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自己紹介②外資系企業のグローバルメディカルチーム看護師時代

前回の投稿 自己紹介①はこちら↓↓↓



夢を抱いて就職した外資系企業

 英語が大好きで、心理学、医学が大好きな私が、『満を持して』という形でキャリアの軸に選んだのが、外資系企業の「グローバルメディカルチームでの看護師の仕事でした。

 それまでの私は、正看護師として病院勤務を13年やる中で、色々ほかの道も模索してきました。
 学歴コンプレックスがあったのと、看護師を10年くらいしたら専門資格をさらに取りたいと思っていたので、子どもが1歳の頃、離婚後すぐに大学に編入学しました。
 
 養護教諭の教員免許を取り、教員採用試験にも2回ほど挑戦し、小学校養護教諭をしていたこともあります。
 
 しかし、養護教諭の本採用の試験には合格せず、結局看護師として仕事をしてきました。シングルマザーとして生活を支えるためにも、安定して稼げる看護師の仕事は強かったです。
 
 田舎に戻って来てからも、実家から近い市立の総合病院の整形外科や内視鏡室などで看護師の仕事をしました。

 途中、養護教諭の臨時教員の仕事もさせてもらえるチャンスがありましたが、子どもが入院してしまったり、家族に子どもを見てもらわないと仕事ができない状況で断念して、結局は病院の仕事に戻る形になっていました。

 そんな私の特技は、英語が話せること。
 英語は、小さいころから何だか好きで、憧れもあり独学を続けていて、小学校の教員をやったときにもALTのカナダ人の先生と会話をするのが楽しく、大人になってからも波はあるものの趣味のような形で勉強を続けていました。
 
 そのおかげでプライベートの方で外国人の友人や繋がりが増えて、ひょんなことから外資系企業での産業看護師の仕事の募集を耳にすることになります。
 
 募集の話を聞いた翌日には履歴書を送り、難関な面接と多数の応募者の中から無事に内定を勝ち取ります。
 
 「アメリカの会社で、大好きな英語を使って看護師として働くことができる!」と、ワクワクドキドキ胸を弾ませながら、「アメリカの企業」に就職しました。

 外資系企業というと、端から見ても、夜勤もないし、給料もよさそうですし、求人が沢山あるわけでもありません。一見とても条件がいいように思えます。
 なんでまた、そんなチャンスを手に入れたわたしが、日本語教師という180度違う業界でセカンドキャリアを歩み始めることになったんでしょうか?

夢見ていた仕事。入社と共にコロナという大波が襲う

 アメリカ人の上司、アジアの各国を束ねるのはドイツの人ドクター。抱える従業員は10か国の異なる国籍をもつ人たち、ということで、まさにチャレンジングな日々でした。しかし、望んだ仕事だったので、大変とはいってもすべてが新鮮な世界。

 非常にエキサイティングで、持てる力のすべてを出して仕事をしている、という感じでした。
入社して早々に、ベトナムへの出張。アジアやアフリカ各国の安全衛生担当の看護師やドクターが集合して仲を深めました。

 楽しい時間もつかの間で、帰国後はすぐに、COVID-19の流行がやってきます。
世界情勢も混乱を極める中、アメリカ人の上司とも相談しながら、感染対策に奔走し、朝も夜もなく働きました。

 大きなお金が動く世界なので、会社内でクラスターが発生したら何億という損失になります。肉体的にもきつかったですが、精神的なプレッシャーもとても大きかったです。

 それでも頑張りごたえのある4年間で、みんなで乗り切ろう!と各国のメディカルチームのメンバー同士で励ましあい、異国のチームメイトと繋がりを感じながら働けた経験は今振り返ってもとても大きな経験になりました。

 しかし、マネージャーがアメリカ人から日本人に変わり、順調だった外資系生活は一気に転落していくことになります。

続き:自己紹介③はこちらから↓↓↓


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Mina Sato IQ130 ASDの心理士/脳外科ナース/Nativecamp日本語講師
本当にありがとうございます!応援してくださる気持ちが本当に嬉しいです。「サポートをいただきました」の通知が、わたしの人生のうちの今日一日という日を幸せにしてくださいました。色々ありますが、あなたの一日も素敵なものになりますように。