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筆が遅くて全然直島に着かない朝には



宇野について

 宇野は予感に満ちた街だと思う。
 宇野港から見る瀬戸内海は、なぜか心がときめく。
 遠足の前日のように、わくわくする感じがある。
 潮風はほどよく、波は穏やか。小さな船が行き交い、青いもやの向こうにはいくつもの小島が見える。
 ここで暮らすことは、自動車のアクセスがいい適当な郊外に家を建てることよりも、魅力的に感じられる。それは旅人の気楽さによるフィルターかもしれないけれど。

草間彌生ふうのフェリーに乗って

 さて。
 固いベッド、夜中のわさび付き焼き鳥(おいしかった)でむくんだ顔、開きっぱなしの手帳。朝6:30発のフェリーが迫る。急いで支度をしなくては。

 アラサーの油の足りない怪しい小走りで四国汽船のフェリーターミナルへ向かい、真っ白な船体に真っ赤なドットが施された、草間彌生ふうのフェリーに滑り込む。はあ。いつの間にこんなに体力がなくなったのかしら。

 早朝のフェリーには観光客はほとんどいない。ピチピチの洋服を着た作業員ふうのお兄さんたちがチラホラ。そうか、通勤にフェリーを使っているのか。窓の外の海には全然興味なさそうで、スマホを見てだべっている。
 瀬戸内海の青い魔法も、労働の前には無力ってことかしら。

 甲板に出る。ああ信じられない。
 日本海の荒波、黒い海の冷たく厳しい風景を見て育った身としては、瀬戸内海の淡い美しさは幻としか思えない。山肌と砂浜のコントラスト。心がときめいた。おとぎ話の中の風景。あとは、たとえばどうぶつの森の海釣りのシーン。ああいうのは、世界をデフォルメしたものだと思っていたけれど、そうではなくて、現実のきれいなところだけをギュッとかき集めて作ったもので、実在する風景なんだ。私が住む町は、かき集めた時にこぼれて忘れられた凡庸な町なんだ。綺麗にペディキュアが塗られた足の小指の爪をじっと見ているような、1つ1つ丁寧にペイントを施した陶器の皿の上を小人になって歩いているような、要するにディティールの真上にいる気がして、変な気分になる。それが自分にとっての瀬戸内海だ。スピリチュアルとかではなくて、リアルに神様がいそうな感じなのだ。見渡す限り青く、フェリーから簡単に空に登れそう。綺麗で気が狂いそう。

 さて、そろそろ海の駅なおしまが見えてきた。

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