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あたらしい概念をとりいれてしなやかに生きる・分人
久しぶりに越後妻有へ。
その前に駅で「私とは何か 個人から分人へ」(平野啓一郎)を購入。
ざっくりと解釈。
個人という概念こそが私たちを苦しめている。個人すなわちindividual、それ以上分節できないもの。そこに私たちは、統一された、一貫した自己を夢見る。自分にはひとつの核みたいなものがあると想像する。しかし、相手やコミュニティに応じて自分の思考や態度が変わってしまう。それは「ウソの自分」
シリーズ室内装飾100〜家具、建築、読書時々アート
誰もが経験する部屋づくり。
家具との出会い。めくるめく室内装飾の世界。
「あなたの家具との出会いは、どこから?」
私は…
家具と人生が交錯する、どこにでもありそうな、でもここにしかない話。ある女の語り。
そんな感じのエッセイ、はじまりはじまり。
エピソード0は、「シルバニアファミリー。ぶどうの森のおうちと私の膝小僧について」
おたのしみに
結婚。可能性の死とときめき、その他。
私がこよなく愛するドラマ、「愛の不時着」でも似たようなことを言っていた気がするが、
ときめきとは予測不可能性である。
冷え性にとっては寒さがより辛く感じられるように
ときめきが心に与えるインパクトによって、結婚の意味は大きく異なるようだ。
結婚とは、人生の多くの可能性のうち、1つのルートを選ぶことであり、そこからどんなに様々な選択肢が待ち受けているにしろ、必ず、諦めたルートへの未練がつきまとう