無名な僕が出版社に企画を持ち込み、出版するまでに起きた物語(3)~「自分はなにも持っていない人間ですから」から始まった~



先生の出会いと、読書会

現役で受けた大学に全て落ちた僕は

「自分はなにも持っていない人間ですから」

と、先生に自分を卑下して伝えたのは、ある予備校の古い校舎の放課後のちょっとした雑談の時だったと思う。

先生は大学入試対策の一環として、英語論文に関する講座を担当しており、その時の一人の生徒として僕は先生と出会うことになった。

その講座は英語で書かれた文章を読み、それについて日本語で小論文を書く試験の対策講座であった。

その授業はとにかく面白かった。

10代の僕には少し背伸びのした内容であったけれど、それまで学んだことも聞いたこともない話ばかりで授業を受けた夜は頭を酷使しすぎて眠れなくなるほどであった。

たとえば、ある大学の試験問題に使われた心理学者ブルーノ・ベッテルハイムの文章を題材にした授業がある。(この心理学者は、昔話が子どもの心理発達にどのような影響があったかを研究するような人であり、自閉症について見解を述べて世間に波紋を起こした人でもあった)

その時に補講として配られたプリントには「勉強を通して何を得られるのか」ということが書かれた。すこし長いけれど要点をまとめると次のようなもののである。

ベッテルハイムの言葉には、自然な日本語の感覚から離れた表現が見られ、そこには私たちが理解しづらい理論的な背景があるのだろうと推測できた。

さらに、題文の核心を成す内容が課題文自体に明示されていなかったため、ベッテルハイムが「無意識の求めるものが適切に満たされないかぎり、人生は不完全に思わざるを得ない」と結論づけた理由も不明なまま、考察を中断するしかなかった。

…(略)…

文章をより深く理解しようと分析を進めた結果、疑問が残る形で終わった。

これは当たり前の話のことである。

というのも、日本人が学ぶことになる学問の多くは、私達とは異なった分館や歴史を持った欧米由来の著作であることは避けられないからだ。そのまま受け入れられず自然と疑問が生じるのは当然のことなのだ。

しかし、このような場面で大切なのは「その疑問を持ち続けること」である。

こういった疑問は、理解したいという欲求と結びつき、学説や思想、文章を解きほぐす力を生み出す力になる。そしてそれが、現実に立ち向かうための新たな原動力となる

だから、学生のうちに身につけておいた方がいいことは何かを知ることよりも学び方である。

…(略)…

書いてある内容や学説そのものを学ぶことだけに専念することは、自分の人生の道を誤ることになる。

なぜなら、ある学説や思想、文章表現の核心を理解したとき、最も初めに求められるのは「自らの人生」を歩むことだからだ

こうしたことに気がつき、学びを通して自分の道を歩み始めたとき、それまでに読んだ著作から一つの人間像が浮かび上がってくるだろう。

そして改めてその人間像を目にしたとき、学びの過程で抱いていた多くの疑問は、いつの間にか消え去るか、あるいは解決すべき具体的な課題へと変わっていることに気づくはずである。

