見出し画像

【読書コラム】発展していく未来に自分の居場所を見出せないから、過去に希望を求め始めるわたしたち - 『終わるまではすべてが永遠: 崩壊を巡るいくつかの欠片』木澤佐登志(著)

 タイトルに惹かれて本を買うことが多い。最近だと、Xのタイムラインに流れてきた木澤佐登志さんの『終わるまではすべてが永遠: 崩壊を巡るいくつかの欠片』がそうだった。

 どういう人による、どういう本なのか。まったく知らないまま読み始めたけれど、現代に対する視座が高くて面白かった。

 大まかに言えば批評的な文脈でこれからのわたしたちについて分析がなされていくので、難しい話が中心になるのだけれど、具体例としてYouTubeやSNSで人気となっているコンテンツが引用されるため、トータルでわかりやすかった。しかも、この人気コンテンツは英語圏のマニアックなポップカルチャー。自分にとってはまったく馴染みがないので、「アメリカにはこういうものが好きな若者がいるのか」と想像し、そうして立ち現れてくる世界の新しさが刺激的だった。

 例えば、現代の魔女について説明している章があった。禁酒法時代のニューヨークではキャバレー法というものが制定され、店内のダンスは高価なライセンスによる許可システムになったらしい。この黒人コミュニティに対する抑圧は2017年まで続いたんだとか。この悪法の撤廃に影響を与えたのが女性アクティビストで、その源流には魔女カルチャーがあると言うのだ。

 2012年から、ブルックリンのブッシュウィック地区で「ブッシュウィックの魔女たち」というパーティーが開催され、そこに魔女を自認する人たちが集結したという。元ネタはジョン・アップダイクの小説『イーストウィックの魔女たち』で、「ウィッチハウス」と呼ばれる音楽ジャンルのミュージシャンともつながりを深めていったようで、ポップなパワーにあふれている。

 本の記述としてはそこから1970年代まで遡り、どういう変遷で魔女カルチャーが続いてきたのかの解説が始まる。もちろん、これはこれで興味深いのだが、個人的には「ウィッチハウス」ってどんな音楽なのだろうと興味が湧いて、YouTubeで調べてみるといろいろ出てきた。

 いったい、どのミュージシャンが代表的な存在なのかはわからない。それでもいくつか聞いていくうちに現代における魔女のイメージが少しずつ掴めた気がした。

 ミュージックビデオも、曲調も、科学が普及する前の怪しげな空気に満ち満ちている。なのに、それを構成する音は電子的。最新の技術であえて古めかしい表現をしている奇妙さが堪らない。

 実はこのレトロによさを覚える点が本書を貫く重要なテーマで、ジグムント・バウマンの『退行の時代を生きる ―人びとはなぜレトロピアに魅せられるのか―』を発展させるような議論が展開されていく。

 バウマンは現代人が過去に囚われていると指摘していた。それは「懐かしい」なんてほのぼのとした感情ではなく、過去に救いを求めるような切実さでいっぱいである、と。

 現代社会はこれからも技術的な発展を続けていくに違いないわけだけど、かつてのように豊かな生活が待っているという期待より、AIやロボットに仕事を取って代わられるなど、人々にとっては自分の居場所を脅かされるような不安の方が大きくなってしまった。対して、過去には必ず居場所がある。いま、自分がこうして生きているということは過去をなんとか乗り切った証拠であり、ノスタルジーはレーゾンデートルを担保するものになってきている。

 すると、不思議な現象が起こり始めた。本来、ノスタルジーとは自らが経験した過去に抱くものだったはずなのに、ノスタルジーに浸る事自体が目的となったとき、自らの経験は必要じゃなくなっているというのだ。つまり、そういう時代があったということを想像し、いまはそうじゃないと認識できればノスタルジーの要件は満たされるので、人々はバーチャルに懐かしさを覚えることができるようになったのだ。

 だからこそ、シティポップが世界中で聞かれるようになったのだろう。竹内まりやの"Plastic Love"を聞いて、当時、東京に住んでもいなければ、生まれてもいなかった若者たちがノスタルジーを感じることができるというのは冷静に考えてヤバいことである。

 そして、そういうヤバさを象徴する音楽として、2種類の動画が紹介されていた。ひとつは"Everywhere at the End of Time but it's for Gen Z"というもの。

