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【読書コラム】仕事できない系女子ペンペンはクレカ地獄で転職もできず、退屈な日常を妄想で遠ざけることでしか毎日を生きていけない - 『ハイパーたいくつ』松田いりの(著)

 大学時代の友だちとやっている恒例のzoom読書会が今月もあった。課題図書は第61回文藝賞受賞作である松田いりのさんの『ハイパーたいくつ』だった。

 タイトルがいいよね笑

 ゆるいというか、抜けているというか、やる気がないというか。でも、なんかいいと思えるあたり、センスがあふれている。

 内容もそんな感じだった。ラップ調の文体で言葉遊びの効いたパンチラインが流れるように記されているかと思ったら、仕事できない系女子が主人公だとわかってきて、ここまで絶賛遅刻中の妄想だったのかよと笑えてくる。

 彼女は演劇や映像を製作する会社に新卒で就職。金銭まわりの仕事を担当しているのだけど、振込金額の単位を間違えて1000倍多く支払ってしまう。取引先はそのまま夜逃げ。回収はできず、当然、財務チームは社内で針のむしろとなってしまう。

 みんなに迷惑をかけた申し訳なさで彼女はいつも心苦しい。特に、齢50のチームリーダーは自分の尻拭いで一気に老け込んでしまった。こんなったら辞めるべきなのだろうと思いつつ、買い物中毒でクレカ地獄に陥っているため、収入を減らすわけにはいかない。それにまた転職活動でキラキラ嘘をつく元気もない。だから、居心地が悪くてもこの会社でいいやって開き直っている。

 幸か不幸か、昨今の人手不足で猫の手も借りたい状況。どんなに仕事ができなくても、どんなに致命的なミスをしようとも、会社にとって彼女はいるだけありがたい存在。結果、お互いに求めてはいないけど、必要とし合ってはいるという消極的Win-Win関係に。

 なんじゃ、この設定 笑

 そんなわけで彼女はチームリーダーに恨まれていると常に恐怖を感じるようになり、優しく接してもらうたび、なにか裏があるんじゃないかと勘繰らずにはいられなくなる。

 あるとき、「あなたペンギンに似てるって言われたことない?」と声をかけられ、大いに戸惑う。どう答えても間違っている気がする。ありがとうと言うのも、どの辺がですか? と尋ねても、自分は可愛いと認めることになりそうだし、否定するのも妙な話で、よくわからないことを言っているうちにペンギンに似ているからペンペンとみんなから呼ばれるようになってしまう。

 ただ、小説として面白いのはその間、明らかに狂ったようなエピソードが挿入されているところ。職場でチームリーダーが彼女の62万円するジャケットを破壊しようとしたので、止めに入ったところボタンが吹き飛び、「もったいない!」とチームリーダーはそれを飲み込み、窒息で倒れてしまうという謎過ぎる大事件。しかも、後に他の人たちは彼女がチームリーダーに無理やり自分のジャケットを着させて、ボタンを強引に飲み込ませたと噂しているから、真実がなにかわからなくなる。

 どうやらなんのために働いているのかわからないハイパー退屈な毎日のせいで、ペンペンは妄想の世界に入り込み、それが現実に侵食してきてしまったらしいのだ。

退屈とは屈して退くということである。では何に屈するか? といえば退屈に屈して退くわけで、退屈に退屈してその退屈にまた退屈する、つまり退屈さに身を委ねるとはオウムガイの泳ぎみたいな連続後退運動に身を委ねるということであって、私の場合は最初に何に退屈したのか遠ざかりすぎてしまってもう見えないが、屈して退く運動を繰り返していくうちに段々と狭いところへ入っていったってことだけはわかる。退屈さが窮屈さを意味するようになった時、どこかで退屈運動から抜け出しておくべきだったと悔いたところで抜け出す方法がわからない。 (省略) 多少とも明るくならねば毎日出社などできまい。そこで暗い予感を五感から切り離してぼーっとしてみるはいいものの、オフィスに出社しては毎度リアルな形を持った窮屈さに遭遇して新鮮な驚きに打たれることになる。

松田いりの『ハイパーたいくつ』33-34頁

 退屈が新たな退屈を呼び、永久機関のように退屈が積み重なっていき、にっちもさっちもいかなくなる息苦しさが見事なまでに描かれている。

 本当なら逃げ出して仕舞えばいいのだろう。でも、ペンペンの場合、逃げた方が面倒になると知っているので逃げ出せない。そうなると妄想で現状をどうにか肯定するしかないんだけど、ドーピングを打っているようなものなので毎回新たな問題が生じてくる。

 これを悲劇ではなく喜劇として描いている点に新しさがあった。社会に適合できない生きにくさというテーマは現代小説で頻出のあるあるだけど、基本的に悲劇のスタイルで語られる。視点をずらしたとしても不条理の形でシニカルに捉えるぐらいが関の山。おかしみを持たせる例はあまりない。