たんに「どうすれば点数が取れるのか」を教えるわかりやすい授業が多い中で、そもそも「学ぶとはどういうことか」を伝えてくれる、稀有な授業だったと思う。

とはいえ、これだけであれば「面白い授業の一つ」として終わっていたかもしれない。日本屈指の講師が集まる予備校では、面白いと感じる授業はいくらでもあったからだ。

実のところ先生の授業が特別なものとなったのは、授業中に起きた出来事がきっかけだった。

それは2週間に1度行われる模擬テストの解説授業でのことだった。確か、テストの2回目か3回目の解説授業だったと思う。

その日の小論文のテストで、受講者の一人が参考書かインターネットに載っていた模範解答をまるまる暗記し、それをそのまま写して提出していたのだ。

小論文とは、与えられた文章に対して数千字の自分の考えを書く試験であり、本来その場で考える力を試されるものである。

しかし、その場で考えるとは言っても、似たような話題を事前に覚え、それをそのまま書くという方法が「受験対策」として広く行われていたのも事実であった。

ところが、先生はその行為に対し
「誰かが書いたことを写すことで、その著者を馬鹿にするな」
と先生は本気で怒っていた。

はじめ、僕は先生がなぜそれほどまで怒っているのか理解できなかった。

むしろ、「自分とは関係のないことで、授業の時間を無駄にするなんてもったいない。あ~ぁ、早く終わらないかな」と正直なところ、他人事のように思っていた。

しかし、斜に構えて話半分に聞いていると違和感があった。

それは学校や塾の先生、あるいは大人たちが怒るときの雰囲気とは明らかに異なっていたからだと思う。

そして、段々と聞いているとその違和感に気がつくことになった。

先生が怒っていたのは、生徒が自分で考えることを放棄したこと、世の中を軽んじたこと、不誠実な態度で生きていることに対してだった。

そのことに気づいた瞬間、僕は衝撃を受けた。

それまで僕が出会った大人たちの多くは、私語や不勉強、ズルをしたことに対して怒ることはあっても、そこから先のことには触れなかったからだ。しかし、先生は目先の不正や倫理観ではなく、その人の人生を見据えた視点から話していたのだ。

このとき、僕は初めて先生の本心に触れた気がした。

そしてこう思った。

「もっと話を聞きたい」と。

そして、授業終わりに時たま先生と雑談をするようになった。

何を話しているのわからない読書会

予備校の最後の授業で、先生が個人的に主催している読書会についてアナウンスをした。

「もし、大学に受かった後にも授業でやったような話に興味がある人は参加を待っている」

それを聞いた僕は大学に受かると、その読書会に参加することにした。

子の読書会は開催場所は渋谷にほど近い、代々木公園の近くにある公共施設の一室で行われて、参加する人たちは大学生だけでなく、社会人も混じっており、年齢も性別も様々であった。

この読書会で一人では一生出会うことのなかった本たちに出会うことになる。

アリストテレスの『詩学』、ダンテの『神曲』、アウエルバッハの『ミメーシス』、カントの『純粋理性批判』、芥川龍之介の『侏儒の言葉』、アラン・ブルームの『アメリカン・マインドの終焉』、須賀敦子の『トリエステの坂道』、夏目漱石の『私の個人主義』等々……。

しかし、あまりにもレベルが高かった。

他の参加者の発言を聞くだけで精一杯で、自分から意見を述べることは到底できなかったそうになった。

特に読書会の最後には、その日読んだ部分について先生から課題が言い渡され、次回までに何かしらの文章を書いてくるのが通例だった。

しかし、何を書いていいのか分からない僕は、一度も課題を完成させることができなかった。

そんなあまりの出来なさに見かねた先生は、大学2年生の夏休み、僕を自宅の書斎で本の読み方を特訓することを提案してくれた。

勉強合宿「カンヅメ工場」

先生は昔から僕のようなできない人間に強化合宿のようなことを定期的にしていた。これは読書会のメンバーの間で「カンヅメ工場」と呼ばれていた。

どうやら、この「カンヅメ工場」は、その名称が表すようにギュウギュウと詰め込む、強度の高いトレーニングのようなものらしかった。以前参加した人から話を聞くと、あまりの辛さに、途中で何かしらの理由をこしらえて逃げだし、なんとか生き延びたなんてことを笑って話していた。

そんな噂に少し脅えつつも、僕はおっかなびっくり、先生の書斎を初めて訪れることになる。

夏の暑い日、事前に教えられていた少し古めのマンションに到着すると、先生の書斎がある部屋を目指してエレベーターに乗った。そのエレベーターを降り、目の前には三つの扉が並んでいるうちの一室のインターホンを押すと、先生が扉を開けて迎え入れてくれた。

部屋の中に入ると、そこは天井近くまで本が詰まった、「これぞ書斎」という空間だった。まるで異世界に迷い込んだような感覚を覚えたが、中央に置かれた六人掛けのテーブルに座ると、先生がすぐに課題を提示してきた。

課題は、芥川龍之介の短編『侏儒の言葉』に収められた1000文字程度のエッセイ「鼻」を分析し、分かったことを文章にまとめるというものだった。

正直言って、とても厄介な課題だった。それでも、僕は毎日2~3時間、書斎に通って文章を書き、それを先生に見せて感想をもらう作業を繰り返した。

しかし、どんなに考えても筆が進まないことが多く、そんなときには先生との雑談が始まるのが常だった。

「この文章の初めは次のように始まっているな。

『クレオパトラの鼻が曲っていたとすれば、世界の歴史はその為に一変していたかも知れないとは名高いパスカルの警句である。しかし恋人と云うものは滅多に実相を見るものではない。いや、我我の自己欺瞞は一たび恋愛に陥ったが最後、最も完全に行われるのである。』

