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自己紹介②:40歳という年齢で、なぜ大好きだったグローバルメディカルの仕事を辞めてまで日本語教師を目指したのか?シングルマザーなのに大丈夫?続き

前回の投稿 自己紹介①はこちら↓↓↓

みなさまこんにちは!シングルマザー40歳、今日も元気に夜更かししてしまっています。「11時には寝る!」と言っていたのに、気づけば日付が変わる毎日です。まだ洗い物していないんだった…

さて、先日の続き「なぜ大手の外資系企業での産業看護師というキャリアを手放してまで日本語教師を目指したのか」です。

大好きな英語を使って、高学歴のライバルたちがひしめく中、奇跡的に変な履歴書と熱意で採用を勝ち取ったものの、その後のコロナ対応で荒波の中を進むこととなったお話をさせていただきました。

仕事の様子はというと、息子には申し訳ないけれども、「早く帰宅しないと」と頭の片隅では引っかかりつつも、自分のオフィスを施錠するのは20時すぎ…と、ずいぶん遅くまで働くのが当たり前の日々です。

プレゼンテーションなどがある前日は、通常の業務終了後に資料作りをするので、夜中の0時過ぎまでパソコンとにらめっこして、
わかりやすい英語で作成できているか、データに間違いはないか…なんだか四六時中仕事のことを考えているという。

愚痴かと思いきや、私は

『仕事が大好き』『典型的ワーカホリック』

なのです。

気を付けていないと、仕事をしていないと落ち着かない、とか、仕事をしていることに安堵感を覚えたり、仕事をして貢献をしていないと不安、とか、そういった状態になってしまいます。

シングルマザーの方や、一家を支える大黒柱で家族を背負って(しょって)いる方ならわかってくれるかもしれないですが、

お金を稼がなければいけないですし、お金を稼いでいることによって得られる『安心』は大きいですよね。

うーん、仕事量が多いにしても、じゃあなぜ好きで選んだ仕事を辞めるまで行ったの?


と思いますよね。本当にそうですよね。

正直にいうと、きれいなお話だけではないんです。

私は深刻な「不眠症」に悩まされていました。

疲れているはずなのに、神経はずっと高ぶっているといいますか。
きっとこの感覚 わかる方 多いんじゃないかと思います。

『からだは、疲れているはずなのに、頭が働き続けてしまう!』

思考が止められなくなる、というのも、実は疲労のサインです。
それに加えて、ASDの特有のこだわりの強さが、
仕事に没頭する自分の働き方に拍車をかけてしまっていました。

正常な脳は、エネルギーの燃えカスともいわれている「アデノシン」という物質がある程度の量が、受容体にくっつくと「眠い」と感じ、
自然に眠気がやってきて、眠りへといざなってくれます。

しかし、ミネラル不足や過度のストレスによって、うまく「OFF」するスイッチが機能しなくなってしまうと、

疲れているのに眠れないという症状が起こります。

(思い当たる人は、早めの心療内科 or精神科受診をして、眠れる薬や神経を落ち着ける助けをしてくれる薬を処方してもらってくださいね。いまは依存性の少ない薬なども色々ありますから。)

というわけで。
やはり、ずっと緊張状態で、24時間365日いるということは、
人間にはできないのですよね。

『生身』ですから。

外科や救急の現場を離れたとはいえ、心理士で、看護師です。
睡眠やストレス管理の大切さは頭ではわかっていますが、

一人職なので責任を分散させるということはできませんでした。


看護師の仕事をしている方はわかると思いますが、
『人一倍の責任感』が問われます。

手を上手に抜く、というのが下手で、体を壊してしまっていました。
「自分は大丈夫」なんて甘く見ていたのかもしれません。

そして、今思えば、ASDで人一倍こだわりが強く完璧主義だった自分は、
一つ一つの仕事を隅々まで完璧にやらないいと、気がすみませんでした。

マルチタスクで多くのプロジェクトを抱えているのにもかかわらず、
それぞれに手を抜けず、自分なりの目標値というのがあり
そのレベルに達しないと、気がすみませんでした。

20代の時のように、無理はきかないアラフォー。


恥ずかしながら、1度本当に倒れてしまいました。

胃から出血してしまい、何も食べられず、動けなくなってしまうということが起きました。

このころは、自分の上司であるマネージャーが日本人の女性に変わった後で、マネジメントの厳しさと細かさがものすごかったです。

アメリカの企業なのに、日本の細かさと上から押さえつけられる感覚、
上の人の言うようにできないと評価されないという体制にガラッと変わりました。

アメリカ人上司の時にはある程度じぶんの力量に任せてくれ、
チャレンジさせてくれる空気感のなか、
自分の特性を活かして難しい事にも挑戦しながら、失敗もしながら
それでも思いっきり働くことができていました。

しかし、日本人上司は、『上司の求める形』にすべてのことを運ばないといけない、彼女がYES、といわなければ、すべての評価はゼロ、
もしくは仕事のすべてがやり直しになりました。

