「忘却とは忘れ去ることなり」とは至言
1950年代の初め、大ヒットしたラジオドラマ『君の名は』での冒頭のナレーションはこんなものでした。
※と言って、私は、リアルタイムでは当然知りません。
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ-。」
ここでは、男女の愛のすれ違いを描いているのですが、そんなことではなくても、つらい記憶や悲しい記憶は、本当に忘れちゃったらいいのになと、周りの人にも伝えてあげたいときがあります。
「自分は、よほど都合良くできているんだな。」
そう思えるときが時々あります。
と言うのは、自分は、昔のことは片っ端から忘れていくのです。若い頃から、次のようなことをよく口走っていました。
「昨日のことは昔のこと。昔のことは忘れた。」
昨日のことも覚えていないなんて、悪く言えば、物覚えが悪いのですが、一方で、良く言えば、「忘却力」があるし、悪い思い出に対しても、決して「怨念化」しないのです。
私の左手の生命線は、人差し指の下の方の付け根のあたりで、大変乱れていますが、これは、手相を観る占い師によると、「幼い頃、大変ご苦労をされたでしょう。」とのことで、確かに、私は、家族関係で、普通の人なら遭遇しないような状況に置かれていました。
※占い師によると、男性は、左手を中心に観て占うんだとか。詳しくは知りません。
しかしながら、そういう「子どもでは制御できない、自分のせいではないこと」、今どきの言葉で言うと、「親ガチャ」みたいなことで、今でも恨み続けているなんてことは、私は一切ありません。
世の中は、生まれながらに、不公平であり、かつ、不平等でありますが、それが自分のせいではないことなら、そのことは忘れ去るべきです。
そして、自分ができることを、未来に向かって、淡々としていくべきだと思います。
「親ガチャ」を大人になっても、恨んでいるなんて、思いを向ける方向が違っていますよ。自分でできることに集中すべきですよ。
そういう点で、私は、ある意味、大変賢かったんだと思います。
自分自身の過去のつらい記憶や、悲しい記憶は、時間の経過とともに、どんどん忘れて、もうはるかにかすんでしまっています。
医者なども、「ときには、クスリの作用がある。これを『とき(時)グスリ』と言う。」などと指摘することがありますが、具体的に病気やケガを癒やすだけではなく、その記憶も曖昧なモノにする効果があるのでしょうね。
昔のつらかった記憶が、恨み・つらみになっている人がいますが、本当に人生を無駄に消費しています。
過去のつらい記憶にエネルギーを注ぐなんて、「愚の骨頂」ですよ。人生は、「現在」の連続の中に、生きるしかないのです。
ということで、私の興味は、ずっと「現在」とそれ以降の「未来」にしか目を向けていません。
こういう考え方は、過去にとらわれた生き方より、ずっと建設的だと思っています。
過去そのものは変えられませんが、過去に起こったことに対する自分自身の解釈は、現在について未来に向かって、良く生きることで、良い方向に変えることができます。
過去のつらい記憶は、サッパリ・キッパリと忘れましょう。そういうことを延々と悔やんでいる人がいるとしたら、私はあまり利口ではない生き方だなぁ~と思っちゃいますよ。
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