 なんでも、"Everywhere at the End of Time"(意訳:最後のときに至る場所はどこでも)はもともとイギリスのジェームス・レイランド・カービーが長期で取り組んでいた"The Caretaker"というプロジェクトの名前なんだとか。

 このプロジェクトは6時間30分に及ぶ異常に長いリミックスで、1時間ごとにアルツハイマー病が進行していく様が表現されている。

 そういう意味では高齢者が経験するものなわけだけど、これを元ネタに作られた"Everywhere at the End of Time but it's for Gen Z"はZ世代向けを名乗っている。動画のサムネもマインクラフトでジャケ写を再現しているし、採用されている音楽も『カールじいさんの空飛ぶ家』や『ハウルの動く城』といったZ世代に馴染みのあるものが多く、まだ記憶の衰えを心配するような年齢ではない若者が思い出を加工し、ノスタルジーを人工的に作り出しているのだ。

 同じような例として、もうひとつ、"you're in the bathroom at a party"という音楽ジャンルも紹介されていた。直訳すると「パーティーのトイレにいる」になり、要するに盛り上がっている会場から離れて、壁越しに聞こえてくる音楽を聴きながら冷静にメイクなどを直す瞬間のことを指しているのだろう。

 それぞれ、何年の思い出かを示す形で当時流行った曲のリミックスがYouTubeにアップされ、何百万回も再生されている。例えば、以下に貼った動画は2013年の曲を集めている。

 その流れとして、再生数は多くないけれど、"you're in the bathroom at a party 2024"という動画も存在している。いまはまだ2024年なのに、自分はいつかこの曲を聞いてノスタルジーを感じるはずと予想して、いま、先回りでノスタルジーを感じているようなのだ。

 未来にはあらゆる可能性が広がっているという言葉がポジティブに捉えられていた時期は終わってしまったのかもしれない。むしろ、その広がりは自分じゃどうにもできないという絶望であり、だったら、"spilt milk"(こぼれたミルク)の方がよっぽど希望にあふれている。

 いまさらそれを嘆いても無駄ということは、それが意味するところは固定化されている。絶えず移り変わっていく未来と違って、変わらない過去はこちらで好き勝手に解釈することができるのだ。

 Qアノンもそういう価値観に基づいていたんじゃないかと思わせる図が本書に掲載されていた。その名も"Deep State Mapping Project"

 これはアメリカのディラン・ルイス・モンローというアーティストが作成した陰謀論とされる出来事のつながりを可視化した地図で、複数のルートが存在しているけれど、失われたアトランティス文明の先にトランプ大統領就任が致していることがよくわかる(?)

中央下あたりにトランプについての記述あり

 このように陰謀論もレトロピアの一種として捉えることができるという発想はしっくりきた。たしかに、わたしたちは未来を想像できなくなっているように思われる。

 イーロン・マスクは火星に移住しようとしているけれど、どうせ金持ちだけに関わる話。我々、庶民となんの関係があろうか? 仮想通貨やNFTアートが凄いと言われてもよくわからない。AIで作られた画像や動画を見てビックリはするけど、これで生活がどのようによくなるのかなんて少しも想像できない。

 こちとら、スーパーで米が売っていないと苦しみ、令和の米騒動と言われる始末。たまにテレビで流れるむかしの東京を見たりすると、いまよりオシャレでセンスのある人たちが踊り、歌い、美味しいものをたらふく食べているわけで、「いまの方が退化してない?」と思わざるを得なくなる。

 でも、そうは言っても、懐かしい世界は終わった世界で、わたしの場合、そこで生きていたいとはとてもじゃないけど思えない。不確定なことは不安だけれど、なにが起きるかわからないランダム性に身を置いていたい。

 だって、すべてが決まり切っているんだとしたら、わざわざ何十年もかけて、そのことを確かめるなんて無駄でしかないから。それこそ、コンピューターでシミュレーションすれば十分。人生をかけてまでやるほどの価値はない。

 脱・レトロピア。この本を読んでそんな気持ちが湧いてきた。




マシュマロやっています。
匿名のメッセージを大募集!
質問、感想、お悩み、
読んでほしい本、
見てほしい映画、
社会に対する憤り、エトセトラ。
ぜひぜひ気楽にお寄せください!! 


ブルースカイ始めました。
いまはひたすら孤独で退屈なので、やっている方いたら、ぜひぜひこちらでもつながりましょう! 

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?