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【退屈を味わう哲学】退屈なら再創造してみよう


國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」を最近再読していて、新たな気づきがありました。1回目では見過ごしていた内容が2回目で見えてきたのですが、この「新たな発見」という体験自体が、実は本書が説く「退屈を乗り越える方法」を体現していたのだと気がついたのです。

本書で重要な概念となっているのが「環世界」です。これは本来、生物学で使われていた言葉で、各生物が持つ固有の生活空間や認識の範囲を指します。犬は匂いを重視した世界で生き、蜂は紫外線も見える世界で生きているように、それぞれの生き物が独自の環世界を持っています。人間もまた、個々人が自分なりの価値観や経験に基づいた固有の環世界を持っているのです。

ただし、人間には他の動物とは大きく異なる特徴があります。それは「ある環世界に飽きたら、容易に別の環世界へ移動できる能力」です。退屈したらスマートフォンで動画を見たり、飽きたら別のSNSに移ったり、疲れたらゲームを始めたりと、私たちは絶えず新しい刺激を求めて環世界を渡り歩いています。しかし國分さんは、このような「環世界の渡り歩き」こそが、かえって深い退屈を生む原因だと指摘します。

では、どうすれば良いのでしょうか。著者が提案するのは、「一つの環世界をより深く味わう」という方法です。季節の移ろいを感じたり、人々の表情の微妙な違いに気づいたりと、日常の小さな変化に目を向けることから始まります。さらに、音楽を聴いて感性を磨き、哲学書を読んで思考を深め、文学作品から新しい視点を学ぶことで、自分の環世界をより豊かにしていくのです。

このように培った感性や知性は、必ず日常生活に活きてきます。何気ない風景を俳句にしたり、日常の疑問を哲学的に考えたり、些細な発見を日記に書き留めたりすることで、自分の「今いる環世界」をより深く理解し、そこに新たな意味を見出すことができます。

つまり、退屈から逃れるには、次々と新しい刺激を求めるのではなく、自分の身近な環世界により深く関わっていく姿勢が大切なのです。私たちの周りには、実は「わからないこと」で溢れています。その「わからなさ」に気づき、探求する喜びこそが、人生を豊かにする本質的な営みなのかもしれません。これこそが、國分さんが本書を通じて私たちに伝えようとしているメッセージではないでしょうか。



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