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摂食障がいの克服308【I'm happy you were born】

 今日はお休みです。

 週6で今後働くので貴重なお休み。
 何も有意義なことはせず今に至ります。少しだけ英検1級の単語みてたらやっぱり頭が疲れる。あなたへって隣にお勧めの漫画が出てきたので読んでいたら頭が全然疲れない。なんて楽なんだろう。

 "NANA"や"天使なんかじゃない"とか、今読んでも本当に面白いですよね。
 昨夜は夜にあなたへのお勧めでYouTubeつけていたら、JAM、川村カオリさん、そしてジュークとかで、”今も聴いてる”ってコメントを読みながら聴いていた。

 全然関係ないのですが、このタイトルで今思いついて書いてみた、”you were born"の”born"は過去分詞なんです。
 英語の一般動詞(いわゆる動作動詞や状態を表す動詞)は5段階に活用されます。原形、3人称単数、過去形、過去分詞、現在分詞。
 I'm running.
 このrunは現在進行形ですが、現在分詞の形で活用されています。
 I saw her running. これは彼女が走っているのを見かけたということ。
 
   I was born in Japan. wasはamというbe動詞の過去形であり、だいたい I was born in Japanはみんな言えるのが日本人なのですが、bornの原形って何?って考えたときにbearであるという。この文章は受動態の過去形である、という文法が今更ながら、なるほど、という感じです。

 それで、この I am happy you were bornですが、私がノートを始めたころにノーターさんで書かれていた方がいると記憶している文章です。

 あなたが生まれてきてくれて私はうれしい。

 自分の投稿の305回目で書いたとおり、私は誕生日を大事にする性質がある。家族・親友・友人・知人、たいてい聞くと誕生日は忘れないので、連絡するんですよね。けれど、自分の誕生日にじゃあ連絡があるのかっていうと微妙なので、最近はあえてやめました。”おめでとう”が迷惑とは言わないけれど、でも人はみんな忙しい。

 つまり、私は先日誕生日だったわけなんですけれど、息子ぐらいだったかなー、連絡がきたのは。もう一人女友達からかな。
 違う。元カレから連絡はなかったですが(誕生日を1年一緒にいて聞かれなかったので)、元カレと付き合いだしたころにちょっと仲良かった男友達からは来たんだった。1年近く連絡取り合ってなかったのに、やっぱり誕生日には、”この1年がいい年になるといいね”ってwishをくれているわけで、私は嬉しかった。

 自分の誕生日もさることながら、親類をこの最近亡くした私。

 鬱的な症状を抱えた私が厳しいと感じているのは、オンタイムにニュースを観ることでした。自分の中で抱えきれない。心が破壊されるのではないかというショックを受けてしまう。このところ、死にすごい引っ張られていたのは、誰かの最期のお別れに立ち会ったことが原因だった。
 そう、昨日思いました。前もそうだった。やはり人の最期に立ち会うってたくさん感謝も溢れる瞬間だけど、私には今抱えきれないんだろう、そう思った。

 人の死とは乗り越えられない何かであり、本当に悲しいこと。
 それでいて人の最期に立ち会うことによって死が身近になる瞬間がある。暫くの間。それを渇望する、それに魅了される、それに‥など私の場合ですが。

 けれど、対としてなのか、同等になのか、だからこそ、”Life is beautiful"なんだろうなと思います。

 今朝もずっと泣いてしまった。目は腫れるし、明日からも仕事だし。明日からの案件の準備もまだ全部できてない。どうしよう。もう逃げたい。

 そうはいってもいい加減に仕事していないので、案件準備はするのですが、今日1日何にもしていない、ということ。早く18時以降(ナマケモノが許されるって自分で思っている時間)になってほしい。生産性のあることなんて、できない。

 昨日もお休みだったんです。
 すると、このワンルームに、両親と妹が来てくれたんです。
 なぜか。

 私の誕生日祝いって言って。
 もうね、誕生日が終わって1ヶ月?どれぐらい経つんだっていうお話ではあるのですが。母が先日、妹がまもなく誕生日なので。もう全部合算した形でおめでとうを言い合った。母と妹はよく食べるので普通に食べていて、私はやっぱり話すことがメインってなった。

 元カレのことも話したし、”どれ?”って聞かれるって話もしたし、それからもう少し今の現状を話しました。

 最近出会った素敵な人たちのお話もした。
 
 ”ホリーガーデン”という江國香織さんの小説を書き続けている私。
 28歳の静江と果歩。静江は、果歩に時折電話する。

 電話というものは、何か伝えたいことがあるか、その人と話したいか、もしくは誰でもいいから話したいか。そういう目的の元だろうけれど、静江は果歩を思う。果歩がもしかして、静江ともしくは誰でもいいから話したいと”思っているかもしれない”と。

 そういう理由で連絡をしてくれる。
 私にも今ひとりいて。朝起きたらおはようって言ってくれて。
 お昼休みには、大丈夫?ってきいてくれて。仕事でへとへとなのに気にかけてくれる。

 私が大丈夫だって思えるまでそうするって言ってくれて。

 心が健全とはいえ、私が知る限り週6勤務だし、朝出社して帰宅21時過ぎだし。なんて世の中の人って忙しいんだろう、そう思いつつ、連絡に癒されてる。

 この狭いワンルームに父と母と妹が来て、一緒にお話した。
 もうこのまま、と思える瞬間であり、私はそれでも一人にその後なり、その後ひとりでは耐えがたい夜を迎える。

 本当にひとりでいる自由と
 ひとりで耐える孤独

 その境目がわからない

 けれども。
 I am happy that you were born (thatは省略されることが多い)

 そう。すべての誕生日にやっぱりそう思っています。

 

 

 
 

 

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