「伊豆の踊り子」主人公の身分は何?
「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ157枚目
川端康成の名作「伊豆の踊り子」は、冒頭主人公が天城峠あたりで突然の激しい雨に襲われるシーンから始まる。
小説中、この主人公の身分は、旧制一高の学生とされている。
ちなみに、昭和49年山口百恵主演の「伊豆の踊り子」では周知の通り三浦友和がこの一高生を演じている。
ところで、この旧制一高とは何だろう?
僕が「伊豆の踊り子」を読んだのは二十歳の頃だが、この一高の何たるかは当時は分からないまま読んでいた。「まぁ、今で言えば六大学の学生のようなものだろうか、、、しかし高とあるので大学生ではない、、、???
いずれにしても裕福な若者だな」ぐらいで片付けていた。
<教育制度の話>
日本の教育制度は現在6・3・3・4制だが、第二次世界大戦前は長く6・5・3・3制*だった。
つまり、、、
尋常小学校6年(義務教育)
旧制中学校5年(この他に高等女学校、実業高校など)
旧制高等学校3年(他に陸軍士官学校や海軍兵学校)/男子のみ
帝国大学3年
では「一高」とは?
調べてみると、一高とは現在の東京大学教育学部、千葉大学医学部/薬学部の前身となった旧制高等学校にあたり、卒業者は志望する学部学科を選ばなければ帝国大学(当時東京帝大を含め全国で9校)に無試験で入学できた。
・・・という事を理解すると、この小説の中で主人公の学生がまだ十代の若者でありながら旅先の至る所で訝るほどの厚遇を受ける事が正しく頷ける。つまり、彼は当時では将来を約束された超が付くエリートなのだ。
それは、冒頭の茶屋の婆さんから、同行する旅芸人達、立ち寄る旅館の人々の彼に対する態度に示されており、身分は物語の中で時にさりげなく、時に無慈悲に区分化されている。ちなみに普通選挙法(男子のみを対象)が制定されたのは伊豆の踊り子発表のつい前年大正14年。伊豆の踊り子の舞台は人がまだまだ平等ではなかった時代なのだ。
この作品のラストシーンは若い二人の仄かな恋心の避けられない破綻なのだが、二人は手を振り合うばかりで互いの運命に抗おうとまではしない。
それは絶望の受容だ。
人生にはどうしようもない事があるのだと、、、、、
それをこの若い二人は受け止めている。
「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた」
と始まる冒頭を改めて読むと、美文の奥に言い知れぬ無常感を感じ入るのは僕一人だろうか。
-追
先週の僕の昭和スケッチ「僕がカオルちゃんと呼ばれたには訳がある」はnoteh編集部「今日の注目記事」に選ばれました.
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