芥川竜之介『侏儒の言葉』

こうやって書かれているけど、これは本当だろうか?」

「本当ってどういう意味ですか?」

「だって恋愛をすると、自己欺瞞になるのだろうか。自分の本心を隠して、自分に嘘つくようなことがあるのだろうか。自分の経験と照らし合わせてみてどう思う?」

「たしかにそう言われる、誰かを好きになったからと言って、自分を騙すなんて、変な話ですね」

「そうだろ。そうするとこれは芥川が当時つく合っていた女性との関係をいっているのではないのか?」

なんて言いながら、僕との雑談が始まり、その時話したことを僕は何とか文章にしていった。そして、この何度も繰り返すうちに、なんとか一つの形になった文章が完成することになる。

すると不思議なことに、それまで全く理解できなかったような本でも、少しずつ内容が分かるようになった。ついでも、自分の意見も少しは語れるようになった。自分でも何をやったのかよく分かっていなかったが、このひと夏の経験によって、他の生徒たちの理解に少しだけ追いつくことができたように思う。

そうは言っても、先生の教え子の中でも不出来な生徒の一人だったことは間違いなかった。他の人はこんな修行のようなことをしなくとも、自分で乗り越えていったのだから。

才能がない自分が読書会でもらった言葉

読書会に参加したことで、その後の人生の指針となるいくつもの示唆をもらうことになった。

たとえば、才能についての話だ。

18歳にもなれば、自分にこれといった才能がないことは、なんとなく理解していた。しかし、そうであってもどうにかならないかと考えていた時期に、授業で次のような話があった。

「ヘーゲルよりも、彼と一緒に大学で学んでいたヘルダーリンのほうが才能はあった。ヘルダーリンは若い時からいい詩を残していたし、鋭いセンスを持っていた。しかし、残したものはヘーゲルのほうが大きい。ヘルダーリンは若くして精神を病んでしまったことも理由の一つだけど、それを除いても、ヘーゲルが残したものの方が深い」

「センスがないのにですか?」

「そうだ。ヘーゲルは鈍感な人間でなければ残せないものを残した。それはヘルダーリンのような才能のある人ではなく、鈍感なものだけが歩める険しい道だ。ヘルダーリンの詩を読めばわかるが、明らかに彼のほうが繊細で、若い時から多くのことを瞬時に理解する能力があった。一方で、ヘーゲルは恐ろしく鈍感だ。だから、一歩一歩、地道に物事を理解していくしかなかった。でも、だからこそ、彼は自分の頭でじっくりと考え抜くことになった。それが最後には大きな成果として結実して、私たちの手元にまで届くことになった」

僕はこの話を聞いたとき、才能といったものだけでなく、どのような歩み方をするのかが大切なのかもしれないという思いを、心にしまうことになる。

また、大学に残り勉強を続けるべきか、それとも社会に出るべきかと迷っていた時期に、先生が授業で語った言葉も印象に残っている。

「パスカルから抜けるには、社会生活だけでは身につかない。本当に何かを求めないといけない」

この言葉は、フランスの詩人であり哲学者でもあったポール・ヴァレリーの言葉を引用しながら、パスカルの生き方について先生が語っていたときに言った言葉だ。

フランスでは、大学に入る前からデカルトやパスカルといった思想家を学ぶ。そして「君はパスカルのようだ」と例えたりするほど、パスカルの名前は一般的であった。だが、ヴァレリーは、そんなパスカルを高く評価する世間を批判する。そのヴァレリーの話を受けて、先生はもう一歩踏み込んで語ったのだろう。

とはいえ、僕は先生が語ったこの言葉を完全に理解できたとは言えない。

そうであっても、こういった何か未だに記憶に残る言葉が数多く心に漂っている。

「自分は何も持っていない人間」だと思っていた僕にとって、そういった言葉が、自分の人生の先を照らしてくれることだけは、どこか本能ともいうべきもので、気がついていたからだ。

そして、これは僕だけに限った話ではなかったと思う。

読書会に参加していた全員が、このような先生の言葉を欲していた。

今回の書籍の企画のテーマは、そのような言葉をまとめることでもあった。

(続く)


一つ前


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