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アダルトチルドレンは燃え尽き症候群になりやすい? 甘えじゃないその理由とは
◉アダルトチルドレンは、どうしていつも仕事で燃え尽きてしまうのか
アダルトチルドレンの方はその過酷な生育環境により、家族のために自分の人生を費やしてきた人が多いです。
目の前の過酷な毎日をなんとか生きしのぐために精一杯でした。
一日一日、怒り、悲しみ、絶望し、諦めが積み重なり、そして感情がなくなっていく、自分の感情がわからなくなっていく。
精神科医キューブラー・ロスの提唱した「死の受容のプロセス」、『否認・隔離、怒り、取引、抑うつ、受容』にも少し似ているような気がします。
◆エリザベス・キューブラー=ロス「死の受容のプロセス」
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
そんな人生を送っていく中で、刺激的な人生の充実感を得たいという、とても強い思いに突き動かされる人がいます。
わたしもその一人です。
重度のアルコール依存症とうつ病の父親のもとで思春期を送り、自分の人生に失望していた20代後半。
ノイローゼや顔面痙攣になりながら勤めていた建築関係の会社が店じまいすることになり、わたしは再就職のつなぎのためにアルバイトを始めました。
たまたま求人雑誌で見つけた短期バイトでしたが、そこでわたしの人生は大きく動き出しました。
たくさんのホビー商品やベビー用品を扱う大型店で「フロントエンド(お客様対応係)」というセクションに配属されました。
人間関係がうまくいかないアダルトチルドレンにとって、不特定多数の人たちと向き合うキツい仕事ではありましたが、はじめて大勢の人の中で働く喜びも知りました。
自分にはない多様な価値観に苦労しながらも、新しい自分の人生がひらけていくような、そんな高揚感もありました。
「初めて自分のための人生を歩んでいける」
そんな希望めいたものを感じました。
そこから雑貨・家具店、ゲーム・CD・DVDショップ、家電販売のエンタメ部門の販売と、膨大な人々と膨大な商品の世界を全力で駆け抜けました。
自分の限界に気づかず、良くも悪くもとても刺激の強い、カオスな毎日を送っていました。
生きづらい人生で疲れ果てていたはずなのに、どうしてそんな生き急ぐような生活を送っていたのでしょうか。
それは次のような気持ちがあったからだと、今にして思います。
◉自分の人生を取り戻したいという叫び
「アダルトチルドレンとして失ってしまった自分の人生を取り戻したい」
そう、自分の力で自分の人生を取り戻したかったのです。
そんな飢えた魂ゆえの焦燥感と高揚感を感じながら、やりたいことのために転職を繰り返していったのでした。
振り返ると、それは燃え尽き症候群のまま、前のめりに足元がおぼつかないままに、がむしゃらに走り続けていたといえるでしょう。
やりたい趣味に全力でのめり込み、やりたい仕事に全力でのめり込み、今までなかった人間関係にのめり込みました。
いわば、親のアルコールとは違う種類の「依存状態」に陥っていました。
人生の生きづらさが積み重なっていたのでしょうか、年齢を重ねるごとに病気が重なり、40代に入った頃に精神的な病にかかってしまいます。
「自分がやりたくて求人もありそうな仕事」のリストも底をつき、完全に人生に行き詰まってしまいました。
その事実に「ああ、またアダルトチルドレンという自分に本当に向き合わなくてはならないのか」と愕然としました。
早い時期に自分がアダルトチルドレンを自覚して、人生が行き詰まらないように頑張ってきた。
それなのに、燃え尽きるほど頑張る姿そのものがアダルトチルドレンの生き方の一つだったのです。
この「何十年もの時を超え、時限爆弾のように作動するアダルトチルドレンの人生の罠」というものは、本当に恐ろしいと思いました。
では、どうすればよかったのでしょうか。
◉「燃え尽きてまで自分の人生を取り戻そうとすること」よりも大切なこと
当時のわたしは、自分の考えでその時のベストと思える行動をとってきました。
あの時期の、生き急いでいた自分の毎日が、その日を生きる希望でもあったのも事実です。
やはり、ほかのやりようは無かったのではないかと感じています。
これからの自分の人生、どうやって生きていくのか。
それは「あえて頑張らない」こと。
いろいろなところでよく聞くこの「頑張らない」という言葉。
「なんだ、なぎのなつも結局それを言うのか」と誤解を招くといけませんので、詳しくお話ししますね。
これは「ハナから何も頑張らない」わけではありません。
アダルトチルドレンの方は、無意識に頑張って生き急ぐ習性を持っていることがあります。
そんな自分に「いま無理して頑張ってるでしょ? でもね、頑張らない、頑張らないよ」と言葉をかけることはとても大切。
いつの間にか頑張り過ぎてしまう自分には、ちょっとくらい「頑張らない」と言い聞かせても足りないくらいなのです。
自分の心の隙間を埋める「強すぎる刺激」は、心身へのダメージもとても大きいです。
そしてそのダメージを癒すために、また新たな刺激を求めて自分の人生を自ら追い詰めていくのです。
それを防ぐために、あえて「頑張らないよ」と自分に言ってあげるのです。
「何もない自分は、何ものかに成らなければ」と生き急ぐ気持ちを整えてあげることが大切です。
では、頑張らないと自分に言い聞かせることで、人生の何が手に入るのでしょうか?
