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【読書コラム】言い間違い史に残る「ミソラ事件」の原因を言語学的に解き明かすミステリー小説のような専門書! - 『言い間違いはどうして起こる?』寺尾康(著)

 わたしはめちゃくちゃ誤字脱字が多い。それはもう激しくやらかしてしまう。だから、コメント欄やマシュマロ、XのDMで教えてもらうたび、本当、心の底から感謝しています! ありがとうございます!

 それと同じぐらい言い間違いもしてしまう。特に名前を呼ぶときに失敗してしまいがちで、小学生の頃、友だちの名前を言い間違えて、激しく怒られてしまってことがトラウマになり、大人になった現在も人を名前で呼ぶのが苦手なままなのだ。

 正直、「ねえ」とか「いかがですか?」とか、呼びかける形で会話を始めている。偉そうなやつに見えてそうだけど、名前を間違えて腹を立てられるよりはましだと諦めている。たまに英語で簡単な会話をしなきゃいけないときは地獄だ。向こうはこちらの名前を気さくに呼んでくる。わたしは"Hey!"と"Mr!"と赤べこ並の相槌で誤魔化しまくる。当然、仲良くはなれない。毎回、一人になってから嘔吐するほど落ち込む。

 これ、どうにかならないかなぁ。そんな危機感から言い間違いのついて調べるようになった。すると、まさにちょうどいい内容の本を見つけた。その名もずばり 『言い間違いはどうして起こる?』である。

 岩波書店の本だし、難しいものだと覚悟を決めて読み出したところ、冒頭、興味を惹かれる話から始まっていて、すっかり心をつかまれてしまった。というのも、「ミソラ事件」という言い間違い史に残る大事件について書かれていたから。

 1984年12月31日、『第35回NHK紅白歌合戦』の中でそれは起きた。総合司会を担当していた生方恵一アナウンサーがその舞台で引退すると公言していた都はるみについて、「ミソラ……」とあろうことか美空ひばりと言い間違えてしまったのだ。

 たかが言い間違い。されど言い間違い。

 瞬間視聴率80%を超える当時の紅白でなんて大失態を! と問題になり、週刊誌やワイドショーで取り上げられ、NHK内でも問題になってしまう。結局、事件と関係ないとは言われているけれど、生方アナは異動となり、その年の九月にNHKを退職している。

 てっきり、最近の方がネットの炎上でミスに厳しい世の中になっていると思っていたけれど、むかしの方が全然ヤバくて驚いた。わたしは1993年生まれなので、こんなことがあったなんてまったく知らなかった。たぶん、いまだったらYouTubeやTikTokで違法アップロードがミーム化するぐらいだろう。言い間違い、恐るべし。

 さて、どうして著者の寺尾康先生がそんな話題を取り上げるかと言ったら、実は「ミソラ事件」こそ言い間違いの典型例であり、起こるべくして起きたものと証明し、仕方ないことだったと明らかにしようと意気込んでいるのだ。つまり、生方アナが悪いんじゃないと学問の立場から擁護しようとしているのである。

 このあたりからわたしはいま自分がなにを読んでいるのかわからなくなってきた。学術書のようなクールな読み物ではない。これは探偵が冤罪で悩む依頼人を救うため、真実を探り当てるハートウォーミングなミステリーに他ならない!

 結論から言うと、人間は語彙を①語彙概念レベル ②語彙レベル ③音韻レベルの三段階段で認識していると考えられるそうで、「都はるみ」と「美空ひばり」はこのすべてが奇跡のように一致しているため、とりわけ言い間違いが起こりやすい組み合わせなのだという。

 もう少し噛み砕くと以下の通り。

①語彙概念 : 二人とも国民的女性歌手である
②語彙 : ミヤコハルミとミソラヒバリで文字数が同じ
③音韻 : 語頭がミで一緒かつ語尾の母音が「イ」で共通

 なるほど、都はるみと美空ひばりを実際に並べたら全然違うけれど、言葉としては相当似ている。

 また、これに加えて、精神的な要因もあるらしい。心理学の領域になってしまうが「フロイト的言い間違い」という考え方もあり、タブーとして抑圧している言葉をうっかり口にしてしまう現象を指すという。そういう意味では視聴率80%を超える国民的番組紅白の司会で、生方アナは絶対に言い間違いをしてはいけないというプレッシャーに苛まれていた。

