見出し画像

【読書コラム】ラスト1行が衝撃過ぎて、思わず「あっ!」と声が漏れてしまった「忘れえぬ人々」 - 『武蔵野』国木田独歩(著)

 今度、日本の自然主義文学について話す機会があるので、いろいろと代表的な作品を読み込んでいる。議論の運びとしては島崎藤村『破戒』と田山花袋『蒲団』を中心にまとめ、後々、私小説というガラパゴスな進化を遂げたという方針を立てている。

 残り時間はあと10日ほど。まだスライドは作っていないけれど、私小説とプライバシーの問題に触れるなど、いくらでも話題はあるだろうなぁと楽観している。だから、せっかくだし、自然主義の幅を広げておこうと国木田独歩『武蔵野』にも手を伸ばしてみた。

 もちろん、その存在は中学の国語便覧で知ってはいたし、日本文学における重要人物であると認識もしていた。ただ、なんとなく、これまで縁なくやってきた。好きとか嫌いとか、そんな段階にもない。本当、読んでこなかっただけ。

 たぶん、このときを逃したら、わたしは国木田独歩を読むことのない人生を送ることになるだろう。そんなことを考えた。すると、いますぐ読まなきゃいけない気がしてくる。ちょっとした妄想だけど、読むはずじゃなかった本を読むとマルチバース世界に行けるような気がするから。言ってしまえば、お手軽な転生である。

 要するに、わたしは現状の生き方に満足ができていない。こうじゃない道を歩んでみたいと常々望んでいる。でも、転向に踏み切れるほどの勇気はなくて、読書で擬似的な変革を繰り返しているのである。

 いかにも弱々しい。その自覚はある。でも、こうするしかないのだから仕方ないと開き直って、毎日、なにかしらを読んでいる。

 故にビビった。国木田独歩の小説はそんなわたしよりも弱々しさに満ちていたから! 表題作の『武蔵野』から沁みて沁みて沁みまくった。

 ロシア文学を愛する国木田独歩。そこで描かれる風景の美しさに心を奪われている。普通ならロシアに行ってみたいと思うところだけど、なぜか、自分が暮らす武蔵野の落葉林もそれに似ていると想像を拡大していく。結果、武蔵野にバーチャルな世界を重ね合わせ、なんて素晴らしいのだと激賞していく。

 まるでアイドルを推すように、国木田独歩は武蔵野を推しまくる。この素晴らしさは主観的な評価ではなく、客観的な根拠もあるのだと言わんばかりに、様々な詩人の言葉を借りてくる。過去の日記を公開し、ライブレポみたいに「あの日の武蔵野はこんな花が咲いてて、珍しい鳥が飛んでて、こんなによかったんだよ!」と興奮している。

 ただ、本人もそうやって推し活の熱狂に浮かれてばかりでいいとは思っていない。これをいかに自分の人生に接続していくか。漠然と焦りを感じているようで、インプットだけでなく、アウトプットの欲求も示される。

なぜかような場処が我らの感を惹くだらうか。自分は一言にして答えることができる。すなわちこのような町外れの光景は何となく人をして社会というものの縮図でも見るような思いをなさしむるからであろう。言葉を換えていえば、田舎の人にも都会の人にも感興を起こさしむるような物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるいは抱腹するような物語が二つ三つそこらの軒先に隠れていそうに思われるからであろう。さらにその特点をいえば、大都会の生活の名残と田舎の生活の余波とがここで落ちあって、緩やかにうずを巻いているようにも思われる。

国木田独歩『武蔵野』(青空文庫)より

 自分は物語を見出しているのだ、と。そして、それは自分だけでなく我々が共有できる普遍的なものを備えている。なぜなら、田舎と都会の狭間にある武蔵野の光景は社会の縮図であり、そこに生きる人々こそ真実であるから。

 だが、同時に、その視点は国木田独歩が武蔵野の外に立っていることを意味してもいる。例えば、それは好きなアイドルのライブを見ながら、「これは伝説になるぞ」と未来を想像してしまう寂しさに似ている。本来なら、いま、目の前で歌って踊る推しだけを見ていたいはずなのに、我を忘れて現在を全力で楽しむことのできない無念さ。

 冷静でいられるとき、自分はこの場にふさわしくないのだと寂しくなってしまう。YouTubeの音楽ジャンルに"you're in the bathroom at a party"あるらしい。木澤佐登志さんの『終わるまではすべてが永遠: 崩壊を巡るいくつかの欠片』という本の中で紹介されていた。