◉燃え尽きてしまったあとでも人生で手に入るもの
「頑張らないぞ」と自分に言い聞かせることで手に入るもの。
それは「これからの健康と時間と心の安定」です。
「そんなのつまらない」「夢がない」と感じるかもしれませんね。
その日その日を必死に頑張って生き抜いてきたアダルトチルドレンの方の中には、長期的な視点を持ちづらく、無意識に自分の健康の限界を超えてしまう方が多くいらっしゃいます。
その結果、身体を痛めてしまったり、考え方や精神的に決定的なダメージを受けてしまい、かつての健康な自分は戻ってこなくなってしまいます。
燃え尽きて人生行き詰まった時、悲しいことですが、それまでに過ぎてしまった年月も、失われてしまった自分の人生も取り戻すことはできません。
年齢的にも30〜40歳台を過ぎた頃になると、体力・気力的にチャレンジし続けることが難しくなってきますし、仕事については労働市場も厳しくなってきます。
でも、大丈夫です。
それで人生が本当に行き詰まるわけではありません。
そうした状況で、「覚悟を決めて頑張らないようにする」ことで、これからの今までの自分と、これからの自分を見つめ直すことができるのです。
あなたにも、今まで燃え尽きてまで頑張ってまで手に入れたものがあったはずです。
「自分にはそんなもの、なにもなかったよ」とあなたは思うかもしれません。
今までの過酷な生育歴のために、「自分の価値なんて大したことないんだ」と思わされているかもしれません。
でも、そんなことはありません。
辛酸をなめながらチャレンジしてきたのであれば、その時々に手に入れたスキルがあるはずです。
それは、人間関係の苦しさに、まさに吐き気をこらえながら仕事をこなしてきた遂行力だったりするかもしれません。
あなたが受けてきた心の痛みで、あなたの周りの人の痛みを思いやれる深い心だってあるかもしれません。
まさに、そうして生き抜いてきた「あなた自身の生きる力」に価値があるのだと思うのです。
それを一つひとつ大切にして、そこまで燃え尽きるまで頑張ってきた自分は、控えめに言って「ちょっと誇らしい」。
そして、ねぎらって、いたわって欲しいです。
そしてこれからは、その体験や経験活かして、自分を追い詰めない生き方を目指していくことが大切なのだと思います。
◉人生、何かを成し遂げる必要なんてない
そもそも人間って、必ずしも何かを成し遂げなければならないのでしょうか?
「何かを成し遂げなければならない」
「人生は成功をしなければならない」
今の社会にそういうふうに思わされているところもあると思います。
でも、わたしはもうそんな謳い文句に付き合わなくてもいいのではないかと思っています。
「今日はごはんがすごい美味しかったな」とか。
「今日の空はすごい綺麗だったなあ」とか。
「好きなアニメや本がちょっと面白かったな」とか。
「今日は気分の浮き沈みがあまりなくて、体調がちょっと良くて気分がよかったな」なんて。
そんな派手さがないくらいの日々が、本当はとても得難い一日なのだとわかったとき、自分の人生を味わい深く感じられるのだと思うのです。
そのために、まずは歩みのスピードを緩めることから始めてみてはいかがでしょうか。
・せっかくの休日に終わらないほどの雑用をつくらない
・全くの手付かずになってしまうほど趣味を増やさない
・仕事で、もう一歩踏み込めば欲しい評価が得られるかもしれないと思う気持ちを、ぐっと手前でセーブする
今後自分が何を目指したいとか、何かのために役割を果たしたいとか、そういうことは一度自分のオーバーペースを整えてから、ゆっくり考えていけばいい。
そうした「少し物足りないくらい」の落ち着きのある生活環境にしていくことが、まわりまわって、穏やかな日々につながると思っています。
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