 ただ、喜劇とは言っても『ハイパーたいくつ』は決してコミカルではない。いわゆるテレビ的なお笑いの文脈とも異なっている。作者である松田いりのさんのインタビューによれば松尾スズキリスペクトがあるようなので、大人計画的なブラックユーモアがベースなのだろうけど、個人的には、そこに落語の諧謔を感じた。

 特に『頭山』(上方でいう『さくらんぼ』)を初めて聞いたときに覚えたザワザワした面白さが『ハイパーたいくつ』の面白さに似ているとわたしは思った。

 さくらんぼを種まで食べてしまった男の頭に桜の木が生えてくるという荒唐無稽なストーリー。見事な花が咲いていると評判になり、近所の人たちが男の頭に集結し、飲めや歌えの大騒ぎ。あまりの騒音に耐えかねた男は桜の木を泣いてしまう。すると、ぽっかり空いた穴に雨水が溜まり、魚が泳ぎ始め、再び人々が釣りをするため男の頭にやってくる。なにもかもが嫌になった男は自分の頭の池に飛び込んで自殺してしまうというオチ。

 子どもの頃、わたしはどういうこと? とパニックになった。さくらんぼの種がお腹で発芽し、頭に桜の木が生えるというのは非科学的だけどフィクションとしては受け入れられる。ただ、なぜ男の頭で近所の人たちが花見をできるのか? 釣りができるのか? そもそも、自分の頭の池に飛び込んで自殺するなんて可能なのか? あまりの不合理さに怖くなってしまったほどだ。

 でも、だんだん年をとるにつれて、男の心境が理解できるようになってきた。とりわけ大学受験で追い込まれまくっていたときとか、多くのお金も時間を費やした自主制作映画の企画が破綻したときとか、職場でパワハラに遭い適応障害になったしまったときとか、妄想の世界であり得ない不安がやたらリアルに立ち現れて、実際に呼吸ができなくなる経験をした。自宅の布団の上で溺れたようになってしまった。なるほど、自分の頭の池に飛び込んで水死するとはこのことだったのかと合点がいった。

 いまにして思えば、そんなわけないだろと過去の自分に突っ込みを入れ、笑い飛ばすことができるけれど、当時は本気で逼迫していた。たぶん、『ハイパーたいくつ』のペンペンも同じなんだと思う。

 作中、トイレの水で泳がなきゃいけないとチームリーダーをはじめとする同僚たちに圧をかけられるシーンがある。これなんて、まさに頭の中の池に飛び込むようなものだよなぁと、わたしは共感しながら読み進めた。

 なお、ここでペンペンはわたしと違って飛び込む以外の選択肢をとることになる。それは言葉による解決であり、まわりからどう思われるかを過剰に気にしていた彼女にとって、視覚情報から文学的なものへと価値観を転換する劇的な変化であり、小説としてのハイライトになっていた。そして、そこからの展開はとてもスピーディーかつユーモアに富んでいて、自由を見つけた作者が今後どのような作品を書いていくのか気になる終わり方になっていた。

 ちなみに読書会ではそれぞれ感想を述べた後、面白いけど、仕事をサボってトイレで横になって休むみたいな描写はさすがにぶっ飛び過ぎているよねと、笑っていたら、ある友だちがぼそり、

「トイレで横になって休んだことあるよ」

と、つぶやいたので驚いた。詳しく聞いたところ、労働が嫌で嫌で仕方なくなったとき、どこにも逃げ場が見つからず、唯一のプライベート空間だったトイレの個室内で横にならざるを得なかったんだとか。そのため、ペンペンの行動や思いが手に取るようにわかったという。

 その話を聞くまで、ぶっちゃけ、わたしはペンペンの考えていることが理解できず、もっと一般的な事象を挟みながら、わかりやすくガイドラインをつけてくれたらもっと面白く読めるのになぁと思っていた。でも、そうじゃなかったのだ。他の人には理解できないロジックでおかしくなっていくことにこそ、生きにくさの真実があったのだ。

 すると、ペンペンの一人称語りだったことも腑に落ちてくる。もし、読者が追いかけられるように出来事を説明できるとしたら、そんなペンペンはこんな風に生きにくさを抱えることは絶対にない。退屈に退屈を重なることもなければ、同僚たちと普通のコミュニケーションを交わし、クレジットカードも計画的に使っているだろう。結局のところ、生活がめちゃくちゃになるということは言語化力もめちゃくちゃなわけで、物語におけるリアリティラインに『ハイパーたいくつ』の語りは調子が揃えられているとわかる。

 なのに、起きている出来事は的確に描写され、現代小説らしい終わり方になっているから恐ろしい。筆力の高さが容易に窺える。

 読書会を通して、みんなで意見を交わした結果、最初は欠点に感じられた部分がむしろ利点に見えてきた。この発見にわたしは心が震えた。一人で本を読むだけでは味わえなかった喜びだった。

 毎月恒例のzoom読書会。改めて、これはめちゃくちゃ楽しいことなんだと気づかされた。




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