 直訳すると「パーティーのトイレにいる」だが、要するに盛り上がっている場から離れて、壁越しに聞こえてくる音楽を聴きながら冷静にメイクなどを直す瞬間のことを指している。

 それぞれ、何年の思い出かを示す形で当時流行った曲のリミックスがYouTubeにアップされ、何百万回も再生されている。例えば、以下に貼った動画は2013年の曲を集めている。

 コメント欄を見ると、その頃を懐かしむ声であふれているが、特徴として、切ない感情が記されがちで面白い。もし、これがアーティストのライブ映像であったなら、ポジティブに過去を振り返るに違いない。でも、このジャンルを愛する人たちはそうじゃない。蚊帳の外にいた記憶の方が印象に残っているのだ。あっちで盛り上がっている人たちが本当にこの瞬間を生きているよね、と。

 ちなみに、再生数は多くないけれど、"you're in the bathroom at a party 2024"という動画もある。いつかノスタルジーに浸れることを先読みし、現在を懐かしむ視点で眺めてしまう逆転が発生していて興味深い。ただ、これこそ目の前の出来事に対して、部外者の立場から客観的な評価を行うとき、この逆転は常に起きている。

 国木田独歩の武蔵野に対する目線もこれと一緒なんじゃなかろうか。自分はこの社会で本当に生きているわけではないという疎外感を持っているようで、わたしはそこに強く共感してしまう。

 むかし、サルトルの自伝的小説『言葉』を読んだとき、このことを的確に表す比喩が使われていて、深く心に残り続けている。サルトル曰く、自分は切符を失くしたまま鉄道に乗っている気分で生きてきたんだとか。常に車掌がやってきて、「お前はここにいるべき存在じゃない」と追い出されるんじゃないかと不安を感じ続けている、と。それでも、目的地を知らないまま鉄道に乗って遠くまで来てしまったので、いまさら降りるわけにもいかない……。

 実は自然主義の代表とされる国木田独歩だけど、明治の時代にして、実存主義を先取りしていたのかもしれない。思いがけない面白さにすっかり夢中になってしまった。

 気づけば、文語体で読みにくいにもかかわらず、文庫本をどんどん読み進めていた。そして、口語体で書かれた『忘れえぬ人々』という短編に出会ったとき、その思いはピークに達した。

 無名の作家・大津、無名の画家・秋山。青年二人が宿場でたまたま出会い、意気投合、夜通し語り合うというシンプルな物語。秋山は大津の書いている小説『忘れえぬ人々』に手を伸ばし、これはどんな話なのかと尋ねる。大津はスケッチみたいなものだとはぐらかすも、秋山、それはそれで気になると一向に引かない。仕方なく、大津は『忘れえぬ人々』について語り始める。

 ここでいう忘れえぬ人々というのは親とか友だちとか、付き合いが深いため、単に忘れることができないという人たちを指しているのではない。ふとしたひょうしについ思い出してしまうような人たちのことで、言わば、忘れ難い人々なのだと大津は説明する。この小説はそういう人たちの思い出を綴っているもので、具体的には春先の瀬戸内海で目にした漁師だったり、阿蘇山の麓ですれ違った逞しい青年だったり、愛媛は三津の浜に立っていた琵琶法師だったり。いずれも、偶然に出くわした印象的な人々だった。

 大津は寂しい夜などにそういう人たちのことを思い出すと秋山に語る。自分はやるべきことがないまま、嘘の人生を送っているけれど、彼らは生きるべき人生を生きていたなぁ、と。だけど、そんな風に異なる我々もいつかは死に絶え、同じくなにもないところへたどり着くわけで、そう考えると自分も他人もありはしない。

 そして、大津と秋山は別れ、特に付き合うもなければ、連絡を取り合うことも、たまたま顔を合わせるようなこともなく月日が経過する。

 ある日、ふと、大津は宿場で過ごしたとき夜のことが思い出されて、書き物机に向かい始める。『忘れえぬ人々』の続きを書き出すのだが、そこに付け加えられたのは宿場の主人だった。

「秋山」ではなかった。

国木田独歩『忘れえぬ人々』(青空文庫)より

 この最後の1行を読んだとき、あまりの衝撃に「あっ!」と声が漏れてしまった。

 そうか。一晩中、あれこれ盛り上がるような相手は忘れえぬ人々になり得ないのか……。大津の記憶に残っていたのは冒頭にちょろっと出ただけのなんてことない働くおっさんだったとは。

