【読書コラム】創作に必要なのは「えいやっ」という諦めである。こだわっていたら、永遠に作品が完成しないぞ。「これでいいのだ」とバカになろう! - 『センスの哲学』千葉雅也(著)
電車には本の広告がよく貼ってある。大抵は自己啓発本だったり、ビジネス書だったり、占いだったり、向上心ゼロなわたしには眩しい言葉が並びがち。キラキラしてからなぁと他人事として眺めている。
でも、この前、珍しく気になる宣伝を見つけた。千葉雅也さんの『センスの哲学』というやつで、キャッチコピーがいい感じに脱力していた。
効用について、断言していないのがよかった。それなら、ちょっと、読んでみようかなぁって気になった。まんまと作中にハマっている自覚はあったが、騙されているわけじゃないし、ワクワクしながらAmazonでポチッとやっていた。
千葉雅也さんと言えば、新進気鋭の批評家として世に現れて、小説家として発表する作品が芥川賞候補に毎回ノミネートしている強々文化人というイメージがあった。
専門もデリダとかフーコーとかドゥルーズとか、いかにも難しそうなフランス現代思想。そんな人が掲げる「センス」ってきっと難解なのだろうと身構えながらページを開いた。
そんな気負いが影響したのか、想像以上にカジュアルな語りっぷりにいきなり心をつかまれてしまった。なんというか、こんなにわかりやすくていいんですか? とお伺いを立てたいレベル。
なにせ、「センス」って言葉はよく使われるけれど、いまいちピンときませんよねと感覚的なところから話を始めてくれる。そして、日常で経験するような具体例でセンスの良し悪しがなにを意味するのか、ざっくりと解き明かされていく。
それをわたしなりに咀嚼すれば、センスが問われるとき、基本的にはお手本が存在する。インテリアのチョイスでも、BGMに選ぶ曲でも、居酒屋の注文でも、誰もが認める正解があるものだ。その絶対的なモデルとの比較で我々のセンスは評価されている。
このとき、お手本通りにやろうとしても、素人にはなかなかうまくいかない。なぜなら、その世界で有名になるようなトップランナーはいわゆる天才であり、凡人には真似ができない技術を持っているから。
故に、三流が一流のように振る舞おうとすれば、本物とのズレが明確化してしまって、「センスがない」と言われてしまう。
じゃあ、どうすればいいのか。あえて一流と全然違う道を行けばいいのだ。千葉雅也さんはこのことを「土俵を変える」という言葉で表現していた。
既存の物差しから外れることで、不利な比較から逃れることが可能になる。既存の価値観で一位にならなくては「上手い」とは言えないのかもしれないが、それはそれでありという「ヘタウマ」のポジションを獲得できるかもしれない。
そんな風に独自の立ち位置を固める生存戦略こそ、「センスが良い」の正体らしく、第一章の終わりでこんな風にまとめられていた。
前々からそんな気はしていたけれど、言語化されたことで個人的にはすっと腑に落ちた。加えて、ヘタウマが肯定されたことで、自分も創作活動をしていいんだという安心感に包まれた。
小学生の頃、わたしはなんでもヘタウマだった。
図工の時間で絵を描けば、授業で教わった描き方とは全然違うけど、独特な迫力で県のコンクールで毎年賞を取っていた。音楽でも音程は合っていないけど、楽しそうな歌い方が素敵と先生に褒められ、楽しくやっていた。
勝手にクリエイター気質を自認し、きっと将来は天才として世に羽ばたくと信じ切っていた。
ところが、中学生になって、あっさり鼻はへし折られてしまった。
思いのままに絵を描けば、色の使い方が変とクスクス笑われた。のびのび歌うと合唱祭で勝てないとクラスメイトに叱られてしまった。段々、自分は天才なんじゃなくて、単にヘタクソなだけだったんだと視界が暗くなってきた。
まわりに迷惑をかけないため、どんな分野でも、まずは正しい作法を学ぶことが大切と考えるようになった。マニュアルをしっかり読み込み、そこに書いていないことはやらなくなった。お陰で勉強は得意になり、成績もぐんぐん伸びていった。
みんなから一目置かれるようにもなった。ホッと一息ついたことをいまでもよく覚えている。
ただ、そのことによって、自分の中のクリエイター気質は死んでしまった。授業で作品を作るだけでも、ダメなやつだと思われるのが怖過ぎて、ネットで調べた世界的傑作を参考にしていた。まんま同じだとパクりと指摘されそうだから、ちょっとだけ変えるのがどんどん上手くなっていった。
同級生の目は誤魔化せた。凄いなと褒めてもらえた。でも、美大出身の先生の態度は冷たかった。
「君、ルシアン・フロイドが好きなんだね」
そんな一言で心臓がキュッと縮み上がった。
案の定、コンクールで賞を取ることはなくなった。代わりに学年で一番バカと言われていた男子の絵が優秀賞をもらっていた。
