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Une femme est une femme(女は女である)

誰かに嫌われるのは仕方ないことだ。
嫌う理由も色々あるし、その殆どはそうかそういうもんだよね、で済むけど、そりゃねえだろ!ってのが1つだけあった。

それは20代前半のフリーターもどきをしていた頃。
友達から彼氏を紹介され一緒にドライブをした数日後。
彼女から電話があり、もう会えないと告げられた。
なんで?私は友人や彼氏に失礼な振る舞いや話をしてしまったのか?と不安に陥ったのを友人は察し
「むつきのせいじゃないよ」
と前置きをして理由を語りだした。

「彼氏くんは小中高とずっと男子校にいたから女性はこういうもの、っていう認識が現実とちょっと違っててね、漫画とかドラマに出てくるような、たとえば、こう…ロングヘアにスカートとか?そういうものが彼にとっての女の子なの。
でもむつき、髪は赤くてベリーショートだし、化粧もしてなくて、言葉遣いも男っぽいし。あとあの時はパーカーにジーパンだったじゃん?彼、凄く混乱したらしいんだ。自分の持ってる女性像からかけ離れてたからだと思うんだけど…
で、私に言ったの。
あの人怖いから、君と縁を切って欲しい、って。
むつきには本当に悪い、ごめんなさい」

呆気にとられた。

女性っぽくないとは良く言われてたし、そこを嫌う人はいた。が、これはそれを飛び越えて、女性と認識できない女性という、言うなれば未知の存在への忌避や恐怖感を私に叩きつけ、あまつさえそれとの接触を避けたいがために、もしかしたら未知の生物から彼女を守るために、友人に会うなと言ってきた訳で。

私からすれば理不尽極まりない。

しかしこの友人、一度言い切ったことは絶対翻さない鉄の女である。なので私がどんなにか傷付いて泣きごとを言おうが縁切りを嫌がろうが、この話を私に決めた時点で彼女は腹を括っている。
だからーこの話はここでお終いなんだ、である。

そして時は流れに流れnow its time
私は相変わらず髪は短く、スカートもはかず化粧もせず、割とがらっぱちな言葉遣いで生きている。
振り返ればあの時点で自分という女はそういった女として既に生きていた。

多様性という言葉を聞くといつもよぎる気持ちがある。
社会は、あなたは
私を女性として受け止めてくれますか?



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