 この事実は残酷なほどリアリズムであると同時に、圧倒的な救いでもある。生きるって、別に大したことではないんだよという肯定があふれている。だから、何者かになろうとする必要も別にない。どうせみんな死ぬだけなんだし。

 先日、公開された『ナミビアの砂漠』もそんな映画だった。

 自分の存在価値を見失っているカナの横にお隣さんは座り、ゆっくりと語りかけてくれる。まわりの評価なんてどうだっていいと言わんばかりに、

「大丈夫だよ。百年後には全員死んでるでしょ」

 と、淡々とつぶやく。

 令和の時代を反映していると評判高い作品が明治の小説と同じことを言っているなんて、なんだか不思議だ。でも、当時の状況を考えてみれば、意外と然もありなんかもしれない。

 明治4年(1871年)、千葉県は銚子に生まれた国木田独歩。司法省の役人だった父親について、山口県を中心に転々とする少年時代を過ごしたという。明治20年(1887年)、学制改革に伴って山口中学を中退し、上京。東京専門学校(現在の早稲田大学)に通ったのだが、この頃は父親の影響もあり、政治的野心を強く持っていたという。

 明治20年代、東京に出てくる若者はそういうタイプが多かったという。身分や土地に縛られていた江戸時代とは打って変わって、我が身ひとつで立身出世を夢見る近代の始まりである。未来はあらゆる可能性が無限に広がっているかのようだった。

 しかし、実際は明治22年(1889年)に憲法が発布されたり、明治23年(1890年)に国会が開設されたり、社会は急速に整い始めてしまう。平等にチャンスがあったはずの「明治ノ青年」たちの中で、将来が約束された側とされない側の線が引かれるようになっていく。この閉塞感が外交的だった青年を内向的な性格に変え、国木田独歩をして、いつかはみんな死ぬのだからという考えに至らしめたのだろう。

 なんというか、いまの日本の若者を取り巻く環境によく似ている。

 親ガチャが当たり、優れた教育を受け、激しい競争を生き残ることができた選ばれし一部の陽キャエリートたちが美味しいところをすべて持っていく。Z世代を背負ってキラキラした未来を語り、新しいビジネスやエンタメを成功させ、昭和の老害たちをバッタバッタと斬り倒していく。

 対して、どこかひとつでもうまくいかなかった大多数の陰キャは消費者として生きることを強いられる。やってもやんなくても問題のないクソみたい仕事(ブルシット・ジョブ)に長時間従事し、生活保護とあまり変わらない給料を受け取り、家賃光熱費通信費に奨学金の返済でわずかしか残らない可処分所得を推し活で使い尽くす。どうせ自分はキラキラできない運命と現状を受け入れ、社会的活躍を他者に託す形で擬似的に成功を味わうことでしか、この現実に耐えることができない。

 もうね、限界なのよ。諸々うまくいかなかったわたしたちとしては。そりゃ、これが絶対的な不幸じゃないってことは知っている。他の国に生まれていたら、もっと苦しい思いをしていると言われたら反論はできない。でも、問題はそういうことじゃないんだよ。同じ国に、同じ時代に、同じように生まれたはずなのに、こんなにも人生のあり方が違うという相対的な差が大き過ぎて、なにもかもがバカらしく感じられてしまうところにわたしたちの不幸はあるの。

 結局、狂ったようにコンテンツを貪り食うのはそのことを忘れるために麻薬を打っているのと変わらない。ここじゃないどこかへ精神を持っていくため、YouTubeやTikTok、Netflixを無限に連続再生させるしかないのだ。Xやfacebookのタイムラインをボーッとスワイプし続けるしかないのだ。そうやって脳を麻痺させないと自分の人生がしょうもないということに気がついてしまうから。

 でも、国木田独歩は言っている。それでいいのだ、と。いや、明言はしていないけど、『忘れえぬ人々』を読み、わたしはそんなメッセージを受け取った。結局のところ、忘れえぬ人々はなんてことないわたしたちのことだったのだから。

 ありとあらゆるカテゴライズは死んでしまえば水泡に帰す。人生なんて、インスタグラムのストーリーぐらい儚いものなのかもしれない。消える前提の投稿。バズらなくても、どこかの誰かの印象に残るかもしれないという可能性で十分だ。

 



マシュマロやっています。
匿名のメッセージを大募集!
質問、感想、お悩み、
読んでほしい本、
見てほしい映画、
社会に対する憤り、エトセトラ。
ぜひぜひ気楽にお寄せください!! 


ブルースカイ始めました。
いまはひたすら孤独で退屈なので、やっている方いたら、ぜひぜひこちらでもつながりましょう! 

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?