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しあわせのとんぼよ、どこへ
私・イシカワ・みー・あいちゃん・よっちぃ・ジュンコ
これが私と小中学校でつるんでる面子。
イシカワは高校まで一緒。
そして、教員の左遷先であり、昭和50年代の住宅地・農家・貧困層を包括する、学級どころか学校崩壊の中で一緒に学校にいた。
そして、皆それぞれに家庭に問題を抱えていた。
強いて言えば
「両親がいて、家族仲が良い」
ジュンコだけど、それでも弟が問題行動を起こしがちなとこから、不登校な
ドブネズミにすらなれないよ
YANAMi先生の、ドブネズミは別に美しくない
に対する感想というか、私の過去の恨み節というか。
保育園の年長の時。
杉の木の中に座って上を見て葉を観察していたら
「あれ、私が今いなくなっても、明日や、また次の日も、ずっと続くんだよね?」
と、思ったというか、気づいたというか。
しかもそれでずいぶんと救われた子供時代であった。
思えば小学校の入学式の日。
男女別に並んで、隣に
話すまでに11年かかった3月11日
何で私の震災体験を語るのが今年になったかは、多分10年という節目から1年過ぎて、二桁かつ中途半端な年数になった、という
「まあ少しくらいは風化しただろ」
という、経年への甘えだ。
そして、今年の3月11日を過ぎてからでないと話す気になれなかったかと言えば、私が
「東日本大震災後でポジティブになってしまったから」
なのだ。
そんな人間はほぼいないと思うし、それよりも艱難辛苦を何とかしのぎ乗り越え
六月(むつき)が何者かを知りたい方へ
はじめまして、という方は少ないと思います。
Twitterでもおなじ名前を使っております、六月(むつき)です。
インターネット始めて23年経って、そのうち18年くらいは日記サイト・はてなダイアリー・mixi・Twitterでずーっと何かを書き続けていました。残り4年は長期的・短期の人狼に精を出していました。恐らくは私の自己主張や情報発信には文字媒体が向いているのでしょう。
ですが実際のコミュ
あの頃のわかめて鯖の常連は今何をしているのかな
10年くらい前、2ちゃんねるのネトヲチ板でヲチ対象になった。
発端は人狼のわかめてというサーバーにて常連(というか廃人)になり、その中の一人と意気投合。リアルでもつるんどったら、相手は直結厨と呼ばれ、私はメンヘラ、いやメンヘラババアと呼ばれた。
ごくごく限られた人物しか知らん情報までスレに流れ、センセーションと個人特定のリスク管理がガバガバ状態。
そしてどう考えてもこいつしか知らないだろという話題
現在進行形でしのびよる、コロナの足音
明日から始業式である。
が。
僻地や海や山を超えた6自治体を抱える基幹病院でクラスターが発生して、機能がマヒしています。
※放射線治療科とお産はやってる。
更に言えば。
院内感染者は66人、職員は45人。いやま、看護師さんとかは患者さんと直接触れあってしまうから、しょうがない気持ちがないことはない。
が、事務員1名!お前どこの事務やってるやつだよ! 奥に引っ込んで事務手続きにひたすら勤
出産は2時間サスペンス
下の子が生まれる際は、少量の破水から始まり入院し、丸1日経過を見ましょうと言われ、個室用TVはあるものの、ベッドとトイレ以外は入退場が禁止されて、身体的というよりは精神的にまいった。鉄腕DASH以外に興味のある番組もない。
余りにも暇な24時間近くをどう潰したかは思い出せないが、私の身体の状況は全く変わらない。羊水の増減もなければ、陣痛も来ず、胎動もドッタンバッタンしている。私はお前を外に出すた