全校集会で校長先生が彼を表彰し、せっかくなのでとその絵を披露した瞬間、体育館の至るところで「キモい」やら「ヘタじゃん」やら罵詈雑言が飛び交った。中には、わたしの絵の方が優秀賞にふさんしいと擁護してくる友だちもいた。
しかし、わたしは知っていた。学年で一番バカな男子が誰よりもセンスが良いということを。対して、こちらはセンスのない人間であると。
いや、あの場にいた全員が本当はわかっていたのかもしれない。
彼の絵はあまりに美し過ぎて、まともに見たら最後、己の欺瞞に耐えられない。だから、自分を守るため、攻撃せずにはいられなかった。
要するに、学年で一番バカな彼に嫉妬していたのだ。スポーツ万能なあの子も、通信簿がいつもオール5なあの子も、ティーン誌のモデルとして活躍しているあの子も。既存の価値観に縛られない自由なバカに、内心、憧れていた。
もし、過去に戻ることができるなら、笑われることやバカにされることを恐れず、ヘタウマを貫き人生をやり直したい。そうすれば、本当に自分のやりたいことができていたのかも。
ちゃんとしようとこだわったせいで、なにもできない無駄な時間を過ごしてきた。千葉雅也さんが音楽について語るくだりを読みながら、胸がキリキリ痛くなった。
これはまさしく、そうだと思う。少なくとも、わたしはnoteの毎日投稿をするようになって、日々、同じことを感じている。
中学を卒業し、第一希望の高校、大学に進学。映画が好きだったので、映画制作の仕事をしながら、いろいろなことに手を出してきたけれど、30歳を過ぎたあたりで、このままじゃまずいと本気で不安になった。
なんかやらなきゃ。漠然と模索する中でnoteを見つけ、とりあえず書けることを書いて発信してみた。
最初は読んだ本の感想だった。全然、反応がなくて、本当にネット上に公開されているのかな? と疑った。その後、いくつか記事を投獄したところ、扱った本の作者さんがツイートしてくれた。スキが一気に10個もついた。誰かが読んでくれている事実にテンションが上がった。
ただ、そのことを意識した途端、下手な文章は書けないぞと気合を入れてしまった。1年以上、更新を止めてしまった。で、満を持して長編小説を出した。
ありがたいことに最後まで読んで頂き、コメントまでもらうことができた。それはとても嬉しく、やってよかったと思えるものだった。でも、鼻息荒くこだわって、1年も間を空ける意味はなかったと冷静になった。
急に力が抜けてしまった。なんでもいいから創作したいとnoteのアカウントを作ったというのに、これじゃあ、元の木阿弥だった。
もっと適当にやってみよう。で、趣味である料理に関する話を肩肘張らずに書いてみた。
これまでと比較にならない熱量のコメントをもらった。創作活動の楽しさを久々に味わうことができた。それこそ、なに考えずに表現ができていた小学生以来かもしれない。
なんだ、これでよかったのか。ウケるとか、ウケないとか。カッコいいとか、カッコ悪いとか。頭がよさそうとか、悪そうとか。余計な基準はかなぐり捨てて、とにかく、好き放題やってみよう。
気持ちを切り替え、とにかく、のびのびnoteを書くようになった。不思議なもので、凄いものを書こうとしていた頃より、自然体になってからの方がたくさんの人に読んでもらえている。
そう考えると、千葉雅也さんの言う通り、上手くやろうとするのをやめて、自分基準にシフトすることが創作には必要なのかもしれない。
たしかに発表するのは怖い。noteの記事を出すだけでも、わたしは毎日、もっと書くべきことがあるんじゃないかと緊張している。今日の内容がダメ過ぎて、昨日まで読んでくれていた人たちが離れちゃうんじゃないかと想像したら、マジで身体が震える。
でも、そこでクオリティを上げようとしたら、たかが数千文字の記事でさえ、永遠に完成しなくなってしまう。直すべきポイントはいくらだって存在しているんだもの。
どこかで諦めるしかない。今度こそ、ついにボロが出てしまうかもしれないけれど、「えいやっ」と飛んでしまうのだ。
もちろん、ああすればよかったという後悔は無限に湧いてくる。公開を停止したい欲求に襲われる。ただ、そんなときは「これでいいのだ」とバカになろう。てか、それ以外、このストレスに耐える方法があるとは思えない笑
たぶん、そんなチャレンジが積み重なって、その人のセンスは形作られていくのだろう。
残念ながらわたしは天才じゃなかった。そのことは悲しい事実である。とはいえ、それでも人生は続いていく。だったら、ヘタウマを楽しまなくては損だよね。
ってことで、今日もわたしはnoteの記事を書くのです。
読んでくれて、ありがとう。そんじゃ、また明日!
マシュマロやっています。
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