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意味のないこの人生で、いかに意味を感じて幸せに生きるか。 〜「どう生きるかつらかったときの話をしよう」を読んで〜

野口聡一さんの「どう生きるかつらかったときの話をしよう」を読んだ。

めちゃくちゃくらった。
そして人生について深く考える素晴らしい機会を与えてもらった。

この本を手にしたってことは、私はどう生きるかわからず辛かったのだろう。
本書を読み終えた今だって、悩みは尽きない。
だけど、目の前に少しだけ、光が差している。
こうすれば今より幸せに生きられるんじゃない?みたいな手応えが、今微かに掴めそうな気がしている。

①辛いのは意味を感じられないから

なぜこんなに生きるのが辛いのか真剣に考えてみた時に、「あ。意味ないからだわ。」と気づけた。

何をやっても虚しい。手応えがないし、楽しくない。

このまま生きててもしょうがないなと思いつつ、どうしていいかわからないから、とりあえず目先の多忙に逃げ込む。
そして落ち着いた時に、また無意味感に襲われて苦しくなる。

じゃあ、どうしたらいいのだろう。
意味がなくて辛いのだから、覚悟を決めて、意味を感じていこうとするしかない。

②自分のために生きてても意味は感じられない

人生は自分のためにある。
だから自分のために生きていい。
そう教えられてきたが、どうやら自分のために生きたところで、生まれるのは虚無感だけみたいだ。

どうしたら意味を感じられるか?突き詰めた時に、どうしたって「他者」の存在が浮き上がってくる。

情けは人のためならず、とはよく言ったものだ。
君のために情けをかけることで、私は意味感じられる。
情けは意味のためなのだ。

人のために生きる。
意味を感じて生きるヒントは、どうやらここにしか存在しなさそうだ。


③妻と意味を感じていく旅を続けていきたい

妻との関係に悩んでいた。

付き合いも長くなり、会話が減った。
なら自分のために生きればいいやと思ったけど、そうやって生きるのはあまりにも虚しすぎた。

夫婦とは、共に意味を感じていく相棒なのかもしれない。
一人では感じられなかった人生の意味を、二人だったら感じられたり。

私は意味を感じるために、妻を幸せにしたい。
そうしなきゃきっと生きる意味を感じられない。
幸せにする第一歩に、まずは妻が何に意味を感じられそうか聞き出さなくちゃいけない。
そしてその意味のありそうな方向に、一緒に歩いていくんだ。
それは家を建てることであったり、子供を育てることかもしれない。

どうやったら意味を感じられそう?
話し合いながら、意味を感じながら幸せに生きていけたらいい。

④自分を高めることに意味はなく、それを社会に還元してはじめて意味が生まれる

社会のためとかうるせえって思ってたけど、もしかしたら意味を感じて生きるには必要な視点かもしれない。

資格取ったりスキル高めたり、それだけじゃ意味ねえなって思ってしまう。
結局、その高めた自分を活かして、どう他人のために生きるかなんだと思う。
そこに喜びややりがいや、生きてる意味が生まれてくるはず。

正直、まだどうやれば人のためになれるかなんてわかっていない。
これから少しずつ、自分という人間の特性をどうすれば最大限に人の役に立てるか、考えていきたい。

別に私が聖人だから言ってる訳じゃない。
意味を感じられないと虚しいから。
業務時間を潰して飯を食ってるだけじゃもう満足できなくなっているから。
生きるために、人のために生きてみようと思う。

(まとめ)人生に意味なんてねえ。だからこそ意味を感じていく「ゲーム」を楽しむ。

人生の意味を追求する結論として、人生に意味なんてないという真理に辿り着いた。
だけど意味を感じられないと生きていけない。
八方塞がりだ。
いや、意味がない前提の中で、このゲームを楽しもう。
人生とはいかに意味を感じていけるかのゲームなのだ。

本書で野口さんは他人と比較することの虚しさを述べていた。
何に意味を感じられるかなんて人それぞれだから、他人と比べることにそれこそ意味なんてない。

答えは自分の心しか知らない。
今、意味感じてる?
自問自答を繰り返しながら、幸せに生きることを諦めずにいたい。

この本に出会えてよかった。
意味のないこの人生を、嫌いになって投げ出すところだった。

意味なんてないこの人生を、今は愛せている。
いや、愛せるように生きていくだけなんだ。

意味はそこにあるものではなく、自分で生み出し、感じ取っていくもの。

まだまだ人生は続く。
諦めない。楽しんでいこう。

人生マジで難しい。
だからこそ面白い。生きてる意味はきっとある。

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