彼女に何か言われた後だったと思います。

それまでは思考が止まらなかったのに、今度は、頭の中が真っ白で、なにも考えられない「まっしろな模造紙」みたいな状態になりました。

今思うとこれは、脳のブレーカーが作用した状態です。

過度のストレスが重なって、限界を迎えると、人間は自分を刺激から守ろうと、活動を遮断する方向にいきます。
すごい機能ですよね。

うつ状態で、動けなくなったりするのも、一見深刻な状況に思えますが、
体はストレスとなる刺激から自分を守ろうと世界をシャットアウトしているのです。

ということで、恥ずかしながら、「ああ、いよいよ本当にこれは少し休まないと無理だな」というか、

動けなかったので、結局1か月ほど仕事に穴をあけてしまうことになりました。

復帰してドバイへ。やっぱり世界の仲間たちとの交流は最高。外国人の前でのほうがのびのびできてしまう自分も再発見。

約1か月静養し、本当にからだの状態を治すことに集中させてもらったおかげで、仕事に復帰することができました。

復帰後まもなく、コロナでの重症化例が世界的に減少する中で、数年ぶりにメディカルチームのカンファレンスがオンラインでなく直接開催となるという嬉しいニュースが飛び込んできました。

当初はタイで開催の予定のところ、タイでの受け入れやビザの関係が難航したとのことで、中東での開催となり、

ちょうどワールドカップがカタールで開催される前のタイミングで現地入りすることとなりました。
海外に渡航するのも久しぶり。

数年ぶりの、各国代表との交流。
新しく入ったメンバーもおり、貴重な意見交換の場です。

中国、韓国、フィリピン、ベトナム、インドネシア、インド、マレーシア、シンガポール。アジア諸国のほか、パキスタン、ホストのドバイのメンバー、南アフリカ、ケニア、エジプト、アメリカとドイツからもドクターが駆けつけてくれ、盛大な開催となりました。

「なんと最高!」

やっぱり世界の人たちとつながるって最高です。
コロナを乗り切った仲間同士喜びもひとしおです。

英語は、自力で覚えたものなので、完璧とはいきませんが、
英語が母国語という国もそこまで多くないので気楽にコミュニケーションできます。

「ミナ~!Dear my friend~!」と、仲間の笑顔が見られること、本当に嬉しかった。

数年間オンラインで画面越しのやり取りもしていましたが、
やっぱり直接体験を共有するってぜんぜん、違いますね!

チームのメンバーは、お互いを「Family」と呼ぶのですが、
会社を辞めた後も、友人としてつながっています。

好奇心で飛び込んだ世界で、帰りが遅かったりで息子にも負担も掛けたと思いますが、それでもこの経験ができたことは本当によかったです。

「やっぱり私は世界の人たちとつながるのが好きだ」

再・再・再 認識しました。


日本流のフィードバックが自分を苦しめた


帰国して、日常に戻ったわけですが、
なんだか日本という国が、すごく息苦しく感じてしまう日々が続きます。

体調を崩した負い目もあり、復帰後は150%の力で数か月の間、働きました。

常に15件以上の案件を抱えてやるのが常でしたが、それらを一つ一つ集中できるよう工夫して、求められている期待値に到達できるよう精一杯働きました。

しかし、評価はついて来ず、日本人上司からの細かいフィードバックと修正の依頼が膨大なものとなり、ますます全てが かみ合わなくなっていったのと、自分に自信を無くす毎日が続きました。

日本人が、とひとくくりにしてしまうのは間違っていると私は思います。
しかし一方で、日本人の「ダメを指摘する文化」というのは人に自信を失わせてしまうものです。

アメリカは、褒めるところを探す文化。
「おっ、いいね (I like it!) (Love it!)」と、ポンっとポジティブなフィードバックをくれて、やる気にさせるのが上手なんです。

自信を失っていた中、外国人からの相談は増えてきていました。

英語でのコミュニケーションが楽だったのには、まさかの理由があった。


ここまで読んでくれた方は、単に、
「国際交流好きの、日本の保守的な文化になじめない日本人ですか~。
いますよね。そういう人・・・」
と思うと思います。

ですが、じぶんでも思いもしなかった理由が明らかになることになるのです。

背景にあったのは、日本と外国の根本的な文化の違いと、
自分自身に隠れていた発達障害の存在がありました。

どうして自分は、息苦しいんだろう?
小さいときから、自分の居場所はここにはない気がする・・・
理由はわからないけれどもなんだか息苦しい・・・

そんな風に感じたことはありませんか?

次回の投稿では、#おとなの発達障害 にも少し触れていきたいと思います。

前回の投稿、『40歳という年齢で、なぜ大好きだったグローバルメディカルの仕事を辞めてまで日本語教師を目指したのか?シングルマザーなのに大丈夫?」①は下記から☆

続き:自己紹介③はこちらから↓↓↓


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『M』ASDの現役脳外科ナース/日本語教師
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