「利用しにくい人」観 ー鶴田総一郎、倉田公裕、大堀哲
昭和31年(1956)、鶴田総一郎は移動博物館の対象として「文化の恵まれない農山漁村の人々」をあげる。これを「日本向きに解決し、成果をあげている」事例があると書かれているところを見ると、欧米の事例を参照したと思われる。
昭和54年(1979)、『博物館学』で倉田公裕は「博物館利用者」という章を設けて「旧来の博物館的考え方の、来る人だけ来れば良いというたぐいの消極的な考えでは、次第に社会から疎外され、ただ一部の研究者、好事家のために存することになりかねない」と主張する。そ