 孫引きなので恐縮だけど、生方アナは新潮45でこんな風にそのときのことを振り返っている。

都はるみを正視出来ず、ステージの天井を見上げて「戦後四十年の歌謡史にこれだけの場面があっただろうか」などと思う脳裏を、美空ひばりの姿がかすめたのも確かだった。美空ひばりも都はるみも、それまで何度も一緒に仕事をした仲である。(中略)あの時変なアナウンサー意識が働いてしまったことも確かだった。それは「もっと、もっと沢山の拍手をはるみちゃんに……」と喋ろうと思った瞬間、「はるみちゃんではない、ここはキチンとフルネームだ……」。
(「大晦日、ミソひと言で味噌をつけ」『新潮45』二〇〇〇年八月号)

寺尾康 『言い間違いはどうして起こる?』3頁

 これはもう言語学的にも、精神的にも、言い間違いをしない方がおかしいぐらい追い込まれている。そんな人の言い間違いを責め立てるなんて、残酷過ぎやしないだろうか?

 もちろん、当時も全員が生方アナを批判していたわけではなく、励ましの手紙も多く届いていたという。そりゃそうだよね。わざとじゃないんだし、我々も日常で言い間違いをしているんだもの。少なくとも、わたしは生方アナを他人とは思えなかった。規模は全然違うけど、名前を間違えてしまった側もつらいよね……。

 とはいえ、それが言語学的に起こり得るものだとわかったことで、そうか、そういうことだったのかと救われる部分があった。逆に言えば、理屈を踏まえれば、対策もできるかもしれない。

 他にも、この本では会話がうまく噛み合わないときのメカニズムなども紹介されていて、こちらも今後のコミュニケーションにおいて参考になりそうだった。

 例えば、「情報のなわばり理論」によると自分だけが詳しい話をするときは語尾を「よ」にしてもいいけど、相手も詳しい場合は語尾を「ね」にしなければいけないといったもの。

「にんじんはこう切るんですよ」

 主婦歴何十年のマダムに言ったらムッとされるのはそのためだ。「こう切るんですよね」と確認しなくては。

 たぶん、みんな、なんとなく語尾をTPOに合わせて変えているけれど、こういう理論として把握をしていないから、たまに意図せず失敗してしまう。そして、人間関係に傷が入ることもしばしばなので、こういう法則を知っておくことは重要だ。特にnoteのような文字だけでやりとりする場所ではなおさらだろう。

 他にも会話の公理として、

・必要な量の情報を伝えなさい
・間違いや証拠のないものは言わない
・関連のある事柄だけを述べなさい
・簡潔に順序だてて話しなさい

 みたいな定石もあげられていた。一生懸命話しても、相手にいまいち伝わっていないという経験をしたことがある人はこの公理を守れていない可能性が高い。

 というように、言い間違いは偶然生じるものではなくて、ちゃんと科学的に分析が可能なんだとわかった。しかも、それはコミュニケーションに深く関わる問題であり、おそらく人間がいくら頑張ってもゼロにすることはできない。だとしたら、いかに受容していくか。言い間違える側ではなく、言い間違えられた側のあり方で解決していく必要があるようだ。

 興味深いのはどの言い間違いも、名詞なら名詞に、動詞なら動詞に間違えるパターンのほとんどなので、文脈で聞いている側は本当はなんて言いたかったのか容易にわかる場合がほとんどなんだとか。また、助詞を言い間違えることも少ないため、文章としての型が崩れることもない。あとは似た意味の言葉が混ざってしまったり。「あやふや」か「うやむや」と言うつもりが「あやむや」と言ってしまうみたいな。なお、この混同も三つ以上の単語に渡ることはないため、正解を推測可能。

 基本的には、脳の処理速度よりしゃべるスピードの方が早いため、つい、異なる単語を選択してしまうということらしい。で、あるなら、聞く側さえ優しければ、言い間違いの対応はなんてことない。

 ただし、わざと言い間違えるケースは例外である。寺尾先生の面白いところはそういう故意な言い間違いについても、皮肉型としてしっかり分類しているところ。巧みに嫌なことを言ってやったと気持ちよくなっている皮肉屋には申し訳ないけど、その手法、言語学的に丸裸にされているからね。やめた方がいいよ、絶対。

 大事なのは誠意。話す側も、聞く側も、一生懸命やっていれば言い間違いと人類は上手に付き合っていける。思いがけず、そんな素晴らしい発見に胸を打たれてしまった。




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